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【短編小説】180秒までのいきさつ

 東京オリンピックが決まったのは確か日本時間の早朝で、私は家の布団の中からテレビを観てそれを知ったと記憶している。

 隣には当時付き合っていた既婚者の恋人がいて、おお、東京でオリンピックだってと二人で少し盛り上がった。家族にどう説明しているのか訊いたことはなかったけれど、その人はちょくちょく一人暮らしをしている私の家に泊まりに来た。その人のことは好きだったけれど、離婚をして一緒になるということはありえないと分かっていたし、その人を自分のものにしようという気概が私にはなかった。
 じゃあ別れなさいよという話だけれども、そのときの私は近くに男の人にいてほしい気分だったのだ。女はできるだけ男性に抱かれるべきだと思っていた。その人は私に好意を持ってくれていて、私は独身の男性との出会いがなかったので、その人をそばに置いておくことにした。とても勝手な話ではあるけれど。
 だから2020年はその人と一緒にいないということは明白で、そのころにはもしかしたら私は誰かと結婚などして子どもを産んだりしているかもしれないなと思った。7年もあればきっと何かが変わるだろうと、テレビの中で喜ぶ滝川クリステルたちをぼんやりと眺めていた。
 
 2020年のオリンピックは新型コロナによってリスケされ、結局あれから8年後に開催されることになった。

 開会式は家のベッドでごろりと横になりながら観た。既婚者の恋人とは結局ずるずると続き、それなりのどろどろをまとい、3年前に終わった。それから新しい恋人はできていない。天罰みたいなものかもしれないし、もともと結婚への意欲が薄い性質なのかもしれない。男性に抱かれなくても特に問題なく生活できることにも気がついた。
 あのときからの変化が不倫の清算だけなんて、どうかしている気もするけれど現実なのだから仕方ない。あ、引っ越しはした。隣の駅だけれど。それから唇の左上にあった黒々と目立つほくろがなぜだか薄くなり、ただのシミのような代物になった。滝川クリステルは結婚をして子どもを産んだ。

 開会式の感想は、日本以外にもやけに話が長い人というのはいるのだなあということで、気がついたら寝ていた。

 次の日は久しぶりに夜ごはんにアメリカ産のステーキ200グラムを買った。赤ワインのハーフボトルも買った。18時過ぎには風呂から上がり、ステーキを焼き、アボカドとトマトとルッコラのサラダを作り、野菜が足りないと思ってほうれん草のおひたしを作った。だし汁は使わずに、しょうゆとかつお節をかけただけの簡易版だ。
 ステーキもサラダもほうれん草も食べ終わり、赤ワインもあとわずかとなった。赤ワインを飲み干して今日の夜ごはんを終わりにするのが正解だ。だがしかし、何だか物足りない。この感覚は炭水化物を求めているときのものだ。この間安売りしていたカップヌードルトムヤムクン味を買って、いざというときのために取ってあるのを思い出す。

 ああ、何で思い出してしまったのだろう。私の夜ごはんはお酒を優先しているので、炭水化物は控えるようにしている。が、たびたび食べてしまう。冷凍ごはんとか、そうめんとか、柿の種とか。毎日自分との戦いだ。今日はカップヌードルトムヤムクン味が急浮上した。
 我慢すべきだ。4連休の残り1日、めきめきと身体を動かす予定もない。炭水化物を摂取すべきではない。でも食べたい。酸っぱくて辛いスープが恋しい。どうすればいいのか。

 テレビでは柔道男子60キロ級の決勝が始まろうとしていた。日本の高藤選手が映し出される。そのとき私はひらめいてしまった。もし高藤選手が勝ったらカップヌードルトムヤムクン味を食べようと。

 試合が始まった。私は正座をしてテレビを凝視する。がんばれがんばれと高藤選手を応援する。応援しながら、私は一体何をしているのだろうと思い始める。選手の努力の集大成の場を、自分がカップヌードルトムヤムクン味を食べるかどうかを決めることに利用するなんて、人としてそんなことでいいのだろうか。そんなに食べたいのなら、さっさと食べればいいのだ。食べたところで誰も私を責めたりしない。「肉もいっぱい食べて、ワインも結構飲んだんだから、カップヌードルトムヤムクン味は我慢すべきだと思うよ」などと忠告する人はいないのだから。

 試合はゴールデンスコアに突入し、相手選手に3つ目の指導が入って高藤選手は金メダリストになった。私はカップヌードルトムヤムクン味を食べる権利を得た。ほんの少しだけ悩んだけれど、堂々と食べることに決めた。 

 高藤選手のインタビューを見届け、テレビに向かって一礼してから台所へ向かう。やかんに水を入れてコンロに火をつけ、お湯が沸くのをその前で待つことにする。

 でも、まあね。

 私は声に出す。カップヌードルトムヤムクン味を食べるために、自分でもちょっとどうかと思うことをしたけれども、でも、まあ、ひとりで何とか楽しみながら生きられているということでもある。不倫の過去と比べれば、私はましになったと言えるのかもしれない。比較対象のレベルが低すぎる点はお許しいただきたいと思う。誰に許してほしいのだろう。もしかしたら自分自身にかもしれない。

 お湯が沸いたので、カップヌードルトムヤムクン味に注いでふたをする。ペーストの入った小さな袋をふたの上に置いて温めながら、私は声に出して180秒を数え始めた。

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