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【実録・7,000㌔別居】バリの空が教えてくれたこと シリーズ1

2016年から2年間
夫は日本に残し、子どもたちを連れバリ島に移住しました。

ちょうどバリに飛ぶ直前から
ブログを綴っていたのだけれど
色んな事情があって去年全部削除しました。
バリにいる時のリアルな心模様も全て。

時が経って、離婚もして
今は新しいパートナーと過ごすなかで
あの頃を少し俯瞰して見られるようになったので
改めてあの時の気持ちを言葉に残してみようと思います。

題して
【実録・7000㌔別居】バリの空が教えてくれたこと
シリーズ始まります。

バリ島ウブドのお家

「バリに住んでた」と言うと必ず聞かれる質問があります。
それは

「なんでバリに行ったの?」

誰か知り合いがいたのか
向こうで仕事があったのか
子どもの教育目的なのか
など色んな予想をされるんですけど
残念なことに全部違います。

そういえば今まで
理由を当てられた人はゼロでしたね。。。
海外に移住した理由は、実はふたつありました。

ひとつめの「オモテの理由」は
311をきっかけに安心安全な場所で子育てしたかったから。

当時北海道に住んでいたんですが
私も娘も身体に影響が出ていて
食事なんかも気をつけていたんですけれどね。

私の方が身体が辛くなってしまって
とにかく日本から離れたかったんです。
なので体調回復の目的がひとつ。

ふたつめの「ウラの理由」は
夫との関係が辛すぎて離れたかったから。

当時結婚して11年が経ち、子どもも2人生まれ
色んなことが変化していくうちに
私の中で夫に対する気持ちがどんどん離れていきました。

改善しようと試みるもどれもこれも上手くいかず。
自分と向き合ったり、親との関係を振り返ったり
コーチングを学んだり、色々ね。

でもね、不満は消えない。
相手の嫌だなって言う部分もなくならない。
そうなったのは私が原因だってのもわかる。

自己嫌悪が大きくなって
私が悪いのはわかってる、私が変わるしかないのはわかってる
でも!でも!なんで向こうは何も気付かないの!?
私が嫌だと伝えてるのに直してくれないの!?

自分を責める気持ちと相手を責める気持ち
そんなふたつの感情に綱引きされ続けて
心が引きちぎれそうで、限界に来ていました。

ほんと、何をやっても試しても上手くいかない
もう頑張りたくない、諦めたい
でも関係を終わりにする勇気もない、、、

そんな時に
「バリに行って何も変わらなければ、離婚しよう」
そんな藁にもすがる想いで決断しました。

まぁ結局、2年間のバリ生活を経て
帰国してから1年半で離婚をしたわけです。

今振り返っても
日本とバリ島の7000㌔別居は
大きな大きな人生のターニングポイントでした。

日本の文化やモラル、価値観や考え方が
全く通用しない異国の地で暮らすというのは
想像以上に自分のひとつひとつの選択の意味を
考えさせられる日々でしたね。

ご飯を食べに行った時
子どもが席を立ってあちこち動き回った時

静かにさせて、食事が終わるまで座らせようとするのは
日本にいたら「なんでそうするの?」なんて考えもしない。
だってそれがルールでありマナーだから。以上。

でも、バリ島では子どもが動き回るのは普通のこと
うるさくするのも普通のこと
それを言うことをきかせるという意識がない。

「静かにしなさい!」「ちゃんと座ってなさい!」
一人ピリピリしてうるさく言う私の周りでは
我が家の子どもたちのことを気に留める人は皆無。

その時に
「あれ、なんで静かにしなきゃいけないって私は言ってるんだろう。
座ってなきゃいけないと信じてるのはなんでだろう」
ってハッとしたんですよね。

文化とか、ルールとか、モラルとかって
海を越えたら面白いくらいに変わってしまう。
だとしたら、私の子育てに対して
何を大切にしたいって思ってるんだろう?

子育てに限らず、人間関係とか食事、暮らし方
自分の感情、生き方、在り方まで全て
「そうで当たり前」と思って疑問にも思わなかったものを

「私は何を思ってるんだろう」
「何がしたいんだろう」
「本当に望むものはなんだろう」

って、今まで体験したことのないくらい
深い深い自己対話を繰りかえした2年間でした。

時に苦しくなることもあったし
自分のダサさ、情けない姿、弱い部分にも
直視せざるを得ない時も多々在りましたが

そんな私の心に寄り添って
静かに答えを教えてくれたのが
バリの青い空でした。

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