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嫌われたいわけないけど 2022/5/31

先輩にタメ口きいちゃうことある。

そうです。先輩、後輩、自分みたいな場面で敬語とタメ口ごっちゃになりがち人間こと、私です。


今回ちょっと暗い話です。

過去の話ですがご注意下さい。


自宅でぼんやりプロ野球を見ていると、最近運動することが極端に少なくなったなあと思う。

社畜時代はほぼ毎日10時間以上ぶっ続けで立ちっぱなしだったので、運動不足でもそれなりに疲れた、と感じることはあったが、退職してからは毎日の30分散歩以外そんなに運動することがなくなった。

運動は得意ではなかったが、親からの強いすすめと、まあ運動すること自体はそんなに嫌いじゃないしなという感じで高校生まではずっと運動部に所属していた。

練習はまあまあ真面目にやる方だったし、結果がでれば楽しいと感じることもあったが、1つ絶望的なことがあった。

私は昔から先輩や大人といった年上の人間にあまり好かれない。

所謂「かわいい年下」とはかけ離れている私は、高校生の頃まではどこへ行っても年上にはかわいがられなかった。

最初に「あ、これ嫌われてるわ」と感じたのは小学生の時。

私が通っていた小学校は、男子は野球、女子はミニバスケットボール(バスケットボールよりコートが狭くボールが小さい競技)チームに所属するという暗黙の了解があって、私も当然のごとくミニバスチームに入った。

正直野球の方が全然好きだし、中学に上がったらソフトボール部に入りたいと思っていたので、ミニバスをやることはそんなに乗り気ではなかったのだが、我が小学校は田舎のくせに変にいじめ等があって、野球チームに入ると女子からいじめを受けるおそれがあったのでいやいやミニバスチームに入ることに。

最初の頃はしょうがなくやっていた練習も、上手くなるにつれだんだん楽しくなっていき、高学年になるころにはスラムダンクに激ハマりしてバスケが好きになったので、もっと上手くなりたいと思うことが増えた。

しかし、ここで立ちはだかる年上の壁。

チームには外部から50代くらいの男性がコーチとして雇われており、毎週の練習と試合の際は必ず体育館の隅で指示を出すか、練習に参加してくれていたのだが、私はこのコーチが苦手だった。

当たり前だが、年上の人間にとってのかわいい後輩、教え子、部下みたいなものは、自分を慕ってくれるかわいげのある人のことだろう。

私はというとその反対で、無表情で愛想もない。反応も薄ければ面白味もない、かわいくない年下だったと思う。

大学生になってバイトを始めてからわかったことだが、愛想よく振る舞うのが苦手だからといって努力を怠ると、周りとは打ち解けられない。円満にやっていきたいのならそれなりに愛想を身につけなくてはならないし、感情を表に出し辛いのなら少しオーバーにしてでも自己表現をしなければ理解してもらえない。

小学生の私は、いまよりもっと何を考えているかわからない子供だったし、自分的には気を使ったりしていると思っていることでも、相手に伝わっていないことが多かった。そして、それを自分のせいだと思っていなかった。

そんな状態だったからかはわからないが、コーチの態度は明らかに私と周りの子とで違っていて、チームに所属していた3年間の中で、私は練習中に指導を受けたことはたぶんほとんどない。

自分の運動センスが良くないことは理解していたので、人一倍練習も頑張ったし、少しでも上達したくて休憩時間も練習していた。

でも、コーチがそれをほめてくれることはほぼなかったし、人数が少なく、自動的にレギュラーを取れていたとはいえ、6年生の途中でチームに編入したバスケ初心者の転校生に試合の出番を取られることも増えた。

いくら私にセンスがなかったとはいえ、3年近く練習していて、初心者よりヘタということはない、と信じたいが、現にコーチには「お前ヘタだから」と言われていたので本当にヘタだったのかもしれない。

しかし、当時絶対的な存在だった大人から言われた「お前ヘタだから」という言葉は、小学生の私には重くのしかかって、長い間引きずることになる。

小学6年生になり引退も近づいたある日のミニバスの練習中、チームの1人が、「コーチに感謝のプレゼントをあげよう」と提案したことがあった。

みんなそれに賛成し、コーチとの思い出を語りだして泣く子もいた。保護者達もそれに賛同し、予算を決めてお別れ会をしようということになったのだが、私はどうしても、コーチとの楽しい思い出が浮かばなくて困惑したのを覚えている。

だって、私はコーチになにかしてもらったことがあっただろうか?練習前に挨拶しても自分だけ無視され、練習中はキツい言葉を投げられ、必死に練習してもスタメンを外されて。

こんな思いをしたのに、ありがとうなんて言って花束を渡して、悲しそうな顔をしなければいけない?

無理だな。と思った。

泣いているみんなの顔を見て、なんで泣いているのだろうと思った。こんな自分が、コーチに感謝するなんて到底無理だと思った。

号泣しているチームメンバーに、なんで泣かないの、悲しくないのと責められたが全く泣けなかった。

コーチの私への対応は、前々からチームメンバーにも親にも相談していたが誰もわかってくれなかった。そんなわけない。被害妄想だ、スタメンを外されるのは練習が足りないからだ、と逆に責められ、そうなんだ、私が悪いんだ、と思わざるを得なかった。

そして来るお別れ会の日、地域の小さな公民館の一室を借りて、チームメンバーと保護者、コーチが集まってお菓子やジュースを楽しむ会が開催された。楽しそうに話している同級生達と対照的に、公民館の古い畳に座る私は、本当にびっくりするくらい無表情だったと思う。

会も終わりに近づいたころ、保護者の提案で、引退する6年生の幼少期の写真をスクリーンに映してコーチに誰だか当ててもらうという催しが始まった。

小さい頃のかわいい写真が次々と映し出され、コーチがどんどん答えていく。みんなは楽しそうにスクリーンを見ているけど、私は、自分の番がくるのが嫌だった。

もうほとんどメンバーが残っていない最後の方で、私の幼少期の写真が大きく映し出された。嫌な予感がした。誰でしょう!という保護者の声に

「わからない」

コーチはこう答えた。

あの時の、ほらね、という、何も期待していなかった、しかもそれが目の前で確定された絶望感を今でも覚えている。

公民館が、しん、と静かになった。

それまで軽快に答えていたコーチが急に冷たい声でわからないと言ったのだから、みんなどう言って良いのかわからなかったのだろう。

私は何も言わなかった。周りの保護者達は、明らかに私に気を使って、コーチ、あと2人しか残ってないですよ!面影あるでしょ?とひきつった笑顔でコーチに話しかけている。

その催しがどうなって終わったのかは覚えていない。その前の出来事が私にとってショックだったのだろう。小学生の頃なんて、大人は絶対的な存在だ。その大人に、自分が明確に嫌われているという事実はまあまあ辛かった。

その後、コーチにプレゼントを渡す時間があって、保護者が私を花束を渡す係に任命した。みんな泣いている。もっとバスケやりたかった、コーチにもっと教えて欲しかった、という声が周りから聞こえる。

バカみたいだな、と思った。

やっと解放される。好きになったバスケを、この人のせいで嫌いになる時間からやっと解放される。これ以上無理してバスケを嫌いにならなくて良いのだ、と思ったら急に気分が軽くなって、隣にいたチームメンバーに花束を渡した。え、なんで、渡しなよ、と私に言う不思議そうな顔が、私は羨ましかったのかもしれない。

「コーチ私の事嫌いだから、渡してあげて」

私の手から花束が離れた瞬間、全部から解放された気がして嬉しかった。




嫌な子供か。

この後普通に私から花束渡したし親からは怒られるし、チームメンバーからは変に慰められたり怒られたりしました。私自身は何も後悔していない。

実際は5年生の途中くらいから卒業生のお兄さんが1人練習の手伝いに来てくれて、その人がすごく良い人だったおかげでバスケ自体はそこまで嫌いにはならなかったので、今でもその人には感謝している。

ヘタだから、と落ち込んでいた時に、誰に言われたの?ヘタじゃないよ、練習頑張ってるじゃん、と声をかけてくれたこと、すごく支えになっていました。本当にありがとう。

子供の頃って、自分を嫌っている人のことを今より敏感に察知していたような気がする。周りに相談してもそんなわけないって言われるの辛かったな~。辞めるって選択肢もなかったし。

今は大好きな先輩にも巡り合えたし、それなりの社交術も身につけたのでなんとかやってます。年上に好かれる能力って大事だ。好かれないまでも、嫌われない努力をすることも時には必要。

小学生の頃のちょっと苦い経験のお話でした。

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