利用してくる大人に出くわしたら。
相手を利用することは悪いことなのか。
一方的であればそこに悪意は感じるが、双方的であればそこにはWin-Winの関係が生まれる。ぼくはそう思っている。
まあ、そもそも「利用する」という言葉にネガティブな響きがあるからいけないのかもしれない。場合によっては、「相手を消費する」するいう意味にもつながちゃうかもしれないし。
でも、ぼくらは生活をするうえで、一人では生きていけないので、ちょっとしたことでも誰かに何かを頼むことがあれば、共同作業をするときがある。
そのとき、頼まれた人は、頼まれたことによる見返りをどこかに探すし(仕事であれば、経験とかお金とか)、立場にもよるが共同作業においてもたがいに得られるもののバランスが悪いと関係性が崩れやすくもなる。
前の会社で働いているときに感じたのが、上司たちは、ある意味、ぼくらのリソース、能力を利用したうえでプロジェクトを進めようとしているんだなぁということ。外資系だったし、ベンチャーだったし、その傾向はつよかったはずだ。
最初はモヤモヤしていたぼくだったが、いつの間にか、「利用されるでいいや」と思えるようになった。上が求めている結果を出せばいいわけだし、反対に、この会社でできることはやりつくそう、学べる技術はとことん盗んでやろう、つまり「こっちが会社を利用してやろう」という考えに変わったからだ。
おそらく、その瞬間に、会社との契約関係が本当の意味で成り立ったはずだし、「ギブ&テイク」や「等価交換」の法則にうまく乗っかれた気もする。
野球漫画『MAJOR』で、主人公・茂野吾郎が、海堂高校にその野球人生を利用されそうになったとき、茂野は「こっちが利用してやんよ」という言葉を吐いた。そして、そこで吸収できるものを吸収しつくし、打倒1軍の目標を叶えてから、海道高校を去った。
大げさにカッコよくいえば、そんな感じに立ち振舞えたのかもしれない。
もしも相手に「利用されそうだな」と直感したときは、茂野くらいの狡猾さを持って、自分なりにやる意味を見いだせるくらいが丁度いい。まあそもそも、そういう人たちと絡まなければいいだけなんだけど(そうもいかない状況も意外と多いのも事実だし)。
反対の立場で変えてみると、だれかに頼んだり、一緒に進めたいものがあるときは、「相手がそれをやることでどうなるのか」という意味づけには全力で想像力を働かせていきたい。
そうだし、本音でいえば、好意を持っている人に対しては、ギブ&テイクとかそういうのもめんどくさくて、「一方的にあげる」くらいの気持ちで関わっていけるかたちがいい。それが一番いいのだ。
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