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後編【自戒&注意喚起】胆のう摘出体験記

胆石ができやすい人に多い特徴が以下らしい。

・40歳〜の女性
・肥満
・あぶらっこい食生活
・急激なダイエットをする
・空腹の時間が長い
・色白(欧米人て意味だと思う)

ほぼワイや。

まごうことなきワイや。ワイが歩く胆石製造機や。胆石=ワイや。

これまで良いと思っていた事すべてだめだったようでびっくりしている。
卵は体にいいと思ってよく食べていたし、レバーは貧血予防に食べまくってたし(そもそも好きだけど)、悲しいのはおととしの2桁ダイエットが決め手っぽかった事。悲しい。痩せれば痩せるだけ健康になるものだと思ってた…。

ちなみにアルコール自体は原因とは違うらしい。罪なのはあぶら。もともとマクドナルドとか豚の角煮=強烈に油っこいものを食べるとものすごく体調が悪くなる体質だったのはどうやらこの胆のう関連が引き起こしていたっぽい。脂肪分を分解する能力が低かったようだ。納得。へぇ。

豚の角煮は中学生の時から「3個まで」って決めるくらいしんどかったんだけどもうその頃には胆のう弱かったの…?(震)




前説はさておき、前回に引き続き全身麻酔の腹腔鏡手術で胆のう摘出に至るまで〜退院の体験記、後編スタート!(長文です)

■5/10(水) 続き
・手術へ〜笑いが止まらないおもち「これ現実ですか?」
 ・目覚めから麻酔が切れるまで
 ・石井先生が石を持ってきたよ
 ・眠れない中鳴り響く緊急地震速報

■5/11(木) 入院生活〜「石井先生、帰りたいです」
 ・仕事して寝転んで生活「腹筋痛すぎる」
 ・その頃彼ピ(猫)は一体
 ・シンクロした親友の手術開始
 ・石井先生の一言「多分意味ないから」
 ・退院が決まって一気に良くなる体

■5/12(金) 退院〜夢か現実か
 ・普通に起きれるやん
 ・退院へ…しかしトラブル発生
 ・ようやく退院へ

■その後〜ガッツありすぎ問題と保険の話
■石の写真(あんまりグロくはない)
■おまけの余談


■5/10(水) 続き
・手術へ〜笑いが止まらないおもち「これ現実ですか?」
11時20分頃、看護師さんから「手術は14時からになりそう、ただしその前の手術が巻いた場合は早まるかも」との知らせを受けながら術着に着替える。血栓ができるのを防ぐためにメディキュットみたいなものも装着。
すると10分後にまた看護師がやってきて、「50分には行きます!」と告げられる。
今やん!もう今からやん!
父には一応LINEを入れておく。(何かあったら連絡がいくらしい)

手術に向かうときも手術室の前で待っているときも、ハイテンションに看護師さんに絡むおもち。「このテンションのノリと勢いを保たないと急に怖くなったり弱ってしまう気がするのでハイテンション保ってる」と言うと「それがベストだ」との返答。よし。合ってた。

手術室の手前で一旦女性の医者?看護師?から説明を受け、「名前」「生年月日」「なんの手術をするか」を聞かれる。取り違えを防ぐためだ。
そしていよいよ手術室の扉が開くと中で医者が何名か待ち受けていた。一斉ににこっちを見る。「すごいお出迎え!」と思わず言葉に出して笑ってしまう。ちょっとスター気分。そこからは早かった。

またお得意の「これ現実ですか?ドラマ?」を連呼しつつ、ベッドに寝る。指に酸素計をつけられる。あ、右側に立ってるの石井先生だ。毛布?布?をかけられてその中で術着を脱がされる。あれよあれよと麻酔のマスク装着。何かが入ってくる。「ネイル可愛いね〜私はできないからいいな〜」と女医に声をかけられ「これセルフなんですよ〜うふふ可愛いでしょ〜うふ…」と話していたら次はもう

「○○さーん!!○○さーーーん!!聞こえたら返事して!!」
「あ、はい…」(声が出ない!)(耳が聞こえにくい!)

終わっていた。これが全身麻酔である。手術室に入ってから2時間経っていた。

ちなみに手術は全く怖いと思わなかった。経験したことない事を経験できる!という楽しみしかなかった。変な奴である。


・目覚めから麻酔が切れるまで

入院中の景色
窓際が羨ましかったな〜

目覚めてからは術前に説明されていた通りとにかくすごく喉が痛かった。(酸素管?を通して抜いた影響らしい)せーので手術室のベッドから病室のベッドに移され、(重くてすんません…)ガラガラと病室まで運ばれる。とにかくだるおも。意識はあるけどぼけぼけしてて体がだるおも。そして寒い。指先が冷え切っていて寒い。震えそうだった。なんならこのときが一番命の危険を感じて怖かった。痛む喉から声を振り絞って電気毛布を追加してもらう。

その状態は数時間続いた。点滴や酸素計、酸素マスクに心電図も鬱陶しかったが血栓ができないように足につけられたマッサージ機が一番邪魔だった。プシューという音とともに定期的にふくらはぎを締め付けるやつ。なんかものすごく鬱陶しくて早くこれを!一番に取ってくれ!と思いながら数時間過ごした。

・石井先生が石を持ってきたよ
どのタイミングだったか忘れたが、まだ動けない所に石井先生が体内から取り出した胆石を持ってきてくれた。めっちゃ見たかった。石井先生は「これ、取り出した石です。置いておきますね」くらいで淡々と去っていった。まだ動けなかったし意識が朦朧としていたのですぐに見たかったのに見れなくてうずうずした。
3時間くらい経ってようやく意識もはっきりし、足のマッサージ機をいの一番に取って貰った。そして石を見る。この石は最後に画像貼っておきます。見たい人だけどうぞ。例えるならちょっと小さめのアボカドの種。(2cm大。結構大きい方らしい)

・眠れない中鳴り響く緊急地震速報
とにかく早く帰りたかったので、麻酔が完全に切れてすぐに自分の力で起き上がりトイレに行く姿を石井先生にも看護師にも見せた。そして「痛み止め?いりません!歩けます!」を繰り返した。石井先生は少し呆れていた。本当はすごく痛かったしまっすぐな姿勢を保てなかったし、腹筋が痛すぎて起き上がるのは腕の力だけしか使えなかった…。
回診のときに、石井先生の横についている男性の医者がGAGひろゆきに似ていることに気づく。石井くんとひろゆき。最高の組み合わせやん。喧嘩始めてくれないかな…。

術後は麻酔の影響で消灯時間まで何度もうとうとしてしまい、消灯の21時から起床時間の6時まで地獄の時間を過ごす事となる。何度うつらうつらしても寝れない。夜行バスに乗っているときのような地獄。何度時計を見ても15分しか進んでいなかった。太陽が待ち遠しかった。

そして朝方、ビュイっ!ビュイっ!と緊急地震速報の音が病室に響き渡った。
えぇ…マジかよ…。とんでもないおまけやん…今なんかあっても全く動けないって…と思っていると周りのベッドの人も「えぇー…」と声を出していた。そしてガタガタと揺れがやってくる。体感は震度3くらい。おおごとにならなくて良かった。本当に。大地震のとき病院にいる人なんて災難すぎるな〜と震災の時は思っていたけど、危うく自分がそれになるところだった。「明日は我が身」をこの1日で身を持って体験しすぎ。

ちなみにみんな緊急地震速報で起きたのか、ついでに行ったトイレはむちゃくちゃ混んでいた。

■5/11(木) 入院生活〜「石井先生、帰りたいです」

・仕事して寝転んで生活「腹筋痛すぎる」
病院の朝は早い。7:30にはレントゲンを撮るためにエレベーターで1階まで行かなければならなかった。酸素計の線を一旦機械から自分で外し、腕の力だけでベッドからなんとか起き上がり点滴棒につかまってヨロヨロと歩く。とにかく腹筋が痛くて背筋をまっすぐ伸ばして歩けない。お年寄りくらい前屈みで歩く。

レントゲン室に着いてからも大変だった。ベッドに寝るのに腹筋が使えないから大人2人に支えてもらう。なんだかすごく情けなくて終わる頃にはあしたのジョーくらいに真っ白になった気分だった。それでもまだ時間は朝の8時。ジョーのままでは明後日の幕張の寄席は見に行くのは難しいな…と心が折れ始めていた。
しかし朝の回診では「とにかく帰りたい」を訴える力はあった。気持ちだけは強く持たないとズルズルする、という意識だけはあった。石井先生からは「うん」くらいの薄〜いリアクションしかなかった。

この日は痛みに耐えつつも仕事したり寝転んだりを繰り返し、背中までバキバキになった。しんどかった。

・その頃彼ピ(猫)は一体
昼間、部屋では通話は禁止されていたのでフリールーム的なところに移動して母に電話をかけた。するとわたしの大事な彼ピは実家の猫に威嚇され、こたつの中に入ったきり飲まず食わずでおしっこもしていないとのこと。これはまずい。まずすぎる。
1匹で留守番になってもいいから自宅に戻すよう懇願した。そして心折れかけた「即退院計画」をなんとしても遂行しなければ、と気持ちを強く持ち直す。猫パワーは偉大。お前がいるから俺がいる。

・シンクロした親友の手術開始
昼からは食事が始まる予定となっており、その前に点滴と酸素計、心電図が取れた。やったー!ここまで栄養をくれてありがとう点滴!
しかし頼りにしていた点滴棒を持っていかれて歩くのに苦労する。あとまた急遽点滴が必要になったときのために針は退院直前まで左腕に刺さったままだった。

おかゆ、汁物、鶏肉と野菜の煮込み、
かぼちゃとコーンのサラダ、パイン。
薄味好きだから味は好みだった


そして13時前、もうすぐ手術だという親友にLINEでエールを送る。次に会ったらお互いの手術報告会になるとは。恐ろしいシンクロだ…。
ちなみに親友は「血管腫」での手術。

・石井先生の一言「多分意味ないから」
昼の回診に来たときの石井先生とのやりとり。

「気持ち悪さは?」「全く無いです!ご飯食べられました!」「痛みは?」「あるっちゃあるけど悪くはなってないっすね〜歩いてますし」「酸素も問題なし、血圧も…熱もないね」「ないっす!」

「…明日帰る?」「え!?いいんですか?」

「うん。多分もう意味ないから」

あまりにバッサリ斬られると、「えっ!?」というびっくり感情だけしか湧いてこない。
そしてなぜか「あ~確かに、合併症とかもなければこのまま良くなってくだけだしここにいて回復するか家にいて回復するかの違いしかないっすもんね!!はは!」と自分で補足した。

石井先生は期待以上にコマンダンテ石井さんだった。

・退院が決まって一気に良くなる体
退院が決まりそうだと実家に連絡した後から急激に体の痛みが引いていった。石井先生すごくね!?と思った。彼の一言で一気に希望を持ち直し、体まで反応している。こりゃ「お世話になった医者を好きになってしまう現象」があるのも頷ける。(心理学の本で読んだことがある)
病は気から、をここまで体感する人生になるとは思いもしなかった。

夜の回診の時、レントゲンや血液検査も問題なかったので明日の午前中退院で決定、と石井先生からのGOサインが出た。ありがたかった。この頃にはもう石井先生の事が大好きになっていた。(心理学…)

夜ご飯
おかゆ、野菜煮、オクラ、魚(ぶり照り?)
魚うんまー

■5/12(金) 退院〜夢か現実か

・普通に起きれるやん
前日よりはだいぶ眠れた朝、もはや腹筋も7割は回復し見た目には問題なくスタスタ歩けるようになっていた。石井先生はこの回復速度も見越していたのだろうか。だとしたら神。お医者さんてすごいなと改めて思う。
そして何がらしいって、この日石井先生はお休みでいなかったのだ。最後の挨拶もさせてくれなかった。もうこれは石井くんやん…まるで石井くんの名言「許可なく好きになるな」を彷彿とさせるナイスドライだった。

朝ごはん
おかゆ、鶏野菜煮、白菜煮、ヨーグルト
たいみそという謎のかけもの付き
お粥が嫌いなので一度も完食できず
麦茶が謎に熱くてやけどした

・退院へ…しかしトラブル発生
迎えが来るのは10時の予定、それまでに荷物をまとめて救急車で運ばれたときの私服に着替えてちょこっと仕事をする。やはり服は役に立った。他の救急車搬送組は「迎えの者に着替えを持ってきてもらわないと…」と入院着のまま待っていた。(ちなみにわたしは隣のベッドの20日間入院してた人より大荷物で、自分のサンリオパジャマで入院生活を過ごしていた)

退院前、薬剤師と看護師と事務員がそれぞれ来て説明をしてくれるはずだった。が、待てど暮せど来るはずの「事務員」が来ない。
看護師に何度聞いても「順番に回ってるから」と言われる。11時まで待ってさすがに「まだ事務員が来ない」と父にLINEすると、

「もうお金払ったし5階(入院してた階)のフリールームで15分待ってるけど」

は?事務員が来てお金の話ししてくれるはずなのに?済み??
看護師に話すと慌てて確認しに行ってくれて、「手違いで話が連携されてなかったみたいです…もうお父様と事務員がやり取りしてお支払い頂いてるので帰れます…」
マジかよ…。待ちぼうけの両親、すまん。

あと、退院後の食生活こうしろとかそういう話も一切なかった。看護師を捕まえて、
「同じ部屋の盲腸の人に話してたのを盗み聞きしてたけど同じ生活すりゃいいすか?」
とちょっとキレ気味に聞いてしまった。
「そうしてください…」と言われたが後々調べたらたぶん制限なかった。でもまぁ、次の外来までは脂質と刺激物はできるだけ控えてノンアルでいこうと思う。

・ようやく退院へ
と、紆余曲折ありながらもなんとか病院を出る事ができた。前述の通り何故か費用を父に支払いされてしまったので落ち着いたら返そうと思う。

ちなみに気になる金額は3割負担で約15万ほど。わたしの場合、救急外来の費用が入っているので検査などで事前に発覚しての入院→手術だとまた異なると思う。そしてわたしはたったの2泊で済んでいる。術後に痛み止めも使用していなかった。参考にする場合はゆるーくでお願いしたい。(ちなみにわたしの場合加入している健保で高額医療費請求ができるので、5万?6万?円くらいを超える分は医療費が返ってくるらしい。助かった…)

父の車で帰ると猫がとても嬉しそうにすりすりごろごろしてくれて泣きそうになった。入院中、電話のスピーカーからわたしの声が聞こえるだけでキョロキョロしていたらしい。本当に可哀想な事をしてしまった。夜中に突然いなくなり、苦手な両親に拉致られ、知らん猫達が4匹もいる家で震えて過ごさせてしまった。しかも最近まで家出していた実家の猫からノミがうつってしまったので翌々日には病院に連れて行った。加えておしっこの出も悪かった。(病院も行ったし今は無事戻りました。ホッ)

退院した日の猫
ずっとついてきた


■その後〜ガッツありすぎ問題と保険の話

退院した後、両親が帰りまずはお風呂に入った。3日ぶりの風呂。控えめに言って最高だった。まだ腹筋が痛むのでシャワーだけにしたけどガビガビになっていた頭も洗い、ようやく普通を取り戻したなと実感。

そして翌日13日。幕張のステージを3ステした。
日曜には猫の病院に行き、月曜には有楽町の19時21時の公演をはしご。フルスロットルすぎ。
でもいつまでも家にいるほどの傷でもないし、動かない理由をつけるより動く理由のほうがあるな、と思ったので思いのままに動いた。多少の痛みはあったけど、「あのバス乗らなきゃ!!」と階段を駆け下りたりするには全く問題なかった。

今は傷の周りが痒いとかまぁ多少の違和感はあるが、全く問題なく動けている。石井先生はじめ、救急外来も看護師も皆明るかった病院の皆さんには本当に感謝している。(石井先生はテンション低男だったけど)

というか、石井先生があの夜に当直でいてくれたからあの病院が受け入れてくれたのかもしれない。わかりやすい消化器系の症状だったし、搬送を断られた方の病院には担当医がいなかったのかも。石井先生…ありがとう…。先生にはきっと二度と会えないから(会わないほうがいいに決まっている、もうあんな思いしたくない)代わりにこれからは元コマンダンテ石井くんを強く推していきます…。先生のおかげで急に石井くんがものすごくかっこよく見えてきたよ…(パラレルワールド)
※ひろゆきはもともと大好き

あの日から救急車の音に対する気持ちがガラリと変わった。呼んだ人が早く楽になって救われますようにと思ってしまう。


ーーーーーーーーーー
最後に保険の話。

わたしは猫の保険には入ってるが自分の生命保険には入っていない。(これを話したら親友が爆笑していた)

最後に変な話をするけど、わたしは3月頭くらいに実家に帰ったときにとてもとても気づきたくなかったある事に気づき(これについてはまた別に書きたい)、家族との連絡を2ヶ月絶っていて

「体壊してそのまま死んじゃいたい」

と思いながらものすごくヤケクソな生活を送っていた。酒量も増えて毎日飲みまくり、食べまくり、とにかく体に悪いことばかりしていた。

でも今回知ったのは病気になったとはいえ現代では救われてしまうということ。
いくら体壊して死にてぇーと思ってても、石井先生しかり医者に「こういうことなんで、治しましょ」と言われたら「へい」と答えてしまう。
壊れた体は治る。そうしたらもう生きていくしかない。

じゃあ、保険、いるわ。
めっちゃ、いるわ。

わたしはアホだった。今、自分に合う保険を探しているところだ。(猫のときは迷わず月々の支払いが高くても3割負担になるものを選んだ…猫のことなら迷いないのに…)

■石の写真(あんまりグロくはない)
お待ちかね(?)の取り出した胆石の写真です。苦手な人はバックしてね。
胆のうごと摘出したけどそれはさすがに見せてもらえてない。ちぇ。見たかった。






病室にて

コロコロうんちみたい。実際、開けて嗅ぐとしばらくは臭かった…!(もう匂いはない)

戒めとしてお菓子を入れている引き出しにこいつを入れてみた。視界に入ったらあの痛みを思い出してきっと留まることができるはず。

暴飲暴食ダメ、ゼッタイ。


■おまけの余談
術後は何時間かトイレに行けないので、尿道カテーテルを入れるかもしれないと言われていた。
結果的に目覚めたときカテーテルが入ってなかったので良かった!と思ったのだが、違和感があった。

おむつ履かされてた。

最近生理じゃないのに不正出血が多くて嫌だなと思ってたのだがなんとそれが発動したらしい。
おむつ履かされるところを石井先生は見ていないと信じたい。




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