息子の誕生②

生まれた数時間後には搬送先の病院が見つかり、産院からNICUのある総合病院へ転院することになった。

救急車での搬送だったが、生まれて間もない我が子はベッドに乗せることもできないため、付き添いの看護師さんが抱っこしたままの移動。

早朝に叩き起こしてしまった娘を寝かせるため一時帰宅していた夫は、実家の母に娘を任せ、搬送先の病院に急行して受け入れ体制を整えてくれた。

すぐに内臓の検査を受けたところ、幸い合併症は見つからなかった。

心臓、脳は異常なし。腎臓は2つ揃っていたものの、やや小さめだったので経過観察となった。

血液検査、CTスキャンも受けたが、金曜日に搬送されたため、結果が出るのは週明けとのこと。こんなにも長い週末は経験したことがなかった。

心配でおかしくなりそうな中、息子と離れ離れになった私にできることは、母乳を届けてあげることしかなかった。

助産師さん協力のもと、3時間おきに搾乳した。上の子の時から母乳の出は良い方だったので、手や搾乳機を使い、一滴でも多く絞り出した。母乳用のパックに詰め、冷凍庫で保存し、家族が息子の面会に行く時に持って行ってもらった。

私自身も息子に会いたくて、産院からNICUへ通うことになった。助産師さんから「気持ちはよーくわかるけれど、昨日出産したばかりなので、くれぐれも無理しないように」とクギを刺されまくり。「はい」と返事しつつ、正直うわの空だった。

直接授乳できたのは、確か翌々日だったと思う。新生児だから、まだうまく吸いつくことができなくて、お互い必死な中の授乳。

「あぁ、生きてる。一生懸命、生きてくれてる」

そう思うと涙が溢れた。

お耳がなんだ。難聴がなんだ。この子は生きてて、元気じゃないか。これ以上のことはない。そう思った。

そうは言っても心配は尽きないし、ホルモンバランスのせいか、目まぐるしく感情が変化していく。

私が、ちゃんとお腹の中で育ててあげられなかったから。上の子の時はお腹の赤ちゃんにたくさん話しかけたのに、この子にはあんまり話しかけてあげられなかったから、お耳が育たなかったのかもしれない。

助産師さんやお医者さんに「絶対に違う。ママのせいじゃないし、パパのせいでもない。何の障害もない親御さんから、障害のある赤ちゃんが生まれるのは、よくあるケースです」と言われても、納得できなかった。

何より、難聴に関する知識が全くなく、これからどうしたらいいのか、何に備えるべきなのかがわからず、途方に暮れた。

ネット検索しても、良いことなどないのは頭ではわかっていても、調べずにはいられなかった。いろんな論文も読み漁った。

不安な気持ちが解消されることは、もちろんなかった。



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