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猫の性分

アメフトというスポーツを大学のときにかじらせてもらったが、そのときの大きな学びは「スピード×筋力=パワー」というざっくりとした理論である。

ぶつかり合うスポーツなので、そのときのパワーを引き上げるために、瞬発力を鍛え、体重を増やし、筋力アップを目指していくわけだけど、当然ながら100kgほどのマッチョが50m6秒台で突撃してきたら、そらぁ人を壊せるよね、とフィールドで目の当たりにできたのはいい経験だった。

そういう人のパワーに比べると劣るかもしれないけど、猫のパワーというのもなかなかあなどれない。

家にきたばかりときは、250gの小さかった子猫たちも半年ほどが経ち、体重も3~4kg程になった。よちよち歩きだったのに、すぐ走れるようになり、すばしっこくなり、本気で捕まえようとしたらもう捕まえられない速さに。

言っても人間の歳でいえば10歳ほどで、無邪気に家を駆けに駆けまわる。ところどころ、壁にぶつかってはドシンドシンと音を立てる。ひさしぶりに、これがスピード×筋力の法則かぁ、と頭を抱えながらに思うのだ。

そう、猫であっても一度暴れはじめると手がつけられない。しかも(兄弟)5匹もいるので余計だ。とはいえ、おそらく、こいつらは本能というか、猫の習性に従って動いてるだけのはず。

叱ってもしょうがないし(怒る声には反応するにはなったが)、何より、猫としての生まれながらの性分というのは変えられない。変えようがないのだ。だからこそ、猫じゃらしで気をそらせたり、その性質をうまく促しながら、家の被害を最小限に抑えるようにする。

自然と同じで、自分の思い通りにコントロールできないものはやっぱりあって、それをおこがましくも制御しようとするから、怒りが増したり、抑えつけられる側のストレスも溜まってしまう。だれもハッピーにならないかたち。

本能からくる衝動で動いてしまう猫たちも、ああやって暴れてるけど、「す、すまん、、でも体が勝手に反応しちゃって、、」と心の中では反省してるかもしれない。と思えば(そう信じてみれば)、むしろこっちがごめん!と言いたくもなる。

仮面ライダーアマゾンズで、(人食いウィルス的な)アマゾン細胞に侵された人間たちが、泣きながら「人は食べたくないけど生きるためにはしかたないんだ」と言葉を吐くシーンがあったけど、心では泣いてるけど性質が体を操りそうさせる、とはこういうことなんだろう。

人も同じように心で変えたくても変えられない業(身体性)というのは少なからずあって、それは心が弱いからできっと片付けちゃいけないこと。だからこそ、相手の性質と向き合いながら歩んでいけるようにしたい、と思うわけで。

猫のいたずらにカァッとしてしまうときには、この日記を読み直すことにしよう。いやぁ、すまなかった。でもね、だからといって調子には乗らせないからね。

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