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20人の「40歳」との対話 Part1(1人目~4人目)

撮影:荒牧耕司

こんにちは。大宮冬洋(43歳)です。
当たり前のことですが、3年前は40歳でした。
人生の節目なので、いろんな同い年と語り合いたいと思ったんですね。
その内容をまとめた『40歳は不惑ですか、惑ですか』は10万字ほどの長編?になりました(2017年12月刊行)。
対話に付き合ってくれたのは、僕の幼馴染から仕事仲間までの20人。
古びない内容だと思うので(僕たち自身は古びますけど)、改めて4人分ずつお届けしていきます。
僕たちの腹を割った語り合いに参加するような気分で読んでいただけたら幸いです。

1人目 畠山くんの話

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朝8時から夜時まで、12時間勤務の国家公務員

 40歳、なっちゃいましたね。自覚のないままになってしまいました。改めて考えると、独身のまま実家暮らし。40歳の姿としてありなのでしょうか?
 少し前までは他人事のように「そろそろ結婚しなければいけないのかな」と思っていました。でも、最近は「所帯を持ちたい」と自分のこととして感じています。
 私生活を充実させたいと思ったきっかけは、今年の4月から業務の質と量が変わったこと。仕事に対する熱意が今まで以上に高まっています。エンジンの回転数が上がっているのです。だから、私生活でももうちょっと頑張ってみようと思っています。
 仕事は国家公務員です。東京から仙台、大阪と転勤し、6年前に東京に戻ってきました。現在は霞ヶ関勤務。といっても、自分の部署は国会対応がないのでいわゆる「不夜城」ではありません。
 朝は6時半過ぎに(埼玉県)所沢市の実家マンションを出ます。出社時間はフレックスなのですが、自分は電車が混む前に通勤したいので早めです。8時前には出勤して、平均すると20時頃に退庁します。遅くても21時には出ますよ。
 夕食は家に帰ってから母が作っておいてくれた料理を食べます。残業中にお腹が空いてしまったときはカロリーメイトのようなものを少し食べて力をつけることが多いです。最近のお気に入りは『一本満足バー』。キャッチコピーは「夕方からの頑張りに!」ですよ。まさにぴったりの食品でしょう。
 朝8時から夜8時まで。毎日12時間は職場にいることになりますね。霞ヶ関は終電帰りや午前様、徹夜も当たり前の世界です。いまの自分が長時間労働だとは思いません。もっと忙しい部署にいたこともあるので、長い時間を働くことには肉体的にも精神的にも慣れてしまいました。
 自分の所属する省には技術屋さん(技官)が多く、自分はその事務的なサポートをしています。出張も多いので旅費の計算だけでもひと仕事です。肩書は係長ですが部下はいません。歓送迎会の準備などもやりますよ。
 でも、40歳なのだからもうちょっと人間的に厚みがあってもいいのになあと思うことはあります。今の自分には納得がいっていません。正直に言うと、30歳前後の数年間すごくダレた時期があったんです。
 自分は肌にアレルギーがあります。10年前は症状がひどくて、常にカサカサしてかゆみがひどかったのです。精神的にも不安定になりました。人の視線が気になるというよりも自分自身が気に病んでしまい、積極的には外に出られませんでした。
 今から思うと、やりがいのある業務を任せてもらっていた時期でもありました。でも、大学を卒業して働き始めて仕事に慣れてきたところだったので、なめていたような気がします。最低限の仕事しかやりませんでした。全力投球をしたのか、真剣にやったのか、と振り返ると恥ずかしくなります。何事にもやる気がなくて、自己嫌悪になり、健康状態もますます悪化する。悪循環でしたね。
 もっと若いときにがんばっておけばよかったなという後悔。一方では、「40歳なんだからまだまだやれる。駆け回れる」という気持ち。常に2つの自分がいるのを感じます。40歳は「不惑」なんて言われるけれど惑い悩むことは少なくありません。

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