見出し画像

恐竜とわたし

この夏は2つの恐竜展へ行った。

1つは、上野の国立科学博物館で開催された「恐竜博2023」
トゲトゲがテーマで、鎧型の恐竜の多い展示だった。
ズールという今回のメインの恐竜がダイナミックに展示、丁寧に説明されており、NHKらしいわかりやすくかっこいい展示だった。

もう1つは、六本木ヒルズで開催された「Dino Scence恐竜科学博」
トリケラトプスの子供がララミディア大陸を回ってその時代に生きた有名な恐竜に出くわすのを共に見るという、ストーリー性のある展示で新しい感覚の恐竜展だった。

わたしは恐竜にすごく詳しいわけではないが、子供の頃から博物館や科学館が好きで、多くの人がそうであるように、恐竜やプラネタリウムを前にするとたちまち童心が蘇り、わくわくする。

小さい頃から博物館の順路は1から順に、大体の解説はしっかり読みながら進みたいタイプだ。
小学生の頃友人家族と博物館に行った時には、大人も友人もみんな先に行ってしまったことに気づくこともなく、熱心に展示物を見て周りに迷惑をかけるようなそんな子供だった。

あの頃読んだ解説は殆ど記憶に残っていない(読んでいただけで理解していなかったかも)。
それを今になって解説を読むと、知っていたようでうやむやだった知識の曲がった軸を少しまっすぐに戻されるような感覚が気持ち良い。
わたしの知識ではまだ全然完全にまっすぐにはなれないけれどね。


書きたかった話と少々脱線してしまったが、恐竜展に行くと恐竜がかっこよくて、発掘や研究が素晴らしいことや、未だ見ぬ過去を掘り起こすことへの壮大なロマンを感じることはもちろんだか、わたしはいつも「絶滅」や「環境変化」について考える。

恐竜が生まれた約2億3000万年前から絶滅する約6600万年前の間の1億6000万年の間に1つだった大陸が分断され、恐竜や動植物はその環境変化に対応するため変化していく。

人間が生まれてからおよそ20万年。
今回の展示では、およそ1億年前の木々や虫は今と変わらない形をしていた。
他の動植物研究の記述にもあるようにゴキブリは3億年前から元となる祖先がいたとか、ホイホイと人間がこの世に生まれてから、たった20万年で構築された文明の中で、やれ昆虫が気持ち悪いだとかなんておこがましい話である。

人の手で管理する手間を省くために、豊富な資源を確保するためにダムを設置したり、家畜を飼い、移動手段のための乗り物にエネルギーを使い、故に壊してしまった自然がいかに大切であったかに気づいて環境問題と言って慌てたりしている。

生まれてから急速に増えすぎた人間が生きていくために、そして楽で暮らしやすい世の中を作るために、さまざまな工夫と問題が繰り返されることを問題と定義して、自然豊かな環境を取り戻すのが正義なのか、はたまたそのこと自体が人間という動物がこの地球で生きようとする営みの中で自然なことなのか。

今でもきっと大陸は動き続けるし、環境は変化し続ける。

6600年前に隕石で地球上の8割以上の生き物が絶滅したってこうやって、1億年前の木々や虫が今と変わらない形をしているというのだから、環境問題なんて地球からしてみれば、大した問題ではないのかもしれない。

それでも人が山に登り感動したり、動植物を食べて幸せを感じるというなら、その感覚と、人がまだ地球上では未熟な存在であることを胸のどこかにしまって、生かされている事を感じながら暮らしていけたならいいなと。

そんな考えが少しでも多くの人にあれば、世界はもう少し平和に近づくのだはないかと。

そんなことを思った夏だった。

この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?