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ひと夏の不謹慎な旅――住野よる『恋とそれとあと全部』書評

1450円+税、文藝春秋、2023年

 友達から「人が自殺した現場を見に行こう」と言われたら、たいていの人は面食らうか眉を顰めると思う。何故? 人の死を面白がるのはよくない——つまり、不謹慎だから。他人の死に好奇心を感じるのは、やはり後ろ暗さを覚える心の動きだろう。それが自死であるならば尚更かもしれない。
そんな「人が自殺した現場を見に行く」少年少女の物語が本作である。高校二年生の「めえめえ」は、下宿仲間でありクラスメイトであり片想い相手の「サブレ」に、この不謹慎な旅に誘われる。曰く、サブレは「生きてることや、死ぬこととはっきり向き合った、命のエネルギーみたいなものを感じたい」という理由でこの旅を計画したという。
 死というものに惹かれることを、「中二病」とか「そういう時期あるよね」とか言って片づけてしまうのは簡単だ。もちろんそこには常に不謹慎さを孕んでいることは否めないし、この二人も作中で、しっかりとその不謹慎さへの報いを受けることになる。しかし、未熟で稚拙だと蓋をして、自身の内の正直で切実な興味を押し殺してしまうのも何だか違うような気がする。
思春期というのは、それまで歩んできた人生から、一気に死に近付く時期だと思う。年齢的に、人によっては祖父母が亡くなり始める時期というのもあるだろうし、心の動きが複雑になる分希死念慮も自然に生まれうる。死というある意味究極の非日常が急接近してくるのがこの時期だ。
 さて、タイトルの通り本作のジャンルは恋愛小説に区分できるのだが、死への興味と恋愛というのは、一見ミスマッチな主題の組み合わせであるように思える。だが、この物語を、他者を理解する物語として見ると、このテーマ設定の妙が見えてくる。帯に書かれている「二人は友達だけど、違う生き物。」という文言にも示唆されているのだが、めえめえとサブレは、互いに相手のことを(当たり前ではあるが)自分とは違う価値観や考えを持った人間だと意識している節がある描写が、作中の随所にちりばめられている。だから時として相手を「ひどいやつ」とか「変なやつ」とか感じることもあるが、二人はそこでコミュニケーションを打ち切ることはせず、相手を知り、理解しようとする。一見不謹慎だと思える相手の思考を理解しようとすることと、好きな人のことをもっと知ろうとすることは、よく考えると確かに似ている。
 考え方のギャップというのは、年代によっても生まれがちだ。大人が子供に対して「幼い」とか「青い」とか言ってしまうのが、その最たる例だろう。自分もその幼さや青さを経由してきたはずなのに、いつの間にか忘れてしまって理解を拒む。大人から見て不謹慎だったり未熟だったりすることも、思春期の心からすれば切実で大切なこともあるというのは、思春期を過ぎて大人になりかけている我々にとって意識すべきことなのではないかと思う。自分が思春期に感じた興味や疑問はいつまでも大事にしたいものだし、自分が彼らにとっての年長者になっても、頭ごなしに否定したり笑ったりしないようにしたいものである……そう再確認する読書だった。

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