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東京タワーを撮り始めた経緯と撮り続ける理由

2007年秋から東京タワーを撮り始めました。

2007年というのは、新卒で入社した新聞社を辞めて、東京に出てきた年でした。東京に出てきたといっても、大学入学時に一度上京していたので、戻ってきた、というニュアンスのほうが近いかな。

東京に出てきたら、写真をあらためて学ぼうと専門学校に入学。そこでの同期10人くらいとグループ展を開くことになり、グループ展のテーマが「東京タワー」でした。もっと言うと、ぼくの提案した案が通った形になりました。

当時、ぼくが東京タワーについて感じていたことは「アイドルみたいな塔だな」。憧れていたアイドルって実際に見ると、やはり人間なんだなあ、と感じたことないですか?今はSNSやイベントなどで身近になったアイドルですが、ぼくの中高生の頃は、テレビ・雑誌・ラジオで視聴するのみ、コンサートは年に1回行けるかどうかでした。アイドルはなんだか人間離れしたというか、同じ人間だとは思ってもみなかったというか。

地方から東京に出てくると、テレビや雑誌で見た色んなものが実際に存在することに単純に驚いていて、中でも最たるものが東京タワーでした。あの巨大で美しい曲線の赤い鉄塔を見ると、本当にこんな風に建っているんだなあ、と不思議に感じたのを覚えています。

それで、前述したグループ展が終わっても東京タワーへの関心は終わらず、むしろそれが着火剤になった感じで、(一方的な)東京タワーとの付き合いが始まりました。

新聞社を辞めた理由が、報道写真ではなくて建築写真をやりたかったからなのですが、こと自分の作品、ライフワークとしての立ち位置は、建築物そのものというよりも、さまざまな、複数の建築物が形成する、都市あるいは街、といった目線なんだとはっきりと気づいたのも東京タワーの撮影を開始してからでした。とはいえ、ぼくの先輩が言うには、前からそうじゃん、まさか今気づいたの・・・?

当初は東京タワーの持つイメージの強さはどのくらいなのか、をテーマにしていました。最初の展示ではタイトルを「イメージの分水嶺」とつけたくらいで、具体的には、街の隙間からちょこっとだけ見えたり、何かに映り込んだりしている東京タワーを街ごと撮るというスタイルをとっていました。それでも東京タワーだと気づくかどうか、東京タワーといえるかどうか、もし言える場合は、その一部分や影や写り込みを、脳内で東京タワーそのものに変換することの面白さなどについて考えていました。

次第に関心は変化して、江戸と東京の地層の中での東京タワーの存在について考えるようになりました。江戸よりもっと古い時代、この土地がどんな名前で呼ばれていたのかわかりませんが、東京湾一帯がフィヨルドに近い地形だった海進期のことなどを思いながら、縄文時代の地形などもトレースして、撮っていきました。

その姿勢のまま、いまはさらに、東京タワーを見る現代の私たちのことも同時に思うようになりました。東京タワーが見えると、多くの人に自然と「わあっ」とした感情が浮かび上がります。それってなんなのだろう。東京タワーが見えた、という具合でインスタグラムやツイッターに写真を投稿する人たちの思いはどういうものなんだろう。平成の建築物の象徴である六本木ヒルズの展望台に行くと、昭和の象徴である東京タワーが最初に見えます。その時の感嘆(ちなみに逆に、東京タワーの展望台から見える六本木ヒルズは、観察している限りそこまでの感じはない)。ノスタルジーだけではない、何かがあるような気がしていて。

あまり擬人化するのは好きではないので、最後に一度だけ。東京タワー以後に建てられた高層ビルやタワーマンションが全て、東京タワーという焚き火を囲んで、寄り添っているように見えるんです。

以上ここまで、ぼくが東京タワーを撮り始めた経緯と、撮り続けている理由を書きました。

作家活動としては、個展での発表は2010年が最後で、なんとかしないとと思いながら、この記事を書いているのは2019年初頭。それほど活動していない人間を果たして写真家と呼んでいいのかは難しいところですが、結論が出ないので、保留します。

ありがとうございました。

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