許す許さない問題について

少し前、業務中に「許せない」という言葉を目にした。社内間でのやりとりにおける出来事だ。

仕事上で、その言葉が出てくることに若干の違和感を覚えた。「許す」って何だ?と。

僕は少し関わっている程度で完全な当事者ではないので、詳細は不明だが、何か業務上でのミスについて追及している場面だった。業務連絡用のチャットのようなものに書かれていた。

ゆるすについてググると、「許す」「赦す」という表記があった。他にもあるようだ。

「許す」は、これから行う行為を認めること、「赦す」は、すでに行った行為の失敗を責めないこと、とある。

表記上の違いはあるが、「ゆるせない」と言っているのは「赦せない」方の意味だろう。

赦せないからこうして欲しいと、ミスの事後処理の要望があがっていた。それはごく普通だと思う。一方で、赦せないという意思表示をする理由はなんなのか?もちろん、ミスをした側にも何らかの落ち度はあるだろう。ただ、それに対する感情を表に出していいことがあるのかはわからない。

この人、怒っているから対処しようとなるか?怒っていようといまいとミスがあったという事実に対しては何からの措置が必要だ。事の重大さをわかりやすく伝えるためには有効な手段なのかもしれない。

赦せないからこうして欲しいではなく、ミスがあったからこうして欲しいというのが、感情の昂りがあったとしても流れとしては自然な気はするんだよな。赦せないと言っている人も、ミスがあったことよりもその報告がなかったとか、そっち方面での怒りにつながっていたように思う。

報告がなかったことが赦せない。(ついでに)ミスがあったことも赦せない。外から見ているとこんな感じに見える。赦せないことを全面に出したい心情のように感じる。仮にミスがなくても、結果の報告がない事に対して怒る人もいるだろう。今回の場合は、ミスがあったことが赦せなさに拍車をかけている。

仕事においては、個人の感情の問題よりも、ミスやトラブルに対して特に早急な解決が求められる。

ミスがあること自体が、ミスがなかった場合と比較してマイナスだ。結果的に何もしなかったとしても、その結論を出すための労力がかかる。どちらが損をしたとかではなく全体で損をしている。ミスを修正して、本来意図するものに戻ったとしても、ミスがあったという事実は残る。終わりよければすべてよしとはいかない場合もあるだろう。

「赦した」というのはどういう状態だろうか。本人が納得していればそれでいいのかもしれないが、あまりしっくりこない。

赦したというより、忘れたとか風化したとかそういう意味合いの方が強いのではないか。時間が解決する事も多そうだと感じる。

その当時の出来事について、その時点で完璧に赦したというのは難しいと思う。何か自分にとってマイナスなことが起きてしまっているのだから。起きた事態に対して、自分はどのように感じるか、心情も含めてどう反応するかといった、自然と湧き上がるものを超えて、ある種の意思が必要になる気がしている。

そのため、赦したと自分に言い聞かせて納得した(気になる)というのが、心情として近い気がする。この状態を大人の対応で「赦した」と言っているのかもしれない。

例えば、訴訟問題などで勝訴して賠償金が支払われた場合に、完全に相手を赦したと言えるか?可逆的な内容であればいいかもしれないが不可逆的な場合は?

赦すという行為には、相当な覚悟が付きまとう場合もあると思う。赦す赦さない問題は個人の信念にも大きく関わってくる。

幼少期のトラウマなどの発生原因となる出来事や人は一生赦せないという人もいるだろう。そのような大きなものを赦したと言える人は相当に寛大な心の持ち主だ。

上で挙げた今回の仕事の件は、クレーマーではないが、過剰なクレーマーなどは自分の思い通りの結果にもっていきたいがために喚き散らしたりしているのだろうか。それとも、ただのストレス発散だろうか。少しでも相手に落ち度があるとそこを責めて自分が優位に立てるように振る舞う。それ自体はおかしくない部分もあるが、あまりに感情的だと冷静な判断ができなくなってしまう。こういう事態は長引かせない方が双方のためだと思う。面倒だろうし。

赦す赦さない問題を持ち出すと、①(完璧ではないが)赦す、(赦したと自分に言い聞かせる)、②赦さない、③なあなあの結論に持っていく、と何ともスッキリしない結果で終わると思うので、
最初から表立って持ち出さないようにした方がいいと感じる。何があっても赦さないという心持ちのでいる方が、実は健全なのかもしれない。それはそれとして、心の中に閉まっておき、どのように問題解決をするかに注力する。感情は二の次だ。ビジネスの場では、このような対応が求められているのだろう。気に入らないからと言って、その人と仕事をしないというわけにもいかない。それができるのは相応の立場の人だ。

心の中に閉まっておいた赦さない気持ちは、いずれ時間と共に薄れていくはずだ。赦さない気持ちを抱き続けるのにはエネルギーがいる。それでも赦せない場合は、その人そのものを赦せないのかもしれない。

少しずれるが、許しについて調べているとこういう言葉を見つけた。

「許可を求めるな、謝罪せよ」というものだ。これは超訳とされていて、原文は「It's easier to ask forgiveness than it is to get permission」で「許可を得るより、許しを請う方が簡単だ」が直訳である。

本来の意図するところや程度の違いはあるとは思うが、僕もたまにすることがある。休日出勤の時だ。

休日出勤をする時は、事前に上司の許可を得る必要があるのだが、僕は事後報告をしている。何か言われたら謝罪する。

後から怒られるのと、仕事が間に合わないことで発生する問題に対処すること、どちらがマシか天秤にかけた結果だ。間に合わなかった場合、その仕事をやらなくていいという結果にはならず、結局自分が苦労する羽目になるので、仮に何か言われた場合は必要経費だと思っている。まあ、このぐらいの話だったら事前に言えよと上司は思うだろうが。

今現在より、数年前の方が休日出勤にうるさかったような気がする。祝日だったが、出勤日だと思っていた体で出勤したことがある。

おわり

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