いつか猫と暮らす
夢に猫出てきちゃった。
会いたいですよ。実家の猫に。世界一かわいい。
猫って身軽の対義になるような概念じゃないの。厳密には猫との暮らし。猫自身は身軽そのものですよ。身のこなしもそうだし、気ままな振る舞いもそう。そんなとこもひっくるめて愛らしい。でもやつらって移住型の生き物じゃないじゃん。縄張りで暮らすタイプでしょ。旅猫とかって若いオスもいるけど、猫との暮らしを想定したら一つの家でずっと一緒に暮らすのがベストじゃん。少なくともうちのこたちは移動にかなりストレスを感じてるように見えた。だから猫と暮らすってなったらどっかに根を張らなくちゃなんだよね。今じゃないのよな。完全に。
この思想に基づくと、夢に猫が出てくるってのは安定を望む深層心理の発現な気がする。経済的な基盤が安定してないとそもそも猫とは暮らせないし。嫌だねえ。そうかあ。僕は安定が欲しいのかあ。そこに対するアンチテーゼみたいな気持ちで安定の外の世界に飛び出しているつもりなのに。結局生理的なところで僕は安定に屈するんだ。根っからの旅人や冒険者にはなれないんだ。なりたい自分とは往々にして適正から外れているものなんですね。
受け入れて強くならなきゃね。実の僕は奔放でも創造的でも孤高でも理性的でもなんでもない。甘くておいしい楽の果実にすぐに手を伸ばしてしまう。おまけに自分のためだけに実ってくれとどこかで願っている。甘えきった根性の持ち主さ。そのくせいっちょ前の嫌悪感まで抱えているというね。
卑下が関節的に他人を貶めるのと同じで、他者に向ける嫌悪もまた自分に向いているということ。もっと理性のブレーキ利かせてよ。
なんだか袋小路にいる気分だ。ここからはひとりで抜け出せるんだろうか。他人はあてにするなよ。でも怖いよな。わかる。
本当に助けを必要としている人間は助けたくなる姿をしていないってよく言うよな。助けが必要なのかどうかはわからん。でも少なくとも、君は今助けたいと思われるような姿はしていないと思うよ。
まあそも論助けられてるようじゃ意味がないんですけど。
もっと頑張れよ。ばか。いつか猫と暮らすんだろうが。
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