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【教育×自分に超正直=おもろい】内定を蹴って世界一周したライターは、いま誰よりも地に足がついている〜森木あゆみさん〜

ようこそ、「おもろいオペッタヤン」の世界へ!
このWebメディアでは、わたしたちがみつけた最高に「おもろいオペッタヤン」たちをご紹介していきます。
記念すべき第1回に登場くださるのは、めっちゃおもろい人はもっとも身近なところにいた!ということで、本メディアの編集メンバーでもある森木あゆみさん。

あゆみさんは、大学卒業後にとある企業に内定が決まっていたにもかかわらず、旅に出たいという気持ちを抑えきれずに内定を蹴って旅を選んでしまったというとっても正直な人。その後、25カ国をめぐる世界一周旅行に出発したものの、その途中で底を突きかけた旅費を稼ぐためにライターになったという、エピソードの概要だけでワクワクしかしない人です。

しかしそんな破天荒さとは裏腹に、とても落ち着いた雰囲気のあゆみさん。彼女の秘めたるパッションに迫ります!

森木あゆみ

1992年京都生まれ。フリーライター、編集者。大学卒業後、25カ国をめぐる世界一周旅行を経てフリーランスのライターに。執筆だけでなく、徹底的にサポートするライティング講座も展開。
https://chikitabi.com/
https://twitter.com/ayuchiki_2

就職よりも旅したい!

大学時代は臨床心理学を専攻していたというあゆみさん。体験型の授業が多く、印象に残っている授業は、二人一組でペアになり、片方が目隠しをして見えている方が目的地まで誘導する信頼がテーマのワーク、レーズンを30分見つめ続ける物の捉え方の授業など、ユニークなものだったそう。同時に先生もユニークで、アロハシャツにサングラス姿で「この人どうやって生計立ててるんだろう」と思わせるような人もいたとか。

そんな環境が、のちにあゆみさんの現在にも通じる個性を形作ってゆきます。大学卒業を間近に控えた4年生の秋、あゆみさんはちょっと遅めの就活をスタートします。

あゆみ
天の邪鬼なんですけど、普通の就活はしたくないと思って「就活 おもしろい」で検索したら就活ドラフト会議みたいなのを見つけたんです。就活生が自己PRをして、それを見た企業が指名するイベントで、とある飲食の会社の人に指名してもらいました。何度か面談を繰り返すうちにその人事担当者の方と働いてみたくなり、内定が人事職だったこともあって内定先に就職するつもりでした。

しかし、就職することを決めきれなかったというあゆみさん。その理由は、卒業の直前に青春18きっぷで京都から岡山、広島、島根を旅したときに「あ、したいことはこれや」と旅することへの情熱が芽生えてしまったからだそう。

あゆみ
その半年くらい前にも、世界一周してる人のエピソードを集めた本を読んで、それがすごく面白くって。そこから世界一周の旅したい!って思うようになりました。

就職目前の3月中旬に内定を断り、旅費を稼ぐためフリーターに。神戸のファッションビルで販売職として1年働きましたが、20万しか貯まらなかったそう……!

あゆみ
すごくアホなんですけど、そのときけっこうおしゃれなシェアハウスに住んでしまって、あんまり家賃が安くなかったんですよね…。あと、旅に出る実感がなくて、けっこうお金使っちゃいました(笑)。

しかしその20万を元手に、あゆみさんは翌年2016年の4月に旅立ちました。

小説「深夜特急」に影響されてスタート地は香港にしたのだとか

香港、マレーシア、タイ、ラオス、ベトナム、カンボジアを巡りましたが2ヶ月を過ぎた頃に途中でお金がなくなり、帰国することに。

あゆみ
20万でもなんとかなると思っていました。でもまあ結局20万ではなんとかならなかったですけど(笑)。

帰国後は1ヶ月なにもできなくなったというあゆみさん。それはいわゆる「燃え尽き症候群」のようなものだったと言います。

あゆみ
憧れてた旅はこんなもんだったのか、意外とできちゃったなぁと思ったのと、旅先の国について自分は何も知らないと感じ、いろんなことを知りたくてずっと本を読んでいたんです。途中でお金がないことに気づいて「やば!」と思ってバイトを始めました。
でもその頃は、焦りみたいなものは不思議となくて。同年代の友達は働いてるわけですが、なんとかなると思っていました。20代前半に旅しようと決めたのも、若いうちなら巻き返せる、帰国して働くにしても第2新卒や既卒など新卒以外の就職が受け入れられ始めた頃だったので、就職できる可能性はある、と思っていました。

7月〜10月の4ヶ月で40万の旅費を稼ぎ、あゆみさんは再び旅立ちます。次はニューヨークからスタートし、キューバ、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、モロッコ、イスラエル、パレスチナなどなど、最初の旅から数えると25カ国を合計8ヶ月かけて回りました。

その途中、モロッコにある砂漠沿いの町に高速バスで到着したあと、迎えにくるはずのホテルスタッフが現れず、高速バスも発車してしまい、置き去りにされるハプニングが!Wi-Fiもなく途方に暮れたあゆみさん。どうやって乗り切ったのでしょうか??

こんなところで置いてけぼりに…

あゆみ
さすがにこのときは「やばい、ここで死ぬの?ニュースになったらどうしよう」とか思ったんですけど(笑)。でも本当にめっちゃ運が良くて、その高速バスの中に日本人の大学生がいて仲良くなっていたんです。その子たちが泊まるホテルの名前をたまたま覚えていて、地図で調べたら歩いてたどり着ける距離だったので、ホテルに行って事情を説明して、助けてもらいましたね。
焦りましたけど、こんな状況でも助かる自分って運が良いんだと感じて、じゃあ旅を続けようって思いました。

イスタンブールのゲストハウスで執筆をスタート

そんなハプニングに出会いつつも、この旅の途中であゆみさんにとってその後の転機ともいえる出来事が起こります。情緒あふれる街イスタンブールで資金が底を突きかけ、出国できないピンチに?!

あゆみ
いつも入国したときに次の国だけは先に決めておくんですけど、そのときに残高が5万ちょっとしかなくて、あ、行かれへんわと。そこでお金を稼ごうと思い、本当はデザインに興味があったのですがすぐお金を稼げるのは書くことだなと思って、クラウドソーシングでライターの案件を探して観光スポットの記事を中心に書き始めました。見るとこいっぱいあるイスタンブールにいるのに、ゲストハウスにこもって「何してんのやろ」と思いながら書いていましたけどね。

この部屋で記事を書いていました

そもそもライターになりたいという夢はなかったというあゆみさん。しかし、中高生の頃に流行ったガラケーでのサイトづくりやブログ、mixiなどの経験から、なんとなく書ける気はしていたと言います。

あゆみ
最初はほんとに1本500円とかでした。いま必要な額がこれだけだからその分書こうという、自転車操業みたいな感じ。でも、そのときも不思議と焦りはなくって、仕事は見つかったからお金はなんとかなるという思いと、あとは「旅たのしい〜」みたいなテンションが勝ってたんだと思います(笑)。

あの有名なバンクシーの絵を見にパレスチナ自治区へも

そんな経験を経て帰国。その後は、自由気ままな旅の生活に慣れきった自分に会社員は無理だろうと、そのままライターとして独立することを決めました。24歳のときでした。

よそはよそ、うちはうち

手応えは感じていたものの手探りで始めたフリーライター。旅の話を書くことに始まり、お金になりやすい美容やダイエットネタを手がけたことも。しかし、楽しくないなという思いからライターを始めて半年経った頃にその案件は継続のお断りをし、本当に自分が書きたいと思う旅行や留学のテーマに絞って書くようになりました。結果、収入も増えたそう。

しかし次なるピンチはやはりコロナ禍で、旅行や留学関係ばかりだったお仕事はほとんどなくなってしまいました。そのときに始めたのが、ライティングを人に教える「講座」の展開です。

あゆみ
講座を始めたのは新たな収入源になるかなと思ったこともありますが、何よりも昔の自分がほしかった“居場所”を作ろうと思ったから。私は3年目くらいまでは全然稼げなかった上にライター仲間もいなくてどうしたらいいかわからなくて。同じような人はいっぱいいるだろうなぁと思い、そんな人たちの“救済場所”になったらいいなと思って始めました。

そうやってスタートしたのが「ちきらいてぃんぐ講座」。2022年の夏で11期目を迎えます。5週間に渡るオンライン講座と添削、マンツーマンの面談という構成になっており、質問・相談は卒業後も永遠に受け付けるという懐の深さ!講座のコンセプトは「収入を10万円から20万円まで伸ばすこと」とし、その目標を達成するためには徹底的にサポートする手厚さが魅力です。

しかし、そのコンセプトは現在「自分のペースで生きる」ということにシフトしているとか。その理由をあゆみさんはこう説明します。

あゆみ
フリーランスにとってTwitterって必須のツールですが、そこで私がライターになった2017年当時に「今月●万稼ぎました!」とか「目標●万だったけど●万足りませんでした、次がんばります!」とか、自分の収入を公開するのが流行っていて。膨大な作業量をこなせるのは睡眠時間を削ってガンガンやる努力家の人が多いと思うんですけど、全員ができる訳ではないよなぁって。特に女性だと生理周期とかもあるから頑張れないときもある。

でも、そういうつぶやきを気にしちゃう人はそのくらい頑張るのが普通なんだ、頑張れない自分はダメなんだって思ってしまう。

私もそう思ってた時があるのですが、あるときふと「よそはよそ、うちはうち」と思えたことがあって。物事の捉え方で心持ちも変わることを伝えたくて「自分のペースで生きる」というコンセプトにシフトしつつあります。

SNSによる影響は絶大です。こと、フリーランスにしてみれば仕事につながる可能性もあるため、もはやライフライン。そのなかで、自分の心をかき乱されずに「よそはよそ、うちはうち」マインドになれたのは、どんな経緯があったのでしょう?

あゆみ
この2〜3年くらい、自己分析をすごくやってて。これまで自分がどんな生き方をしてきたのか、どんな考え方のクセがあるかとか。そこで、自分は物事の捉え方がすごくネガティブだなと気づいたんです。たとえば、原稿に修正が入るとまるで自分が否定されたかのように落ち込んでしまうとか。それは、あくまで文章に関することであって自分のことではない。事実と感情を分けるっていう認知に変えるように訓練したというか。

あと「自分はだめだ」って思うのって思考停止な気もしていて。落ち込んでる時って自分を責めがちですが、自分はだめだと考える状態は何かしているようで実際には何もしていないってハッとしたときがあるんです。「やるべきは落ち込むことではなくてフィードバックに向き合うこと!」って思って。

同時に、コロナ禍で収入が0に近くなったことは、複数の案件を手掛けることでリスク分散をしていなかったことにもあると気づいたあゆみさん。当時付き合っていた人に「好きなことしてるのに全然稼いでへんやん」と言われても言い返せなかったことも相まって、「書く」ことに加えて「教える」という新たな道を得たのです。

理解して寄り添う

新たなフェーズに立って、それまでとは少し違う景色が見えてきたあゆみさん。講座中は毎週受講生と1時間のオンライン面談がありますが、そこで見えてきた新たな学びは「コミュニケーション」にあると言います。

あゆみ
私を含め、いまの20代の人って頭ごなしに言われることをすごく嫌がる人が多いように思うんです。例えば「収入が20万しかないんです」と悩んでる人に「もっと書いて稼げ」って言うのは違うなと。だって本人は書きたくないことを書かないといけなくて苦しいとか、体力がないとか、そういう背景を知った上でアドバイスしたほうが相手も受け入れられると思うんですよ。

言うほうも伝えるべきことは伝えつつ、受け取る側が受け取りやすい表現にする義務もあるなって思うんです。

だから、受講生との面談では受講生が9喋って私が1返すようなやりとりになるように心がけています。そもそも、相手の背景を知る前に「この人は自分の話を聞いてくれる」という関係性を作らないといけないから、そのためにもしっかり聴くことを意識していますね。

「まずは1回聴く」を心がけているというあゆみさん。これは、ご自身が意識している「事実と感情を分ける」にも通じる姿勢です。

例えば、友人や彼氏からLINEが返ってこないという状況があったとしたら、不安だからと相手を責める前にいったん立ち止まって考えるのだと言います。例えば…

①単純に忘れている
②疲れていて返せない
③会話は終わったと捉えられた
④次またすぐ会うからいいやと思わている
⑤もともとLINEが苦手な人だった

…こういうことも考えられるなと。

こんなふうに、他者とのコミュニケーションにおいてまずは相手の事情を受け止め、理解して寄り添うという姿勢を大事にしています。

これってまさに「オペッタヤン」=「教える人」に重要な心持ちですよね。相手を理解し、状況を理解し、そのうえでの言葉がけでなければ相手の心には届きません。有り体に言えば「傾聴」と言えますが、傾聴ほど難しいこともないと思うのです。
それができるあゆみさんは、これまでのどんな経験が活きていると思うのでしょう?

あゆみ
大学での経験6割、旅での経験4割くらいかもしれません。大学を卒業して驚いたのは「世の中の人ってこんなに人の話聞かないんだ!」ということ(笑)。臨床心理学部でみんながカウンセラーを目指していた環境のせいか、みんながうんうん、とすごい話を聞いてくれる。そのコミュニティをいざ出てみたら、まず「みんなめっちゃ喋るやん」ってすごいびっくりして。

同時に「世の中の人ってこんなに他人のこと否定するんだ」っていう驚きもありました。大学のときはみんな受け入れてくれる人ばっかりだったので、すごくいい環境だったと社会人になってからなおさら感じます。その経験は今活きているかもしれないですね。

いつもどこかで「なんとかなる」と思ってる

とても軽やかでクリアな感性を持っているあゆみさん。そんなご自身の強みはなんだと思いますか?と問うと、こんな答えが返ってきました。

あゆみ
たぶん、楽観的なところかな(笑)。高校に進学するときも3月ギリギリまで決められなかったし、就活も遅かったし、結局その内定もギリギリで蹴ってしまうなど、全部遅い(笑)。

モロッコの砂漠で置き去りになったりコロナで仕事がなくなったりして、でもいつもたぶんどっかでなんとかなると感じていたんだと思います。どんなに状況が悪くても「でもきっとこうなるよね」って都合のいい方向に考える癖があって。過去に何度も立て直せたこともあって、その経験が大きいと思いますね。

けっきょく、自分自身に対する「大丈夫」という気持ちが、ギリギリのところにいる自分を救ってくれるのですよね。わたしたちは「大丈夫」という土台をつくるためについ理屈でいろいろ根拠集めをしてしまいますが、焦りながらもご自身の経験からその土台をつくってきたあゆみさん。静かななかにも強い芯を感じる理由はここにあるのか、と感じます。

そして、いつも自分の感性に正直なあゆみさんは「周りを気にして自分を押さえつけることはしない」と言います。決められないことは決めない、頑張れないことは頑張らない、良いと思わないものには「いいね!」しない。ものすごくあたりまえなことのように思えますが、それって生きていると実はすごく難しいときもあるのではないでしょうか。

そんなあゆみさんの、これからの夢とか目標ってなんですか?と尋ねてみたところ、地に足のついたとても彼女らしい答えが。

あゆみ
実はあんまりなくって…。「旅」って出てくるかなって思ったんですけど、最近はあんまり旅への欲求って湧いてこなくて。それはたぶん、これまでの人生でやりたいことをやりきったからな気もするんですよね。だからこそ、まだ知らない未知のものやこれから出会うことになにかおもしろいことがあるのかもって思います。

だからこの先一番望むことは、今のこの「ちょうどいい普通の生活」がちゃんと続くこと。生きるうえで「普通」が一番難しいと思っていて。他人から見たら違うかもしれないですけど、自分としてはいますごく「普通」の生活をしているんです。この一番難しいであろう状態がいつまで続くのか、試してみたいですね。

同時に人と関わることは続けていきたいとも言うあゆみさん。わたしたちがつい忘れそうになる「自分に正直に」という感覚を自然に身にまとう彼女は、とてもリラックスしていて緩んでいて、人生や世界にたいする信頼感で満ちていました。
だからこそ、言葉にし、対話し、紡いでいくことができる。
フリーランスとして、ライターとして、自分自身を商売道具として生きるあゆみさんだからこその言葉がたくさんあふれるインタビューでした。

「よそはよそ、うちはうち」と、子供のころに言われたかもしれない言葉は、今まさに自分自身の心に向けて、ポジティブに投げかけられるエールなのかもしれません。

Interview & Edit by いけかよ


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