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前編【自戒&注意喚起】胆のう摘出体験記

これは5月10日(水)の未明に救急車を呼び、そのまま入院→手術→5月12日(金)の午前中にスピード退院した体験記です。
病名は「胆石症」、手術は「腹腔鏡下胆嚢摘出術」。


本当に一瞬の事だったので「あれは本当に自分に起こったことなのだろうか?」とも思うのですが、お腹の4ヶ所の傷跡に現実だったのだと思い知らされております。

■序章〜気配は確実にそこにあった〜
■5/9(火) 暴飲暴食と奇跡のシンクロ
■5/10(水) その日はやってきた
 ・未明の痛み→救急車を呼ぶまで
 ・地獄の搬送先探し
 ・ようやく病院へ〜はじめまして石井先生(仮)
 ・入院〜仕事は休みたくない

■序章〜気配は確実にそこにあった〜
普段からおもちもちもちのnoteを読んでくださっている方は覚えているだろうか。

・水ちゃんに会うのが楽しみすぎて危うく救急車を呼びかけた話
・【23版】わたしが一体何者か、というお話

この時の症状がまさに今回発症した胆石の症状だったのだ。
2回もこの症状が過去に起こっていて、かつ自分の場合は看護師の友人に聞いた時「たぶん胆のう関係じゃないか」と言われていた。ビンゴすぎるビンゴだった…。この時ちゃんと病院に行っていれば救急車を呼ぶほどの耐えられない痛みが出る前に摘出できていたのだ。
アホ!!私のアホ!!

■5/9(火) 暴飲暴食と奇跡のシンクロ
小学生の頃からの親友の誕生日が9日だったので家で1人酒をかましながら今度ご飯でも行こうね〜とLINEを送っていた。その会話の中で親友が「血管腫ができちゃって明後日手術なんだ〜」と言っていた。

この親友は「マナ」「カナ」、「こうへい」「ゆうへい」くらい私と名前も似ているし、家族構成も同じで、好きなもの(TOKIOとイエモン)も同じで、知り合う前から飼っていた犬が兄弟で(同じ公園で拾っていた。見た目完全に同じ)、上京先が本当に偶然に同じで駅の南口と北口に住んでいた、くらいとにかくシンクロする事の多い人生だった。
そうなんだ、もう私達もいい歳だし健康第一だよね〜なんてこの時言っていたのがものすごい盛大なフラグになっていたなんて…すごい話だ。

ちなみにこの日の暴飲暴食は正直うろ覚えだが
・ビール…350ml缶×2
・ハイボール…自分で作ったものを5杯くらい?
・レモンサワー…350ml缶×1
・砂肝(セブンのカップのやつ)
・レバー(セブンのなんかおいしいやつ。新商品)
・お菓子(じゃがりことか)
・お好み焼き(ローソンの)
・ちょっとだけ米

あとは忘れた。普段より少なめの量な気がしているけどこれがしっかりトリガーとなってこのあとの事件に至る。

■5/10(水) その日はやってきた

・未明の痛み→救急車を呼ぶまで
日付が10日に変わって既に就寝していた深夜の0時半頃。強烈な痛みと吐き気で目が覚めた。その時の感覚は「あ、この痛み知ってる」。
この病気はわかりやすくとにもかくにも体の右側が痛い。右側のみぞおちから背中にかけての激痛。激痛としか言いようの無い激痛だ。そして激痛からくる吐き気。あまりの痛みに脂汗をかき、唸りながらトイレに行ったり布団に戻ったりを繰り返したのちネットで調べてファストドクター→県の救急相談に電話するも「うちじゃ対応できない。救急車呼べ」と言われる。冷たい。そういうものなんだろうけど冷たい。そんな気軽に呼べないやん救急車なんて!だから相談したのに!
と思いつつ、痛みで文字通りのたうち回りながら耐えに耐えたが2時半頃に我慢できずとうとう生まれて初めての救急車を呼ぶ。それまでに痛みで既に4回嘔吐していた。とてもタクシーを呼んで夜間外来に自ら行ける状態ではなかった。

・地獄の搬送先探し
後々役立ちそうな気がして必死でちゃんと着替えて、保険証の入った財布とスマホをポシェットに突っ込んで救急車を待つ。ここからが地獄だった。
救急車はすぐに来たのだけれど乗り込んでからの症状の聴取→搬送先探しでものすごく時間がかかった。実際、最初に救急隊が電話した病院は搬送を断られている。(担当の病院の中でも専門がどうとか色々あるらしい)
「断られた」と救急隊に言われたわけではないが電話をかけ直している空気から察して絶望した。とにかく痛すぎて「もう今すぐどうにかできないなら殺してくれ!!」と思っていた。本当に痛かった。もう唸るしかなかった。

・ようやく病院へ〜はじめまして石井先生(仮)
幸いなことに2つ目の病院で受け入れが決まり、搬送しながら救急隊が父親に電話。15分で病院に着く。
ここで救急車の揺れと運ばれるベッドの揺れで盛大に嘔吐。(「袋ください…」だけは告げて死ぬ気で服は汚さなかった)痛すぎて嘔吐なんて初めての経験だった。しかも何回も。本格的にこれは尋常じゃない何かが起こっていると自覚。ふと視界に入った自分の腕が真っ白でびっくりしたのを何故か覚えている。

またもや症状を細かく聞かれながら「痛いのをとにかくどうにかしてほしいです」を連呼した。
「脂っこいもの食べた?」」「はい、痛いです…」「お酒はどれくらい?」「えっと…えっと…ビールがあれでハイボールが…とにかく痛いんですぅぅぅ!!」みたいな。この繰り返される聴取は救急車に乗った時もそうで、仕方ないとわかっているけれども本当にしんどかった。意識を保たせる為に喋らせてるのもあるのかな?そうじゃなければ「救急隊からうまく申し送りしてくれよ!!てか電話で伝えてたやん!!」と思うほど何度も同じような事を聞かれてすごくしんどかった。

痛み止めの点滴をして貰ってからどれくらい経ってからかは忘れたが、だんだん痛みが引いてきたあの時の安心感は忘れられない。本当にありがたかった。皆さんわたしのせいで忙しくしてごめんなさいと心から思った。
痛みが落ち着いた頃、CTとレントゲンを撮る。それを見ながら救急医達が症状に目星をつけ、消化器外科の専門医を呼ぶ。そして確定した病状の説明のためにわたしの前に現れた。


そこに訪れたのはコマンダンテの石井さんだった。




見た目もだけど、声とか話すテンションとか会話の温度感(ここ大事)がすごく似ていた。ここから担当医の先生をせっかくなので「石井先生」と呼ぶ。

石井先生が「結構大きな胆石ができている」「胆管で詰まったりして炎症を起こしたりすると死ぬ事もある」「見つけたら胆のうごと取るのが1番」「幸いにも今日手術の時間が取れそうだから取ろう」「5日もあれば退院できる」ということを淡々とわかりやすく、まさにあの石井さんのテンションで説明してくれた。無駄が一切なかった。

わたしは痛みが引いた事でCTを撮ったあたりから非現実な現状をようやく感じ取り謎にハイテンションになっていて、もはや笑いながら「今日ですか?手術?ほんまに?わたしがですか?スピード感ありすぎませんか?夢ですか?」と聞き返した。先生も少ーしだけ笑った。(このあたりもまさに石井さん)

二度とこんな痛みを繰り返すのは嫌だしもはや断る理由もなく、石井先生の仰せのままに入院して手術する事が決まった。青天の霹靂、電光石火という言葉が頭をぐるぐる回っていた。

・入院〜仕事は休みたくない
石井先生の説明の後、既に病院に駆けつけていた父親と面会し自宅から持ってきてほしいものを伝え、退院まで彼ピ(猫)の面倒を見てもらえるようお願いした。

そして1〜2時間ほど病室のベッドの準備ができるのを待った。時間は5時半くらいだったがそういえば、と思い出して親友に「わたしが救急車で運ばれて先に手術になったw」と送るとすぐ返事が来てめちゃくちゃ戸惑っていた。そりゃそうだ。

そらびっくりするやろ




病室の準備ができたとの知らせを受けると看護師さんに案内され救急外来から消化器外科の病棟へ移動。その時担当してくれた男性看護師さんが底抜けに明るくて、ハイテンションになっていたおもちとシンクロしてお喋りがはずみまくった。

左腕に点滴が刺さっていて点滴棒とともに歩いているのなんて嘘みたいに「いや〜こんな事あるんすね〜!救急車も入院も手術も初めてっす!これ現実っすかね?うたかた?うふふ」とかましまくるおもちに「そうだよね〜びっくりちゃうね〜」と答えてくれて、ここで明るく話せた事が安心して入院生活を過ごせて早期退院に結びついた一因じゃないかと思う。
ちなみにこの時身長と体重を測って貰ったら、身長が1.5cmも伸びていた。嘘だろ?

部屋に着いたのが6時頃で、そこから9時頃まで少し眠った。夜通し苦しんだのでさすがに眠かった。
起きたら看護師さんが荷物を届けてくれたので(面会はできない病院なので父が預けた受付から看護師さんが持ってくるスタイル)会社のiPhoneとパソコンを取り出し各所に連絡。今日は手術があり、終わっても麻酔が切れないだろうし休むが、明日からは合併症がない限り普通に働きます、と伝えて上司を驚かせた。「ブラック企業みたいやないか」と言われたが正直、有給がもう1日しかなかったので働くしかなかった。病院代かかるし。まぁ普段からすごく忙しい仕事とかではないし、この判断は的確だった。在宅ワークで良かったと心から思った。

看護師さんに手術の時間の説明を受けて「恐らく14時くらい」「もしかしたら前の手術が巻けば早まるかも」と言われる。
そこからもう一度眠り、その時を待った。

結果、巻きに巻いて11時50分頃に「今から行きます!」と言われる事となる。



長くなりすぎるので後編へ。




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