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好きなこと:ヨガ ~自分の歩幅の見つけかた~

好きなこと、を具体的にことばにしたら、どうなるだろう。
それを読んだ自分は、どんなふうに感じ、思うのだろう。
そんな興味が沸いてきました。
なので、しばらく「好きなこと」を書こうと思います。

「周囲に流されず、自分の歩幅で歩くのです」・・・って言ったって、そもそも「自分の歩幅」が分からない。
それが、ヨガを始めるまでの私だった。
周囲をやっかんだり、落ち込んだり、どうすれば良いのか分からずに、がむしゃらに頑張ることしかできなかった私。
そんな私が、自分の歩幅を判断することができるようになったのは、ヨガのおかげだ。

35歳の頃。毎日へとへとになるまで仕事をして、倒れ込むように家に帰って、気持ちの切り替えがしたくてTVやゲームで夜更かしし、寝不足のまままた仕事を頑張って・・・という日々を過ごしていたある日、首がまわらなくなった。
整体に来てくれた友だちから「私は一時的に直すだけ。自分で生活をなんとかしやんとまた一緒やよ」と言われ、本当にそうだとうなだれた。

当時、アメリカで「パワーヨガ」が流行り、日本でもヨガブームが起きていた。私もやってみようかな・・・と思い、本を見ながらやってみた。
ヨガはスポーツっぽい要素もあるけれど、他のスポーツと違って競争しないところが安心できた。私は運動音痴でいつもクラスの足手まといになっていたから、スポーツとか体育会系とかにコンプレックスがあったのだ。
とは言っても、お手本のように身体が曲がらない。わずかな筋肉をプルプルさせても、足を浮かせることができない。運動音痴で体力も無い私には、できないことが多すぎた。

一方で、ヨガの考え方には強烈に惹かれた。ヨガには、今の私に必要な何かがある。私は渇いた喉を潤すように、ヨガの情報を求め、ごくごく飲んだ。ヨガの先生が読むような雑誌も定期購読した。そして、得た知識の中から、自分の心が納得するものを取り入れていった。

ヨガをするうちに、私の首は回るようになり、冷え性では無くなった。何より変わったのは、日々の暮らしへの向き合い方。
ヨガをするとき、先生みたいにできないといって落ち込んだり、むりやりポーズを作ろうとするのは本末転倒。自分の身体が「ちょっと痛いけど気持ちいい」と感じるポイントを、自分で探す。ポーズを取ること自体よりも、身体の声を聴きながらポイントを探す行為の方が、ヨガの本質と言っても過言では無いと思う。
仕事でも、人生でも、同じだ。何をするにも、自分の身体に聴く。息が浅くなってないか?息が止まってないか?そして、「ちょっと痛いけど気持ちいい」と感じる頑張りポイントを探すのだ。

自分の身体に聴き続けていると、なぜ機嫌が悪いのかがわかる。とにかく疲れている時は、横になって目をとじる。誰かの言葉に執着している時はピントを他に仕向けてみる。生理前の黄体ホルモンがそうさせている時は、理由が無くても不機嫌になるので、早々に受け入れ、なるべく人に接触しないようにする。そういう「自分への処方箋」が増えていった。

仕事も、一度に大量の仕事をするのが難しいことが分かったので、自分の変えられる範囲で環境を整えていった。
前もってできることは時間のあるときにやっておく。1時間に1回お茶で一息つくようにする。仕事が難しすぎてパニックに陥りそうになったときは、業務をパーツに分解して、目の前の作業だけに集中する。難しそうなヨガのポーズだって、ひとつひとつの動きは単純。落ち着いて「今、ここ」に集中すればいいのだ。

私は朝起きると窓を開ける。朝の光と風が、私と私の部屋に入ってくる。そんな一日の切り替えの工夫も、ヨガを始めてからするようになった。もともと情緒不安定で怒りっぽい性格が、少しずつ穏やかになってきた。もともと穏やかな人からすると、まだまだ私は短気で怒りっぽいだろう。でも、「自分比較」が大事なのだ。穏やかな人と比べて落ち込むより、「ちょっと痛いけど気持ちいい」ぐらいの努力を続け、過去の自分より少しずつ穏やかになっていく方が、ずっといい。そしてその歩みこそが、「自分の歩幅で歩く」ということなのだ。

自分の声を聴き続けることで、私は仕事も生活も、自分の歩幅で進めるようになった。自然と、周りに振り回されないようになった。

50歳になり、身体が以前より軋むようになった。毎日ヨガで、肩や股関節を伸ばしている。多様な効用のあるヨガには、ずっとお世話になるつもりだ。

※「みんなのフォトギャラリー」から、まつかわゆきこさんのイラストを使わせていただきました。雰囲気のある素敵な絵を使わせていただきありがとうございます。

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