見出し画像

記憶が重なるとき

いい作品に出会ったとき、記憶が重なる瞬間がある。いや、逆に、記憶が重なるものが、いい作品なのかもしれない。

それは、漫画でも、映画でも、小説でも、ゲームでもなんでもいい。物語の登場人物の言動ないし生き様に自己を投影できるのであれば、それは自分にとっての特別な作品になりえる。

「あ、これって、おれじゃん。おれの物語だ」

勝手気ままに有名監督の作品を私物化してみる。

恋人と別れたことを引きずっていれば、恋人と別れて傷心する主人公は自分なんじゃないかと思い入れが増す。

地方から上京して大学にはいいが、まわりと馴染めずにいて、だけどならず者が集まる居心地のいいバーのような居場所を見つけた。そんな物語があれば、あの時のおれだ、と息巻いて呼応してしまう。

記憶を呼びお越し、感情が登場人物と重なる作品は、大小あれど、宝物の一つになる。ときどき、読みたくなるし、観たくなる。

リピートしての2回目であれば、初見の自分の心境もセットで、古い記憶をゆり起こしてくれる。そして、その記憶は、"新たな古い記憶"として姿を変え、いつかあるかもしれない3回目の未来へと熟成保存される。

あの頃に立ち戻る媒介は、友人のように一つは持ってきたい。願わくは、他人の記憶に語りかける、何かをつくれたらと思う。仕事のジャンル関係なく、心底ゆさぶってくるものは、人間が作品に溶け込んでいる。それだけはわかってるんだけどなあ。

もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。