結論だけじゃ、生きられない
結論ファーストだけでもダメなのだ。色気を感じられない。
プレゼンや文章の練習をしていると「結論から話せ・書け」という文句によくぶつかる。そういうのを「結論ファースト」と言うらしい。
たしかに、普通に人と話してるときですら「前置きがかなり長いけど結局何が言いたい人なんだろう」と探る時間があったりするので、言わんとするコツというか法則は身に染みて理解できる。
どんなものも基本的にはケースバイケースで考えていきたい。けど、世の中が無駄を省いて省いて省きまくって、結論ばかりを求める風潮になっていくのは、ムムムムと眉がつり上がる。無駄なことかもしれないけど、その「だらけた」「意味を感じない」「わからないまま」の体験があるから、たどり着ける結論があったり、結論の持つ威力をしかと受け止められることだってある。
「悟空にフリーザ倒されるよ」といった結論は出さないじゃないすか(読み進めてると倒すんだろうなぁとは思うけど)。「カツオ、波平にが怒られる」という結論だけ知ってても、もうそれはありきたりで、なんで怒られるのかのプロセスを知りたいじゃないすか。希に「城之内死す」なんて逆にびっくり戦法あったりしても、あれは結論ファーストの逆を付いたものですよね(逆でもある)。
極論、ぼくら人間が結論ファースト生命体(なんかトランスフォーマーみたいな文字の並び)だとしたら、人間の結論は「死」なんだから、生まれた瞬間に死ぬのが結論ファースト実践になるのかなぁ。
どうなっていくかわからなくても、生きていく、その過程に身体と感情と思考の変化があって色気があると思うから、そう結論を急がなくてもいいじゃんね。
何がふざけてて、何がまじめなのか、よくわからなくなっちゃうや。
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