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物欲はあったが独占欲はまるでなかった。

ひんやりしてきたと思ったら、ぶり返しで暑くなってきたせいか、俄然やる気がでない。もう寝っ転がって、猫たちとあそぶか、YouTubeかAmazonビデを観るくらいしかできない(てか、いつものことか?)

こういうときは自分の欲に訴えかけてみるといいかもな、と、定期的にやっている恒例ミニイベント、自分の「want」を整理することにした。「会いたい人」「行きたい場所」「やってみたい企画」「ほしいもの」を書き出してみて、一つのページにまとめてみる。ぽつぽつ思っていたことを一緒に並べてみると気づくこともある。

ほしいものを「want」と「need」のxy軸で区切ってひたすら書き並べてみた。ポメラDM200や読書台、スモークガン、エスプーマ、AnkerNebura、フードドライヤー、草刈り機、ホットサンドメーカーなど、出るわ出るわ、「物欲ない世代とか言われてるけど、意外とあるよねぇ」と思いつつも、ここであることに注目した。

まず一つ目は、ほしいものは基本的に「need(重要度)」がやたら高いものが多かったこと。「あればいいなぁ(better的な)」というよりも「ないと困るから」ってものが多い。草刈り機とかはまさにそれで、夏の茂りがすごすぎて早くやっつけたい草木ばかりだ。

二つ目に気づくのは、”仕事道具として”ほしいものが多いってこと。ポメラDM200は執筆しごとにほしいし、スモークガン、エスプーマ、フードドライヤーはカクテルしごとで使いたいもの。読書台やAnkerNebura、ホットサンドメーカーは、これからはじめる宿の設備として整えておきたいなぁと思ったものである。

ちなみに、草刈りなど家を整えるのも、同居人がいるからであり、これから宿や飲食をはじめる事業所でもあるからであって、住職一致のスペースというのが大きい。そう考えると、事業的(公共的)にほしいものはあっても、一個人として(独占したい)ほしいものってほとんどない。なんだかんだ物欲はあるようでなかったわけだ...。

これはきっと、2~3年の(家なし)居候生活を通して、「どんなもの(/場所)も自分ひとりで使うのには限界があるから、どうせならみんなで使うことを見越したうえでものを揃えることにしよう」という考えにいつの間にかなっていたからかもしれない。買わなくても使えるものがあったらいいよね、という発想がかなり強い(貧乏性なw)タイプってことだろう。

ちなみに、唯一、個人としてほしいと思ったの二つあった。一つは、電動式のキックボード。これで街を颯爽と駆け抜けていく自分をイメージしてみている。もう一つは、妖怪関連の書物(図画/アートブック)。自由研究してみたいものって、よくわからない存在の妖怪たち、それくらいなんだよなぁ。残念ながら。






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