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等身大を見ることの難しさ

私は長い間、自分の写真を見るのが嫌いでした。満足のいくような顔のものは一つも無い。人に見せるときは、厳選してなるべく可愛く写ったものだけ見せました。
お化粧するときは鏡の前で、目をぱっちり開けて、にっこり笑います。自分が納得行く可愛らしさになるまで、表情を作ります。でも家を出るころには、そんなことは忘れています。

誰かと会っているときは、自分の顔の造作より、存在のありようが変化するのを感じます。具体的には、実際に自分の身体が広がったり縮んだりするみたいに思えます。
憧れの人と会っているときは、薄く浅くなります。上司と話しているときは、小さめだけど尖った、前のめりなかたちになります。
お世話する相手といるときは、その相手よりも大きくなります。でも、お世話する相手から逆に助けられたり、まっとうな意見を言われたりするとき、大きく感じていた身体がしぼんで小さくなります。

そんなことを感じながら日々を過ごすうちに、「リアルではどのように見えているんだろう?」という興味がわいてきました。そして、その答えはすぐ出ました。
仕事場の若い社員と写った写真には、まぎれもなく年相応の中年女性が笑っていました。小柄でちょっと気の強い感じの。特に美しくも可愛らしくもない、普通の一般女性。
Zoomで人と会う機会が増えたことで、動くリアルな自分も目の当たりにしました。やはり、年相応の一般女性でした。思ったより顔の左右がアンバランスでした。
ただ、けっこう相づちが深くて、表情豊かで、挑むように話をしたかと思えば、話を聞かずぼーっとしていたりする。そんな動きを見ながら私は、なんとなく“ああ自分だな”と腑に落ちていました。

歳を重ねるごとに、少しずつ、等身大に近い自分を見ることができているのではないかと思います。でもまだ全然、正視はできていません。
自然に自己肯定できて、相手をフラットに受け入れることができる人はきっと、自分の姿も相手の姿も、等身大で見ることができているのでしょう。とても憧れます。
その点私は、毎日の生活の中で、少しずつ現実を受け入れ、ピントを合わせて行っている感じです。この感じも、“ああ自分だな”と腑に落ちています。これからも、理想と現実の間を格好悪く行ったり来たりしながら、少しずつ腑に落ちる経験を貯めて、等身大にピントを合わせていきたいと思っています。

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