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ケケケの日記

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日記(のようなもの)
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#田舎暮らし

寝坊したのち、Gとムカデを同時に仕留めただけの19分

「アレクサ、今、何時?」 「23時41分です」 「え?」 思わず、AIなんぞに驚きを漏らし、布団から慌てて飛びててジャジャジャジャーン! で、机の上にあるパソコンをぱかりと開いて、カタカタやってるわけです。 なぜだかよくわからないけど、頭が痛い。いわゆる、偏頭痛持ちなので、それでした。 今日は木曜だったのでオンラインで授業を受け、その後、夕飯を食べた。授業中から頭にじわじわくる違和感があったけど、22時くらいにこれはきついぜとギブアップし、仮眠をとることに。23時半には

妖怪4浪確定

 その事実にはたと気づいて、一瞬、時が止まった。  コロナ禍で中止になっていた2年を除いて、毎年、試験を受け続けてきた「境港妖怪検定」。申込メールを遡って確認してみると、2015年に「中級」を合格して以来、過去3回「上級」に挑戦してることになる。  ちなみに中級までは選択&記入方式になのに対して、上級は論文形式(1200字内)になっていて、特に参考書があるわけでもなく、ひたすら"学問としての妖怪"をあらゆる本で学んでおく必要がある。  毎年ちょっとずつあたりをつけながら

猫師匠

 毎日のnote記録は、そのほとんどを23:30以降につけている。迫られないと書かない、そんな性格だから、時間という縛りをつけた(もう一つの縛りは作文用紙1枚の400字以上であること)。  といっても、慣れとは怖いもので、このnoteに手をつけ始めたのは25:50である。残り10分で書けるものといえば、もう今の心境をただ書き殴っていくのみ。  23:30から始めようと思っていたが、膝上に乗ってきたヨネ(猫)をどかすまでに10分かかり、さて作業するかと机に戻ると帰宅したミソ

ハンバーガー59円の少年時代

 近くに数えられるくらいしか飲食店がない、あったとしても、車といった足がない(そもそも免許がない)、そんな田舎で暮らしてると、街に出るときはジャンクチャンスである。  ジャンクといえば、ファーストフード店。主には、牛丼やハンバーガー。鳥取の外に出るときは、ほぼ一番最初に行くのは「松屋」だ。鳥取には松屋がない。その「ない」というスパイスが効いてる分、「ある」場所へ出かけて、入店オーダー後に届いた味噌汁の味は体にめちゃくちゃ沁みる。  普段は、ほぼ自炊である。お店が近くに「な

『おいハンサム!!2』で見かけた、生クリームを手で泡立てる「不便益」

「不便の益 (benefit of inconvenience) 」つまり、「不便で良かったこと」を「不便益」というそうだ。 人工知能など、いろいろな自動化が進む中だからこそ、「不便ってなんのためにあるんだっけ?」という問いは見逃しちゃいけないものだ。 生活のすべてが便利になれば、人間の悩みが解決されるわけでもない(実際、解決された人などいないんじゃないだろうか)。 最近観た『おいハンサム!!2』6話で、イライラした三女・美香がケーキをつくろうとするシーンがあった。する

告知の告知

3月は、その背中を追いかけることしかできない。 この数年はずっとそんなかんじ。12月は師走(師匠といえども走り回る月)というけど、ぼくの中では年度切り替わる3月のほうがより師走である。ホントはちょっと先のほうまで早めに行き、後ろをふり返るくらいの余裕がほしいのだけども。 ちなみに、3月は弥生(草木が生い茂る月)だそうだ。せかせかして水を遣れてるのかが不安にもなるけど、そもそも種を蒔けてすらいないんじゃないかとハッとすることも。 「種を蒔く」ってのは、かんたんに言えば、「

今年は冬眠(1ヶ月)できました

休めるときに休んだほうがいい。もうなんなら休めるなら休めるだけ休んじゃって、「休む」が飽きるくらいまでいききったほうがその裏側にある「働く」おもしろさに気づける。 鳥取に拠点を移した1年目(今は7年目)は、ニートのような暮らしをしていた。貯金を切り崩しつつも、飽きるまで休んでみたから、やっぱり休むって大事だわと実感できた。冒頭の価値観は、そんな経験から形作られたものである。 そして、今住んでる家は、休むのに適した家だとつくづく思う。住み開きするなかで訪れる人たち(学生、仕

寒いは生きている

静けさとともに寒さがやってくると、不思議と「生きてるんだなあ」と感じてしまう。沖縄育ちの自分にとってはそりゃあ鳥取の冬は真逆の気候でえらい(大変な)のだけれど、生を感じられる地であるのは間違いなく、だから離れがたく、白の季節を嫌いにはなれない。 寒いからこそ、温もりがほしくなるわけだが、その暖をとろうとする欲望や行為そのものが生にしがみついてる自分を確認でき、「ちゃんと人間してる」と安心できる瞬間だったりもする。 数年前、冬の能登半島で、大きな茅葺き家の定食屋に立ち寄った

三種の汗

不思議なもので、年を重ねていくと、能動的発汗の機会が減っていく。幼少期には公園で海で走り回って汗をかく。学生のときは部活などで汗をかく。というように、汗をかくことに臆することなく目的を果たしていた。 しかし30も過ぎると、現役で競技としての運動をしてることは少なく、多くの場合は「健康(脂肪)のため」と「汗をかくこと」の目的に変わり、運動は手段と逆転していく。こうなると“能動的”といっても“目的的”発汗とビミョーに主旨が変わる。 残り少ない汗をかく機会といえば、夏の暑さにや

マクドナルド・カルチャー・ショック

マックのポテトが好きだ。揚げたてのカリ!ジュワッ!なやつと、時間が経ってうな垂れるようにしんなりした細長いフニャフニャなやつ、どちらも良い。気づけば、いつの間にかレジに並んでしまっていることは多し。これいかに。 そもそもジャンクフードが好きなもんで体に悪いのはわかっていても食べてやろう!とつねづね思っている。はっきりと声を大にして言える、ぼくには気概がある。ジャンクをイートしてやろうという気概が。 大山(だいせん)という地で田舎暮らしをしてると、徒歩でどころか車圏内でもお

「住んでくれてありがとう」じゃなくて

never young beach『サイダーのように言葉が湧き上がる』の唄い出しの歌詞である。ふとふり返れば、まさに「そんなあんばいが続く1週間だわなぁと」思うのだけど、今にはじまったことでもなく、定期的にうまくいってない身としては、月1で遊びにやってくる友人くらいの親近感すら湧いている。自分の情けなさも、運やタイミングの悪さもあきらめちまって、ゆるやかにLife goes on.っつーことで。 あ、そうだ、項垂れながらも嬉しいこともあったんだったや。 お盆だったこともあ

そこで暮しているかぎり

 やる気があろうがなかろうが地域には関わっていく。というか、関わらざる得ない、というほうが正しいのかもしれない。  基本的にボクは「地域」とか「まちづくり」に関心がない。そういう言葉をあからさまに使ってくる人たちが苦手だったりもする。  振り返れば、学生の頃、NPOとかでインターンして「良いことしてるんすよ」的な輩が嫌いだったし、意識高そうな人が語る「地域ってさ~」みたいな話には「反吐が出るわ!」の想いも。それくらい拒絶反応があった。  けど、今、地域/まちづくり(関連

IPPONとるためのPM@ローカル

「そんなの当たり前じゃないの?」 「ちょっと考えればわかるはずでしょ?」  と、疑問符を打ちたくなることが幾度となくある。特に、「他世代」や「他地域」、「他職種」の人たちと事を進めているときはその確率はヒジョーに高い。  原因は単純明快で、共通認識となる「普通」が異なるから。その普通のギャップを生みやすいのが、世代や地域、職種の分断でもある。  そういう意味でいえば、コミュニケーションコストを下げたければ、同世代、同地域、同職種の人と動くといい。同じような「普通」を共

いっしょに暮らすのはべつに恋人とかじゃなくてもいい。というか、むしろ恋人じゃないほうがいい。

 だれかと暮らすこと、というより、だれと暮らすか、について考えることがなんかちょっと増えた。  最近、ごはんを食べるときは、Netflixで『フルハウス』を流している。小さい頃にテレビで楽しんでいた作品だから、懐かしさが視聴の感想にプラスされる。  不思議なもんで、「おもしろかった」という記憶はありつつ、内容はほとんど覚えていない。それと、あの頃は吹替だったけど、今は字幕で観ているのもあり(あ、こんな声してたのね、と)、毎度ながら新鮮である。  8シリーズもあるので全話