ケケケの雑記

何者かになりたすぎて、地域で生き急ぐバカ

「システムも含めて“伝統”なのだと思っています。この世界観が続いてきたからこそ、いまのような芸の形が残っているとも言える。ただ一方で、『伝統だからしょうがない』と言って、変えることを諦めたくはないですね。

(中略)

でもたしかに、急に変えようとしたら、今まで我慢してきた人たちが納得いかないだろうし、逆に硬直化してしまうかもしれません。本気で変えたいなら、文化全体のバランスを崩さないよう、きっと長い時間をかけて慎重にやるべきなんです。中に入って初めて見えてきましたが、古いしきたりも少しずついい方向に変わってきています」

システムをつくる・他のシステムを選ぶことも可能性としてあるだろうけど、今あるシステムの中で最大限に何かできるかって考えて、じわじわやってくのが大事だよなー。

地域の取り組みとかもそうだけど、物事を急激に変えようとする人多すぎてびっくりすることある。もっと歴史を考えてみりゃあ、すぐに壊せないことわからんもんか。

てか、それに関わろうとする人が「地域の中で(あるいは対外向けに)何者かになりたすぎる」せいもあるのかも。生き急ぐな、って感じだし、そこに人をムダに巻き込むな、疲弊させるな、ってのはあるよなぁ。

それが地方とかなら余計にだし、ゆっくりのんびり暮らしたり、小さく少しずつ物事を動かしていけることに、そもそもの地域のポテンシャルがあるはずなんだから。

で、広島江田島の「ぐるぐる海友舎プロジェクト」も、何年も活動してきて文化財に登録されたってのは、”じわじわ系”の取り組みだよなぁ、とあらためて思ったり。

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