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いわしの梅煮

先週の月曜、朝。今までで1番出勤したくない朝を迎えて、ひゅう、と喉の奥が冷える感覚がした。

何があったわけでもない、強いて言えば大学時代の友達に週末に会っていたくらいだ。



その週末は、久々に千葉に出向いた。

千葉には恋人が住んでいるので、月に1回程度、千葉に出向いて、大学時代より見慣れた愛おしい街並みと、恋人と付き合い始めてからよく行くようになったコーヒー屋とサンドウィッチ屋と、季節ごとに変わる街ゆく人の服装と、そんな景色を享受しては、選ばずして配属を命じられた愛知県にとぼとぼと帰っていく生活を続けている。

ただ、大学時代の友人が未だ多く住んでいる千葉に行って、恋人とだけ会って帰るのは私としては心持ち寂しくもあった。

そのため、「恋人に会うための千葉」ではなく「友人に会うための千葉」を久々に設けようと思った。

友人に会うための千葉は非常に充実した時間だった。恋人は週末の間毎日バイトだったので、昼夜基本的に様々な友人と過ごしたが、大学時代に通っていた居酒屋をはしごして、あら久しぶり、なんだか大人っぽくなったね、などと声をかけていただいたり、バイト時代の友人とアフタヌーンティーなんかしばいちゃったり、鳥貴族で喧々轟々と男女の恋愛論について語ったり、日比谷公園で花見をしながらパンを食べて、知らん子どもと落ち葉を拾って遊んだりした。合間合間で、バイト終わりの恋人と居酒屋に足を運んだりもした。


大学時代のゆるやかな幸福、詳らかに思い出を掘り返せば行き場のない悲しさや癒せない苦しさもあったが、やはりこうやって時が経って思い返してみると、ゆるやかな大きな幸福だったのだと、強く感じる。

モラトリアムと称されることが多いが、優しい制約と甘く少し汚い自由が混在し、堕落や過ちも全て「大学生のうちに経験しておくと良いよ」と許され、ぐちゃぐちゃのパレットがそれさえも美しく感じられるような、ある種麻薬のような刹那的な快楽を孕んだ大学時代。

あの甘やかな時間にいつまでも浸っていたら社会不適合者だ、ピーターパン症候群のモラトリアム人間だ、子供部屋おばさんだと罵られてしまうのだろうが、1年やそっとじゃあ、あの時間にやはり後ろ髪引かれてしまう。


そんな大学時代に3日間だけでも足を突っ込んだおかげで、身体はモルヒネを打った状態に。月曜の朝、動悸と過呼吸、震えが止まらない。

いつも仕事は楽しくないなと思いつつ、朝9時から夜21時まで働いて、まあでもお金になるから、死ぬわけじゃないから、と、朝の動悸や夢にまで出る営業成績のノルマにも耐えていた。ただ1年経って少し緊張の糸が解けたのだろうか。大学の友人に会った温かさと、こんな仕事をいつまで続けるのだという冷ややかな不安との寒暖差で、思い切り自律神経を揺るがしてしまった。

自分が情けなくなり、その月曜は出勤こそしたもののずっと後ろめたい気持ちでの勤務だった。





1週間走り抜けたので週末は、できる限りやさしいご飯を作ることにした。

少し遠くの、野菜とお魚が安いスーパーに行って、安くなっていたほうれん草やいわしを買った。大好きなむかごも特売になっていたが、一人暮らしでむかごを使い切れるのかしらと不安になってカゴから出した。

自転車の後輪がパンクしてしまったので、自転車屋さんに持って行った。スーパーと同じ商店街にあるその自転車屋さんは、白髪で姿勢のいいお爺さんが1人でやっていて、「今日は暖かいね」「そこのスーパーに行ってきたの?」などと優しく話しかけてくれた。お代は1200円だと言われ、小銭を持ち合わせていなかった私が2000円を出すと、「小銭ないの?今いくらある?」と返すお爺さん。小銭入れに入った150円を見せると、「1150円でいいよ、うちも小銭ないから800円お釣り出す方が大変だ」と少年のような笑顔を向けた。


空気がたっぷり入ったタイヤを走らせ、自転車は春の生ぬるい風を切る。家に着いた私は、特に意味もなくタイヤを親指で押して、満足して自転車を停めた。

特売になっていたいわしは梅煮にした。実家でよく食べたメニューだった。実家の梅煮は鰯の骨までほろほろに煮付けられていて、私はそれが好きだったものだが、私の作った梅煮は骨の存在感が抜群で少しがっかりした。ただその時間もなんだか笑えた。




きっとこれから働いていく中でも、動悸が止まらない朝も、布団から出られない朝も、涙が止まらない夜もあると思う。

ただこんな日を、ささやかな幸せや喜びがひどく大きく救いになる日を、だいじにだいじに生きていきたい。こんなすてきな日を過ごしても嬉しくもなんともなくなったら、俺は仕事を辞めるぞーーー!ジョジョーーー!!

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