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ケケケの日記

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日記(のようなもの)
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#本

没入に向かってポーズをとる

 姿勢が、没入感を変える。  裏を返せば、姿勢につねに揺さぶられる日々がある。ここでの「姿勢」とは心ではなく、体のほうの話だ。つまり、頭や手、足の位置といった「体勢」「ポーズ」が作業に影響してくる。  寝るとき、枕を股に挟んでみたり、枕の位置をずらしてみたり、横になったり、仰向けになってみたり、手をお腹の上に置いてみたり。挙げればキリがないほどに、その時その時で、毎度ベストポジションが違う。よほどの疲弊がなければ、その姿勢が決まらないかぎり、たとえ睡眠に突入しても、熟睡ま

きょうのピーエス#4(からかい上手の高木さん、だいじなケモノ道、ビジュアル・シンカーの脳)

くらえ、p.s.返し!  ってことで、映像、音声、文章の順番で、最近の見聞きしたコンテンツを振り返ってみます。 小豆島の記憶のゆさぶられ毎週の見逃し配信系はとりわけ触れず、新たな作品でいえば『からかい上手の高木さん(2024)』をNetflixで数日に分けて視聴した。原作漫画、そしてアニメの存在はなんとなく知ってたはけど踏み込まなかったやつ。 ただ、『愛がなんだ(2019)』『あの頃(2021)』『ちひろさん(2023)』といくつかの作品を観て、「なんだ、このうまく言語

本との距離⑦(1226字)

「給食早食いできるとすごい!」みたいな、低学年特有のなんでも競争としてはしゃいでしまう性質のせいで、小学校の図書室でちょっとしたバトルが勃発していた。 貸出カードをめぐる争いだ。 図書室の本の最後のページには、必ず小さな封筒が付いてて、カードが挟み込まれている。そこに過去に借りた人の名前がずらりと記されていた。知ってる名前もあれば、全く知らない名前もあったが、今思い出すと、facebookのように校内の人の情報をかじる媒体としてカードは存在していたんだなあ。 まずは、本

本との距離③(1191字)

大学生のとき図書館で雑誌ばかり貪っていた、という話から、さらに過去に遡ってみるとしよう。朧げにも記憶が残る4~5歳くらいから。 その頃は、横浜の鶴見に住んでいた。マンションだったかアパートだったか定かじゃないけど、父母姉兄ぼく弟の6人家族、2~3LDKくらいの広さでギュウっとして暮らしていたような気がする。その記憶の中にかすかに本棚があった。 そして、ぼくは絵本にそれなりに親しんでいたと思う。以前触れた『じごくのそうべえ』と出会ったのもこの頃だった。 父はさほど本を読む

本との距離(1097字)

「最近の人は本を読まない」 若者の読書離れを突かれるなか、あまり本を読まずにきた(30歳手前で少しずつ読むようになってきた)ぼくですら、「本を読んでる人のほうが珍しいんだなぁ(たしかにネットや動画で情報を拾えるけども…..)」と感じることが多くなった。 つまり、読書離れと指摘される中に自分も含まれるのだろうけど、その中でもさらに「ああ、全然読まないんだ」と下の世代に対して感じてしまうことがあるわけだ。 ちなみに、大学生の頃は、講義で使う以外の本に年間1万円も使わなかった

図書館は貧乏人が使うところ?

ひさしぶりに太陽が出てたので、庭に出て日向ぼっこをしながら、珈琲でも飲む。春が近づいてきたとはいえ、まだ空気は指がかじかむほどにはヒヤリとしている。そのぶん、日射しの温もりが身体にじんわりくる。今のうちに光合成して、夜はよく眠ろうとついつい欲張ってしまう。 今朝はだいぶ起きるのが遅かった。最近は不思議と朝が早くなっていたので、不思議な感覚だ。まあ、身体が寝たがっていたんだろう、しょうがない。目が覚めたのは8時だったけど、3度寝をかまして、11時過ぎにテント(に布団を引いて寝

忘却のアンサー

「乾燥」機能があるかないかで、「干す」手間が省ける。これが一年間となればどれだけの時間を浮かすことができるのだろうか。そんな問答とここ1週間ほど向き合っている。洗濯機の話だ。長らく使ってものが壊れたので買い換えようかと思っている。 が、とりあえず最低限の機能の洗濯機をパパっと買っちゃうか、あるいは、ちょっと奮発してドラム式の乾燥機能付きを買っちゃうか、悩みどころではある。テクノロジーで浮かした時間で何をしようか。その投資と思えば安いもん、なはずなのだ。にしても、優柔不断で貧

本は畏まる上司じゃない。

誠に勝手ながら開催した「小林賢太郎の引退を見守る会」を経て、帰宅。コバケントークしてる真っ最中に公式チャンネルで過去公演がアップロードされており、何か運命めいたものを感じる日だったなあ。 さてさて、今日もプレイバックマイノーツ!  過去noteの振り返り。自分で自分で書いたものから連想することをまた書き散らしてゆく。 2019.01.29 昨日の「デジタル奴隷から抜け出せてない」話にもつながるんだけど、そうやって情報の波に”乗らされ”続けていると、自分とふかーく向き合う

文車曜日

 ふとしたときに、「あ、そういえば」と思い出すことがある。それがわりと大事なことだったりして。しばらく忘れていたのだけど、古本屋をやろうとしてたのだった。  基本的な自分の姿勢として、そういった企画のタネというのは、ストックしておけるようにしている。「これ面白くなりそう...!」と思ったとしても、結局、一人じゃできなかったりやりたくないことのほうが多いから、”あと一人”が現れたり、”適切な時期”がやってくるのを待ち、いつかのためのアイデアボックスにぶち込んでおく。  実際

小包一つにゆさぶられ

 ゆうパックご不在連絡票が届いていた。  ネット注文の本が何冊か届く日だとはわかっていた。昨日メール通知がきていて、時間指定を[14-16時]にしようとしたら、「[16-18時]以降で設定してください」と案内があったので、もういいや、と思って時間指定しなかった。 「どっちにしろ16時以降に来るんでしょ」  そう判断をしてボクは待ち構えていた。ただ、蓋を開けてみたら、油断大敵、12時過ぎに不在連絡票が届いていたのだ。それに気づいたのも17時を過ぎており、本日中の再配達もで

力まず、抜いて、ゆるく読もう。

 本は力んで読んではいけない。これが33年目を生きる凡人の小さな悟りなんだけど、ちょっと聞いてくれ。   と、過去に書いていたnoteをもとに、再び読書法について考えてみたい。 むかしは、一冊をちまちまと一字一句追いながら超精読していたけど、覚えられないし、その読み方で200ページくらいを読むほどの忍耐力もないので、全然本を読み進められなかった。  そうそう、1ページ1ページを精読しようとすると疲れる。”忍耐”とか”根性”がないと本は読めない、という前提(苦手意識)は早

実写化された作品(本)があるとき、映像と文章、どっちから手を出す?

「作品の味わいかたは、人それぞれ」  なんていう平凡な表現しかできない自分にがっくしきながらも、今日も今日とて日記を書くゾ。  「ほんのわ」という読書会をひらいた。読書会っていっても、じっさいに本は読まない「紹介型読書会」であり、ハードルが低いゆるい会である。根っこでは、あまり本に興味がなかったり、苦手意識がある自分からすると参加しやすい。  沖縄/那覇で場を運営してたときに友人がひらいていたスタイルを参考にしながら、という感じだろうか。  毎度テーマを設定するが、今

もしも図書館に似たような本しかなかったら

  定期的に古本を買っている。ブックオフオンラインで欲しいものリストをつくっておいて、入荷通知がきたら、それに併せて何冊か見繕うというやり方。   今回の通知は『新訂 妖怪談義』だったのだけど、じつはもっと急を要してた本は『プレイ坊主』だった。芸人・松本人志の本で、『週刊プレイボーイ』の相談コーナーをまとめて書籍化したもの。  あるとき、ふと思い出した事柄がこの一冊のどこかに書かれていた気がしたのだ。そのついでに気づいたことだが、おそらくこの本、ボクが人生で初めて読んだタ

添えられるかどうか

「コロナがやってきて何が変わった?」  と聞かれたら、僕の答えは、「スマホ依存」から脱却したいよね、という願望から、アナログ時間を意識的に増やしたこと。そのおかげで、深く/長く考える時間が増えたし、自分に必要な情報の取捨選択をやり直せた(これはどっちにしろ定期的にやったほうがいい)。  その”深く/長く”を支えるアクションは多岐に渡るけど、読書というのは本から考える素材をもらえるせいか、”潜る”ためにはもってこいである。  ときどき、本の読むことの意味ってなんだろうなぁ