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面従腹背

ふと思い浮かんだ仕事上での話があったので書いてみる。

面従腹背(めんじゅうふくはい)
表面では服従するようにみせかけて、内心では反抗すること。

コトバンクより

言葉の検索結果で使い方などをざっと見ているとネガティブなイメージがあるように表現されているように感じたがそうかなと思う。人間、腹の中では何を考えているかわからないものだ。

詳しい内容は覚えていないが、新人の頃、3つぐらい上の直属の先輩に業務上のアドバイスをもらったことがあった。多分、仕事の進め方だとかスケジュールの組み方のようなことだったと思う。

僕から質問したのか、先輩から話しかけてきたのかも定かではない。おそらく先輩からだろう。
というのも、なんてことはない出来事のはずなのに時間が経った今でもなぜか覚えているからだ。
僕が嫌うことのひとつに何かを命令されることや意見を押し付けられることがある。これに該当したから記憶に残っているのだと思われる。

先輩としては、新人である僕に対しての善意や先輩としての立場からのアドバイスをしたいという形での感情や思惑があったと思う。だが、何かが引っ掛かった。

専門知識の考え方などであれば大人しく素直に従っていたと思われるが、仕事の進め方やスケジュールの組み方などは新人とか先輩とか関係なくないかという気持ちでいた。好きなようにやらせてくれと。自分のやり方でも与えられたミッションを期日までにクリアできるという自信があったからこそ、そう考えていた。クソ生意気な新人である。

当時、僕がどういう行動をとったかはわからないが、「はい。わかりました」と返事をして好き勝手にしていたのではないかという昔の自分に対する信頼感がある。僕ならきっとそうする。この件について何かをやらかしたという記憶はないのでうまくいったのだろう。都合が悪いことは忘れている可能性もある。

こういった体験を踏まえて自分に言い聞かせていることがある。いついかなる時も先輩や上司が正しいとは限らないということだ。会社に雇われている者同士は、大なり小なり能力や立場の違いがあるだけだろう。雇用主からすればどっちが利益になるかぐらいの指標でしかないと思う。立場が上の人間の方が期待値みたいなものが高いというだけで能力が高い者が常に正しいとは限らない。疑う気持ちも大切だ。

明らかに指示に従った方が良いという場面で、反対の行動をとって会社に不利益を与えることはまずいとは思うが、自分の裁量で何とでもなりそうなことについては、望む結果が得られれば細かい過程は別にどうでもいいんじゃないかと社会人になって10年近く経った今でも感じている。指示通り動くのは楽かもしれない一方で、思考停止人間にはなりたくないので心の中では反抗的な態度をとることもある。不安だったら何も考えずに指示に従えばいい。疲れていたり、面倒くさい時に何も考えずに指示に従った結果、始末書を書くぐらいのミスをしたこともある。

会社と会社員は労働力を提供する対価に給料をもらっている対等な関係だと思うので、自分の意に反することや、雁字搦めの立場に追いやられてストレスを溜めるぐらいならさっさと別の会社にいつでも転職できる能力を身につけたいとは思っている。

僕自身は常に何かに反発している人間ではない。ただ、常に何か考えているような人間だとは思う。会社員には余り向いていないのかもしれない。

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