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汚れた雑巾で拭いてもそりゃ汚れたままなわけで

 もう15年前になる。とある飲食店でバイトしていたとき、上司から清掃について注意されたことがあった。真鍮でつくられた螺旋階段の手すり部分の拭き掃除、「もうちょい丁寧にやれ」と。

 わりとちゃんとやってたと思ってたけど、そうじゃなかったようで、汚れをめちゃくちゃ指摘された。で、どう掃除したのかを詰められた。ぼくは一番下っ端だったので、先輩たちが答えるのだけど、結果、道具の問題じゃないかということになった。

 つまり、拭き掃除をするための雑巾がそもそも汚れていたんじゃないか、って。実際のところはともかく、そのとき投げられた言葉がなぜか今も深く胸に刻み込まれている。

 「どんながんばっても、汚れた雑巾じゃきれいにできるわけないじゃん」

 そもそもの前提(雑巾)が間違っていたら(汚れていたら)、物事がいい方向に進まないってことは、たしかにある。

 たとえば、霊が見える人が見えない人にたとえば、田舎暮らしを都会暮らしの常識で考えてみるだけじゃ、地方移住はできない。

 たとえば、少子高齢化で集落の若者が減っているのに、昔のような人がいくらでもいたときの体制(「昔はよかった」の一点張り)で、自治はできない。

 たとえば、童貞同士でずっとセックスについても語り合っても(それはそれで妄想が膨らみ楽しいかもしれないが)真実には辿り着けない。

 …..みたいな、"汚れた雑巾"問題っていくらでもあるような気がする。自分があつかう雑巾は、きれいにしたうえで、その汚れを拭き取っていきたい。いくつになっても、どんな場面でも。

 

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