見出し画像

「わたし」を乗りこなすまでの道のりは。

ああ暇だよなーとなんとなしに本を読んだり、映画を観たりして、たまたま刺激を受け、それが企画になったり文章になったりする。

思い返してみると、それが自分が妙に力を発揮してきたの流れである。ボールを持たず、何一つ抱えていない身軽なときほど、脳みそに余白がありまくるせいか、パフォーマンスが上がる。遊具のある公園よりも、遊具が一つもない、だだっ広い公園のほうが遊びがいを感じてしまう。

逆に抱えてしまうと、一気に弱くなる。

たとえ1分足らずで終わることでも「やらなくちゃ」と認識したことがあると、その言葉が頭の中で暴れまわって落ち着かず、目の前のことに手がつけられなくなる。べつに「やらなくてもいいことを勝手気ままにやる」ときのエネルギーは自分のことながら凄まじいと思う。まあだから、会社員でなく自由業を選んだわけでもある。

さて、毎年ながら、年度切り替わる3-4月は宿題に追われる時期である。近年の記憶だけ辿れば、春は「あたたかくなる」という気候以外をのぞけば、苦手な季節という認識になってしまっている。

昨日は、迫り来るタスクを書き出し、やることを整理してしまったがために、頭がどんより重くなった。とりあえず休憩するかと目を瞑っていたら、朝まで寝てしまっていた。

7時に目が覚めるも、まだ昨晩から引きずった「やらなくちゃ」がしっかりと残っていて、前向きになれず、ひとまず作業は放置する。猫たちの餌をやり、プロテインを飲んでからまた2度寝、3度寝を繰り返す。目が覚め、アレクサに「今何時?」と聞くと「9時9分デス」とのことで、20分ほど寝袋でぐだぐだしてからやっと起き上がる。こうやって引きずるくらいなら、そもそも忘れてるほうがいい。なぜ中途半端に覚えてるのか?

「やらなくちゃだし、やりたくないこと」なんだよな。今、囚われてることは。こんなときは、一度そのタスクから離れて、積極的に目を逸らし、開き直るにかぎる。

まずは関係ないことから手を出す。食器洗いなど、すぐにでも手をつけられる(かつ後回しにしてしまっていた)他にやれるといいこと、やりたいことを思い浮かべて、その作業に繰り出していく。

頭ばっかで考え、同じ思考をぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる回してしまうときほど、頭空っぽにして体を動かしてみる。

たとえどんなに小さなことであっても「やったったぜ!」という一つタスクを完了させると、赦しと勢いをもらえる。アドレナリン垂れ流しのままに、やらなくちゃいけない作業にもうっかり手をつけ、本題へとスライドしていける。

そんな小さな成功体験はこれまでに幾度となくあった。だから、頭なのか手足なのか、行動に向けたメイン出力位置の切り替えができるかどうかなんだよなぁ。

思考を止めて、身体を動かし、小さく刺激を入れる。次の動きに向けたスイッチをさぐる。いきなりタスクに移れないなら、そうやって段階をつくる。

「やらなくちゃ」とどう戦うか。

20代からの課題としてずっとあるわけだけど、うまく動かないときのしくじりパターンを俯瞰して理解できる範囲が広がってきたのもあり、少しずつ自分の乗り方はうまくなっているとは思う。しかし35歳、「乗りこなせるぜ」というまでにはまだまだ時間はかかりそう。精進あるのみや。

日々がうまく動くように、物事に対する身のこなし方はしなやかに、自分を乗りこなしたい。はてさて、免許を取れるのはいつになるのだろう。

もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。