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動画を倍速視聴することは悪なのか?

Yahoo!ニュースで記事が出ていたので、少し書いてみる。

記事元の調査結果で下記のものがあった。それなりに倍速視聴経験者がいるようだ。

クロス・マーケティング:動画の倍速視聴に関する調査(2024年)

最近は観ていないが、ABEMA Primeなどは1.3倍速ぐらいで観ていたことがある。この人たち長文の発言を淀みなくすらすら言えて、さらに(一応)会話ができていて凄いなと思って眺めていた。

また、以前読んだ本にこういった記述があった。

映像の時短視聴を問題視するなら、書物の速読や長大な海外文学の抄訳(原文のところどころを抜き出して翻訳すること)、あるいは連続ドラマなどの総集編は、なぜ許容されているのか? 

もしくは、許容しない人がいるとしても、なぜその数は映像の時短視聴に抵抗を覚える人に比べて少ないのか?  速読から考えてみよう。取り急ぎ、速読が書物の堪能度・理解度を阻害するか、しないかの議論はしないでおく。  

映像で紡がれる物語、その原型のひとつに演劇があるが、演劇はその出現時から、鑑賞者が自分のペースで観る、という性質のものではなかった。しかし書物は、出現時から読者が自分のペースで読むことを想定されていた。そこに大きな違いがある。速読は、読書という行為に最初から組み込まれていたのだ。倍速視聴は速読と同様に鑑賞方法の一バリエーションかもしれないが、同じ次元で語られるべきではない。

稲田 豊史. 映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~ (光文社新書) (p.34). 光文社. Kindle 版.


書物の速読と動画の倍速視聴は何が違うのか、とこれは僕も思っていた。動画は主に視覚と聴覚を
使い、時間があらかじめ決まっている。読書は主に視覚を使用し、時間は決まっていない。

上の引用文にもあるように、大きいのは自分のペースで進められるかどうかがある。この理由から、僕は動画がそんなに好きではない。

動画はタイパが悪く、視覚に加えて聴覚も使うので疲れる。特に映画などは長期休暇中で、さらに気が向いた時しか観ない。サイレント動画は観たことがないが、動画のジャンルでは倍速視聴に向いているのではないかと思っている。それが、面白いかどうかは知らない。音声や字幕、画像などの読み取る情報が登場する動画は倍速向きではない。思考と動画は相性が悪い。

ストーリーがある内容の動画で、観たいところだけ観るとか、結論が知りたいとか、人と話を合わせるためだとかの理由で倍速視聴をしているのなら、そもそも動画を見なくていいと思ってしまう。仮に娯楽のためだとして、タイパを気にし、無理やり慌ただしい環境を自らつくりながら観るものでもないだろう。少し考えごとをして気が逸れると、見逃し、聞き逃しをして集中力が途切れ
別のことがしたくなってしまう。

動画視聴は暇人に許された娯楽で、心にゆとりがある人向けだと思っている。暇があっても僕の中では動画視聴の優先度は低い。一方で、読書はタイパが悪いとはそこまで感じない。考えながら読めるのがいい。

世の中の風潮が、娯楽に限らず様々なもので溢れかえっているので、消費コンテンツのひとつである動画を倍速視聴することは僕は特段悪だとは思わない。動画というものが倍速の手を加えられる形態で少し特殊なだけだ。

自分が日常生活を倍速で動けるならそうしたい。

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