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いるのに、いない。

いるのにいないことになっている。おそろしや。

その予兆はちょっと前からあった。集落の神社掃除に行ったときのこと。いつもと変わらぬメンバーだが、見知ってるおばあちゃんがなぜかよそよそしい。目が合うのに目を逸らされ、おはようございますと挨拶してもそっけない。集落に4年半以上いるのにまるで関係がリセットされたような感覚に陥った。

先日さらにこんなことが。運営してる拠点(公民館)にいつものように行って、子どもからご老人までが集まるこの場所で馴染みの人と話をしていた。すると、急に「どこに住んでるの?」と聞かれた。ちょっと不思議に思ったが、「〇〇神社の横の家ですよ」と伝えると、「あぁ大見謝さんのところか」と口にした。「てか、その大見謝なんだけどな」と思いつつ、とりあえず、ぼくは「そうです」とだけ答えた。モヤァっと違和感だけが残る会話だった。そのとき確信に近づいたことがあったが、裏がとれなかったので伏せたままにした。

そして、今日だ。先日の馴染みの人といつものように和気藹々と話をしていた。そんななか、少し場を離れなくてはいけなくて、席を外し、ちょっとして戻ってきたときに、「あ、大見謝さんか」という声が聞こえた。その馴染みの人が「あの人だれだっけ?」と他のスタッフに確認していたようだ。そう、1年以上前から知っているはずの人に自分だと気づかれていなかったわけだ。

原因は、ごくごくシンプルで、半年前まではつねにメガネをかけていたが、それ以降はコンタクトで過ごしていたことだろう。あと、ちょっとだけ髪色が変わった。パッと見、えらく変わったように映るらしい。マスクしてるから余計か。ひさびさに会った人ならなおさら。

背丈も声もしゃべり方も何ら一切変わらないのに、メガネをかけてないだけで”大見謝ではないだれか”として周りは認識していたようで、ずっといないことになっていたのだ。集落の人もそれであんなによそよそしかったのかと納得。そりゃあ、よそからきた人にはそういう態度とるよねぇ、と。

もしかしたら、近所の人はずっと「最近、大見謝いねぇな、どこいったんだ」とか思ってるのかもしれない。いえいえ、ずーーーっといまっせ!ここにいるよ、なんていう小説やら歌やらの作品中出てきそうな臭いフレーズを心中叫ぶように連呼しまくっている今日であった。

いるのにいないことになっている。おそろしや。

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