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全部理解しているけど言えないので 2024/4/24

深夜に一度起きてから中々寝付けず気が付いたら朝になっていた。目がぼやけるなと思ったらものすごく泣いていて、夢の内容をぼんやり思い出した。夢の中で私はタイガースのサードを守っていて、試合でミスばっかりしてそれが悔しくてベンチで泣いていたのだった。あと何故かでかい焼売を食べていた。昨日の試合の相手がベイスターズだったからだろうか。とにかくすごく泣いていて驚いた。無職だって悔しい時あるからね。なにも考えず無職やってるわけじゃないから別に。でも悔しい~!って気持ち、起きている時は野球を観ている時くらいにしか出てこないから、もう自分の人生の諦めレベルは結構進んでしまったのかもしれない。暗黒小学生時代くらいからずっと、いつ死んでも良いなと思っていたので本当の意味での悔いとかはない。朝から暗いことに気付いちゃった。私の人生はもう終了しているのかもしれない。

地に足を着ける前から気付いていたけど、昨日の登山のせいでふくらはぎが死ぬほど痛い。立つだけで痛い。ふくらはぎって筋肉痛になるんだ。ミニバスをやっていた時に一度つったことはあったけど、筋肉痛で立つのが辛いのは初めてかもしれない。ヨボヨボで窓を開けると雨が結構降っていた。横浜はどうだろう。今日の試合中止になっちゃうかな。昨日の最後の打席の度会くんの悔しそうな顔、他球団の選手だけど辛かった。阪神ファンだけど、他の球団の選手全員活躍してほしいと願っている。できるだけ長く野球を続けてほしい。昨夜妹が「例えばものすごく会社に行きたくないとして、本当にそうなってほしいと思っていないとしても、心の中で悪いことが起これって思っちゃうのは私だけかな」と言っていて、そんなことないし私だってめちゃくちゃ思っている。例えば会社に行きたくなくて、もしかして強い台風が住んでいる地域に直撃して歩くのも困難な風が吹き荒れたら、会社来なくて良いよとかそういうことにならないかなと考えるくらい誰でもするだろう。本当に台風が来てほしいなんて思っていなくても、嫌なことをなんらかの大きな力が台無しにしてくれないかな、と小さな可能性を思い浮かべることはよくある。スポーツだって、相手の選手今日は調子悪いとかないかな、と自分が勝てる可能性を考えることもあると思う。私はあった。相手が電車遅延で来れなくて不戦勝にならないかなとか。その小さな小さな可能性を信じるくらいなら、自分の力で良い方向に持っていこうという強い信念で突き進んできた人たちがいろんな分野のプロなんだよなと思ったりもする。自分の力で良い成績を残したい、チームを助けたい、みんなと勝ちを喜び合いたい、そう思って実行できるのが強い人なのだ。一握りのすごい人達だ。どうか強い自分を信じて、前を向いて立っていてほしい。

昼ご飯は春限定醤油味の焼きそば。YouTubeを覗いたらお抹茶がR-1で披露したネタの新バージョンが公開されていた。



前の曲とほとんど曲調が変わっていなくて良かった。このネタは歌詞を覚えてしまうくらい好きなのだけど、R-1で披露された当時、なんだろうこの……なんとも言えない、なんと評価したら良いのかわからない気持ちは、というモヤモヤに審査員の小藪さんが「お風呂で思いついたのそのままやっちゃった?」と言語化してくれてすっきりしたのを覚えている。最高に面白いし好きなのだけど、じっくり考えました、というネタではないよな、という気持ちの名前は「お風呂で思いついたネタ」だったらしい。今日も再生したら新鮮に面白くて、それがまた面白かった。

Twitterで遺族年金が廃止されるかもしれないという記事を見る。ますます結婚とかいう制度、どうでも良くなってしまうな。妹と話し合ったら、「じゃあ我慢して結婚の契約してる意味ないしもらえるうちに殺しちゃおって殺人増えそう」と言っていておっかね~と思った。でもありえる。なんらかの理由で全然好きじゃない人と何十年も結婚生活をしていた場合、なんだったの今までの我慢、とはなりそうだ。私の中で結婚って、好きな人と好きですって伝えあって、協力して一緒に暮らしていきましょうねという愛に溢れる制度だと思っていたけどそうでもないのだろうか。幻想なの?一緒に小さいソファに座って映画観たり、休みの日は炒飯作ってだらだら話しながら食べたり、そういうのが結婚じゃないのか。わからない。幸せな恋愛も結婚も経験がないので全然わからない。結婚しましょう、となった決め手とか、その過程とか、そういうものが幸せであってほしいと願うのはおかしいのかな。自分のことを好きになってくれる人や自分が好きになった人と好き同士になるだけでも奇跡みたいなことなのに、結婚って幸せなことじゃないのかな。幸せな結婚エピソードだけ聞いていたいし、その人達がずっと幸せでいてほしいと私は願うよ。自分自身がそうはなれないと知っているから、私の好きな人達には幸せでいてほしい。

というかそこまで一緒にいたい!と願うような人に出会ったことがないのが問題なのだろうか。死んでるの?私の感性。自分ルールが多すぎて他人と暮らせない、というか暮らせはするだろうけどストレスがガンガンたまっていきそう。こここうしてよ、が言えないし、こうしようよ、という提案も妥協もできないから。自分も他人もないがしろにしそう。この人のことすごく好きだなと恋愛的な意味で思える瞬間が他人に対してほとんどない。必ずどこかしら無理な部分が出てくる。じゃあ無理じゃん。それも含めて愛せるのが恋愛?世に存在する恋愛ソング、自分に当てはめて共感するということができない。へ~楽しそうだなという感じ。オタクなのでキャラに当てはめて聴くとかはできるけど、内心そんなこと本当にあんのかよと思ってしまう。あれば良いなと願ってはいるけど。人の好みは千差万別だけど、自分はそこに入ってないことをちゃんと理解している。だからどうにも当事者になれないのかも。自分の容姿とか性格が終わっているのを知っているから、こんな自分を好きになってくれる人がいないことを子供の頃から大人の悪意によって思い知らされているから、恋愛って夢物語だということを知っている。かわいい女に産まれたかった。来世か~。でも人間に生まれ変わりたくないな。

自業自得なことをぼそぼそ言われても、なだけでホント申し訳ない。無職なのも幸せな恋愛ができないのも全部自分のせいです。でもなんで私はこんなに結婚に憧れみたいな感情を抱いているのだろう、を考えながら書いていたらこんなうるせーな愚痴ばっかり、の文章になった。世間で普通とされていることが何一つできていないことに焦りを感じているらしい。今更。誰とも会う資格も話す資格もない人間らしいので、とまた誇大解釈しては勝手にへこむのは私の必殺技みたいなものです。ここは自分の日記だから良しとする。今日見た夢の中で優しくしてもらって、なんかすごく嬉しかった。今まで生きてきた中で優しくしてもらったことなんてたくさんあるはずなのに。嫌なことばかり脳裏に刻まれて忘れられないものだ。

『ダンジョン飯』のED、映像も曲も大好きで何度も観てしまう。美しいものって現実じゃないところにこそあるのかもしれない。



サポートなんてしてくださった日には嬉しくってもう小踊りです。夕飯のおかず増えちゃうなこりゃ