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琥珀に封じ込めていたわたしの気持ち──『琥珀の夏』の感想文


普段はTwitterに書いているんだけど、140字じゃ到底足りないから、noteに読書感想文を書くことにしました。

そういえば小学生のときから本を読むのは好きだったけど、感想文は嫌い。なにを書いていいのか分からなかった。
感想なんて面白い、ワクワクした、つまらないのどれかでしょ?って思ってた。

けど『琥珀の夏』を読んだとき、止まらない感情がいまペン(指)を急がせている。




■わたしと辻村深月先生の出会いと別れ


※わたしの辻村深月コレクション。


わたしにとって辻村深月は大学生のときの愛読書だった。当時気になっていた先輩が勧めていて読み始めた、という安直of安直な理由。

最初に読んだのは『スロウハイツの神様』だったように思う。あまりの面白さに上下巻を2日で読み終えた。

登場人物が繋がっていると知って、所沢のBOOK・OFFで100円の棚だけでなく、300円、さらには単行本の棚まで探して読み漁るほど。(貧乏学生だったわたしが300円以上の本を買うのには毎回決心を必要としていた)


一緒になって名前を探した。一緒になって閉じ込められていた。一緒に旧友に会えた懐かしさを感じていた。


そう、辻村深月の本はわたしをその中の一員にさせてくれる。主人公になるときもあれば、友だちになるときもあるし、住人になったり、研究室の仲間になることだってある。


──と思っていた。
なのに。
社会人になって、なんとなく彼女たちの輪に入れなくなっていく感覚があった。


友人関係でいえば話が合わない。
決して嫌いなわけではなく、ただただわたしが見ているものと、彼女たちが見ているものが違う。そう感じていた。


だから遠ざかった。距離を置いた。

友だちだってそうじゃないですか?学生時代はしょっちゅう連絡取っていたのに、2~3年たつとだんだん共通の話題が減っていて、なんとなく進歩しない昔話ばかりになってくる。楽しいけど、どこかつまらなくて下らないとさえ思ってしまう。
そうして連絡を取らなくなっていったじゃないですか。

そんな感覚だったんです。




■紀伊国屋書店新宿本店で見つけてしまったラブレター


そんなわたしがなぜ辻村深月の本を、しかも単行本で購入したのか。

たまたま平日休みに新宿に用事があったので、紀伊国屋書店新宿本店に行った。そこで店員さんのもはやポップとは言えない、辻村深月へのラブレターが公開されていたのです。

※写真を撮るのがなんとなく恥ずかしかったので、Twitterを紹介します。


このラブレターを読んだとき、「あ、わたしがいる」って思いました。「辻村深月の小説みたい」とも。
この手紙を書いた人はわたしと同じような時間を、わたしと同じように冷めて過ごしていたのだろうか。
店員さんの世界にわたしも入ってしまった気がした。



■小学生と40歳をいったりきたり


※ここからが感想です。

読み始めてすぐに気づく。自分の感情をコントロールできない。

舞台は静岡の山のなかにある〈ミライの学校〉。そこでは自主性を育てるために子どもたちが親と離れて共同生活を送っている。

そんな〈ミライの学校〉に通っている子と夏の合宿に参加している子と、それぞれが大人になった後の物語。

読み始めて15分。わたしは10歳の小学生になっていた。
友だちの悪口を言われてムカッときたり、
その子がわたしの好きな先輩と話している姿をみて胸がざわついた。
友だちのことも大好きだけど、クラスの人気者や年上の先輩への憧れもあって気持ちが揺らいだ。その友だちとは都合いいときだけ話した。

そしてまた20分後。わたしは40歳の母であり、社会人になっていた。子どもがかわいい気持ちと憎い気持ちを押さえきれず、呆然とした。

ただ年をとって環境が変わっただけじゃない。
自分が勝ったのに、勝って嬉しいはずなのに、相手のことを思うと胸が苦しくなったり。相手の表情や仕草、言葉がけを通して憎みきれなくなったり。
人を想う気持ちも、ちゃんと成長した。

物語が進むにつれて感情が動く。揺れる。揉まれる。投げ捨てられる。
1つの物事に対する想いは1つとは限らない。
嬉しくて悲しい。
寂しくて温かい。
憎いけど愛おしい。
真実を知りたいけど知りたくない。
好きだけど嫌い。
180度相反する感情だけど、だけれども、全部ほんとうのわたしの気持ち。
──わたしはまた辻村深月ワールドの一員になれたのだ。

■”変わる”と”成長する”は似ているようで違う

社会人になってから自分は”変われた”と思っていた。子供から大人に”変わった”のだと。
子供のときと違って仕事も恋も遊びもぜんぶ大人の仕事と恋と遊びに変わった。だから好きだったものを変えたいし、辻村深月ももう合わない、そう感じていた。

──けどこの本を読んで気づいた。わたしは変わったのではない。ただ成長しただけなんだ。

〈ミライの学校〉という組織の中に彼女たちを閉じ込め、時を止めて、思い出を結晶化していたのと同じことだ。琥珀に封じ込められた、昆虫の化石のように。時が流れ続けていることを、理解しているつもりでいて、本当はまるでわかっていなかった。
『琥珀の夏』353ページより引用


子供のときのわたしも、大人になったわたしも、どちらもわたしなのに。
ただただ勝手に分けて考えて、”変わった”からと言っていた。時が流れ続けていることを、本当に理解していなかった。

琥珀に封じ込められた昆虫は美しいし、高価で売買されているそう。(価格.comで調べたら100万超えているものもあった)けど過去を美化しすぎてはいけない。

過去とは違う考え方や思い、信じているものがあるからこそ、だからこそ過去もちゃんと大切にしていきたい。その時の色を変えずに持っていたい。


■紀伊國屋書店新宿本店の店員さんへ

店員さんが辻村深月さんに長文ラブレターを送られたように、これはわたしから店員さん、あなたに向けたラブレターになってしまいました。(しかも長文度合いを超えている)

あなたの素晴らしいポップとは到底言えないポップを拝見し、雨の日に重たい文庫本を買ってしまいました。買わずにはいられませんでした。

まだ読んでいない辻村先生の本があと3冊(朝が来る、かがみの孤城、傲慢と善良)あるので、またあなたラブレターを見て購入したいと思います。

この本に出会えて良かったです。素敵なラブレターをありがとうございました。


※ただでさえ古本なのに、読みすぎて帯がボロボロになっている2冊。

辻村深月先生、大好きです。

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