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時間を刻むことのつまらなさ

小学校の頃、休日に午前中から友達の家で遊ぶことがあった。僕は友達と長く遊べるので喜んでいた。門限は18時だった。15時ぐらいになると、今日遊べる時間ももう終わりかという感覚に陥っていたような記憶がある。

友達の家のリビングの壁に掛け時計があり、自然と視界に入っていたこともその心情に拍車をかけていたのかもしれない。

僕は昔から時間を意識する(させられる)ということは楽しい時間を奪われるというような認識でいたと思う。

前置き終わり。

僕は今、一般的な会社員だ。日々、時間の制約を受けて過ごしている。

仮に月曜日から日曜日までの一週間の長期休暇があったとする。

一般的な会社員にとっては、一週間程の長期休暇は年にそうあるものではない。ない人もいる。この休暇をどう過ごすかについて計画を立てる人もいるだろう。前半の月~木の4日間で何かしようと予定を立てるとする。そうすると残りは3日間だ。

この場合は、実際は連続した7日間があるわけだが、意識的には4日間+3日間に分かれてしまい、後半はただの3連休という認識になる。心に時間の制約をかけられてしまい、せっかくの長期休暇なのに、かなり損をした気分になる。

矛盾するが、6日間時間を気にせず楽しみ、残り一日で休息をとる。このようなスケジュール感が好ましい。

本来は時間なんか何も気にせずに休暇を過ごしたい。

人によっては、行動する前は詳細に計画を立てないと行動できない(したくない)という人もいるだろう。

かなりざっくりいうと16タイプのJ型だ。僕(P型)の偏見だが特にTJ型はガチガチに
計画やスケジュールを立てているイメージがある。

計画やスケジュールを立てることに対して僕は、時間に縛られて窮屈に感じないのかとか、あまりガチガチに固めても状況によって変わる可能性もあるから、大事なところだけおさえておけばいいと思っている。当たり前だが、P型といっても事前に調べて予定を考えておくことはままある。また、予定調和感がつまらないと思う場合もあれば、計画が立てられていた方が良いと思う場合もある。

仕事上では、とりあえず締め切りに間に合えばいいかぐらいの認識でいることが多い。一応、合間合間のスケジュールは設定しているが、大体後ろにずれるので、締め切り間際に急いで間に合わせている。

計画型の人は短期的な計画は言うに及ばず、長期的なライフプランのようなものでも、詳細に計画を練っているのだろうか。少し気になる。

話は変わるが、もう一つ過去のエピソードがある。

中学生のころ、教室の時計がいつの間にか気づかないうちに10分ほど遅れていたことがある。授業が終わるまで後10分かと考えていると、チャイムが鳴り授業が終了した。得をした気分だった。それを見たある生徒が、時計を正しい時間に合わせようとした。僕は内心、余計なことをするなと思ったが、ただ僕が嬉しいという理由しか止める理由がないので静観していた。

こういう事態はたまに起こるのがいい。時計が10分遅れているのが常だと脳内で補正して時計を見てしまう。

似たような話で、針の進みが早い時計はないのかと考えたことがある。例えば、50秒で1分を刻む時計があると、実際には1分で10秒余る。1時間で600秒(10分)、24時間で240分(4時間)余り、実際は「もうこんな時間か」が「まだこんな時間か」になり得をした気分になる。しばらくその時間で過ごしたいので、僕の持っている時間を表示する機能があるものは全て進んだ時間表示にならないかと思う。

楽しむ場合は時間を刻まない方が断然良い。逆の場合は、時間を刻んだ方が良いこともある。

僕の場合は仕事がそれにあたる。会社の業務時間が9時から18時なので、とりあえず3時間毎に刻んで意識をする。「12時になった。昼飯食べよう。あと6時間」「15時になった。休憩してこよう。あと3時間」「18時になった。帰ろう。(実際は帰れない)」

これはある一週間についても一緒で、あと何日行けば休みになるかという時間に縛られたつまらない日々を過ごしている。

何事もそうだが時間を忘れて夢中になっている時が一番楽しい。最近は、時間を忘れて何かに夢中になることは少ないと感じている。そうは言っても時間の制約は邪魔だと思っている。

社会人になってからは、仕事以外では今後のプランのようなものをあまり考えなくなったように思う。
僕は小学校低学年の頃は飛行機のパイロットになりたいと考えていたが、いつの間にか頭の中からその想いは無くなっていた。中高の頃はなんとなく過ごしており、運良く大学に進学できたが、特にやりたいこともなく、大学生活を過ごしていた。卒業後は学んだことを活かせる仕事には就けたものの、この仕事を40年間続けるのは無理だと思いながら今に至る。

自然界には不老不死に近い生物もいる中、僕たち人間は寿命という時間的制約に縛られている。日々の過ごし方、年間の過ごし方、人生の過ごし方など、それぞれの過ごし方に対して
あらかじめ時間を刻んで考えているのかは人によって様々だろう。

僕自身は完全にその場しのぎの生き方はしていないつもりだ。ただ、計画型の人と比べると、長期的なライフプランなどは何も考えずに生きてきたと思われても仕方がないと、ここ最近は痛感している。

甘えかもしれないが、あまり時間にとらわれずに、好きな時に生き、好きな時に死ぬ、そんな人生の過ごし方が理想的だ。


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