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よく見せたい、という病。

自分をよく見てもらいたい。そんな欲から解放されるにはどうすればいいのだろう。

SNSから流れてくるニュースを眺めていると、「学歴詐称」という言葉をふと見つけてしまった。

なんでそんなこと起きるんかなぁ、とはなはだ疑問だ。でもちょっと考えてみると、「自分をよく、強く、賢くみせることは、立場的(説得力を上げるのため)に必要だから」というのが彼女たちの理由なのだろうとも思う。

それは政治とかそういう難しいところの話じゃなくて、もっと身近にあるものでもある。男女関係でいえば、「カッコよくみせたい」とか「かわいくみせたい」とかは誰でも一度は味わったことがある感情ではないだろうか。

そのために、身なりを整えたり、化粧をしたり、いろいろと小細工をする。別にそれが悪いとは思ってはないのだけど、あくまでそれは相手に近づくための”入口”とか”きっかけ”でしかなく、より深い関係になるために本当の意味で求められているのは、もっと内面の部分であったりする(セックスとか割り切りの関係が目的なら話はまた違ってくるだろうけども)。

自分の経験を振り返ってみると、カッコつけて、女の子に自分をよく見せようとしても、繕ったぶぶんはわりとすぐにボロが出るもので、結果、相手とのいいマッチングになることはなかった。

装った自分でだれかと出会ったとしても、自分がちょっとでも楽をして装いをやめたときに相手に残念がられるくらいなら、最初から作り込む必要なんてない。もしも自分も他人もお互いに繕った姿で出会ったとしたら、それほど不幸なことはない。ぼくは猛省した。

それは、相手を騙すことはしたくない、という意味もあるし、それ以上にそもそも装うのが疲れるから無理はしない、とか、装う自分はクソだせぇ!というのほう気持ちが強い。で、嫌われる度胸みたいなものが少しはついたのかもしれない。

ぼくが都会が苦手なのは、東京カレンダー女子みたいな背伸びしすぎている人が多かったり、「~と繋がってる/友達だよ」みたく自分をよりよくみせようとマウンティングピーポーがいたり、広告も憧れを煽るように商売をしていたりするからだ。

まあ、東京を一つの”舞台”と考え、そこで演じていくことが楽しいのであればいいことだ。単純に、ぼくはときに演じられても、演じ続けることはしんどいなぁと思ったのと、それが自分のパフォーマンスに大きく影響するから、地方にやってきたのはあるもんなぁ。

ぼくのSNS上の友達にも多く投げかけてみたいことだけど、、

「学歴」「企業」だとかの「立場」だったり、身に着けている「ブランド」だったり、偉そうな人との「つながり」って、結局のところ、装飾品でしかないよね?

すべてを脱ぎ去ったときの自分は一体どうなんだろう? そして、したくないことをしているのであれば、よりよく見せないといけない環境に身を置いてるのは一体だれなんだろう?

よく見せたい、という病を治すためには、あたりまえだが、自分が「よく見せようとしていた」という自覚を持つことから。こんなことを言っているぼく自身も、相手の目から解放されたわけではないから、自分にとってちょうどいい自分、を描けるように歳を重ねていきたい。

(てかむしろダメなところ見せちゃったほうが後々の人間関係は不思議と楽だよなぁ。釣りバカ日誌のハマちゃんみたいな)

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