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期末テスト中は購買意欲が高まる。

自分が詰まっているとき、あるいは、精神的負荷を感じてるときには、その防衛対策(無意識的生存戦略)として、勝手にやってしまっていることがある。

人によってその行為もまちまちだろうが、ぼくの場合は、「購買」がそれに当たる。32歳になって自覚することができた不穏状況におけるひそかな抗いでなのである。

Amazon、楽天をよく覗く。ガジェット、書籍、日用雑貨など、欲しいものリストは随時アップデートしており、勢いさえ許せば、すぐにポチって、数日以内には手元に届く。最近では、クラファンサイト、メルカリやヤフオクにまで手を出すようになってしまった。リサーチしてる時間が延び、さらに自分の物欲を見える化させる努力を惜しまないようになっている。

もちろん、突発的な感情でポチらないように1日以上寝かせるという熟成作業を行うようにしてるし、そのうえで購入し、どれも主に仕事道具の強化や学習としての投資でもあり無駄になってることはないが、これは良いのか悪いのか、いかに...。

まあ兎にも角にも、購入ボタンを押し終えたあとにはなぜ不思議とちょっとしたカタルシスが胸に沸き起こるのであって、ストレスと付き合っていくため、自分にとっては重要な行為となっているようだ。

そんなことを強く意識するような1ヵ月ももう終わる。

正直こんなnoteを書いてて良い理由は1ミリもないのだけど、書き出さなければ、事が進まないような気がしていて、目の前のやることをいったん中止して、カタカタとキーボードを叩いている。このnoteを書き終えたら、自分に葛藤を与え続けたプロジェクトにも終止符を打つ最後の作業を始める。

やっと終わるのだ。そして、終わるということは、始められることがある。

とりあえず1ヵ月以上、休みをとる予定だ。その間の充電期間に、新たに動かしたいプロジェクトの準備(主にリサーチ・インプット)ができるし、何より”追われる”ものがなくなる。”追う”だけになるわけなので、至極すがすがしい気分で毎日を過ごすことができる。

自分がのびのびとやれるプロジェクト設定、また動くときの体制づくりをしなくてはとここ数年ずーーーーーーっと思い続けていたが、この1ヵ月程その思いの重みを痛烈に感じた期間はなかった。解放である。

しかし、今向き合ってる負荷ってのは、かなり前向きだ。学生の頃の期末テストみたいなものだろうか。

「このテストを終えたら、休みに入るー!」「○○と遊べる!」「□□にも行ける!」

というような、”オワタビ”状態なのである。「閉ざされたドアの向こうに新しい何かが待っていて」というミスチルの『終わりなき旅』の描く世界観がすぐそこに待っている。

このテストは、内申に響くこともわかってるので手を抜くことはできないし、ここを踏ん張ることで、推薦的ないい流れをつくれることもなんとなく見えている。そういう意味で、ポジティブな負荷として捉えている。

とはいえ、こういう負荷状況下でよりなめらかに進んでいくための体制づくりは正直ミスっていたのはあるので、次は仕事の切り分けてとパスの回し方をうまくしたい。あと、パートナーももうちょい増やしたいかもな。

まだ終わらし切ってないくせに、こういうことを書いてみる。てか、終わったら、ほんと「書くこと」と「読むこと」の時間を死ぬほどつくりたい。活字に触れることのデトックス効果をこれほどまでに感じたことはあっただろうか。

では、ラストスパートの作業ぶっこむとするか(明日から気持ちよく昼寝できるぞーーーーー)。

(超集中のときにはやっぱこの曲をリピートするのが合う)




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