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プリンセスと魔法のキス(2009) 「二つの星が輝く理由」

ジョン・ラセターがディズニー復活をかけて送り出した、渾身の「胸熱」映画。ディズニーの名作モチーフ使いながら、敢えて手書き風のアニメーション表現にこだわり、王道のミュージカルを蘇らせることでかつての輝きを取り戻した、新「星」ディズニーの記念碑的作品。作り手の魂の叫びが、気持ちよく、そして真っ直ぐに心に届く、味わい深いディズニー映画です。

正直この作品は、ディズニー好きとそうじゃない人で、もっとも温度差が激しい作品かなと思います。というのも、この作品を語る上で、どうしても過去のディズニー作品や、ディズニーの歴史についての知識が必要になってくるからです。あまり作品背景を鑑賞の中心に持ってくるのは好きではないのですが、これに関しては知れば知るほど面白くなるのは間違い無いですし、むしろ「中途半端な情報」が鑑賞の妨げになっているかも知れないと思うと、本当に勿体無い。中途半端な情報というのは、「ディズニー初の黒人プリンセス」というものです。それは確かにそうなのですが、そんなものはこの映画がもつ演出のごくごく小さな要素でしかなく、この映画の代名詞では決してなりえりません。ムーラン以来となるアニメ映画でのプリンセスが何故このタイミングで復活したのか。フルCGの3Dアニメーション全盛の時代に、一度は撤退した2Dアニメーションになぜトライしたのか。「プリンセスと魔法のキス」は、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ長編作品の第49作目なのですが、50作目ではなくなぜ49作目なのか…。ディズニー映画の歴史を知り、当時の作り手に想いを馳せれば、きっとこの映画の魅力をより感じることができるはずです。

歴史といっても、小難しい話を覚える必要はありません。ただ、この作品年表を見るだけでも、それを感じることができます。

https://entamedata.com/2020/04/09/ディズニーアニメ映画歴代の劇場公開された長/

こちらのサイトで、ざっと流し見ることができるのですが、こうして並べて見てみると、有名な作品というのは、ある程度時代ごとに固まっていることがわかります。そう、ディズニー映画史には、いくつかの黄金期と暗黒期、光と影の時代があるのです。まず第一次黄金期と呼ばれるのが1950年代から続いた、シンデレラ(1950)、不思議の国のアリス(1951)、ピーター・パン(1953)、眠れる森の美女(1959)など、ウォルト・ディズニーの時代。しかし1966年にウォルトが死去すると、叙々に雲行きが怪しくなります。黄金期を支えたアニメーター達が現場を離れた1980年代は暗黒期と言ってもよいでしょう。(もちろん中には、今のスター達が数多く携わった「きつねと猟犬」など、要チェックな作品もあります。)その暗黒期を脱したのが1990年代。パラマウントを再生させたマイケル・アイズナーがCEOに就任し、その右腕ジェフリー・カッツェンバーグが映画部門の責任者になったことで、大きく潮目が変わります。リトルマーメイド(1989)、美女と野獣(1991)、アラジン(1992)、ライオンキング(1994)など、映画史にのこる名作でヒットを連発、アラン・メンケンらによるミュージカル要素と、世界中の様々な場所を舞台にした作風で「ディズニー・ルネッサンス」と呼ばれる第二次黄金期を作り上げました。しかしこの黄金期も長くは続きません。社長就任をめぐるイザコザで、カッツェンバーグが退社してしまい、2000年代はまたまた暗黒期に逆戻り。しかも、トイ・ストーリーのピクサーが、モンスターズ・インク(2001)、ファインディング・ニモ(2003)など、オリジナルストーリーのフルCG3Dアニメでヒットを連発、また、ライバル会社のドリームワークスが製作したシュレック(2001)が、その年に新設されたアカデミー長編アニメーション賞を受賞するなど、時代にとりのこされはじめます。ちなみにドリームワークスは、ディズニーを退社したカッツェンバーグが友達のスティーブン・スピルバーグ達と一緒に立ち上げた会社。明確な「アンチディズニー」を掲げて、大人向けの良質な作品を作り続けました。

しかも、この暗黒期のうちに、ディズニーはいくつかの「財産」を手離していきます。例えば音楽。ディズニー・ルネッサンスの特徴でもあったミュージカル作品はなりを潜め、あのアラン・メンケンの楽曲もいつの間にか使われなくなっていきます。リトル・マーメイドやアラジンを監督した、ジョン・マスカーとロン・クレメンツの仲良しコンビも、トレジャープラネット(2002)を最後にディズニーを引退。そして極め付けは手書きスタイルの長編アニメーションからの撤退です。ピクサーやドリームワークスなどによる3Dアニメーション隆盛の流れを受け、「今後は全て、フルCGの3Dアニメーションで製作する」と発表したのです。ちなみに最後の2D作品「ホーム・オン・ザ・レンジ(2004)」は、日本では劇場公開すらされませんでした。もうディズニーの時代は終わりかもしれない…そんな声がリアルに沸きたつ中、一人の救世主が現れます。ピクサーで大成功を収めていたジョン・ラセターです。2006年、ウォルト・ディズニー・カンパニーがピクサーを買収したことで、ジョン・ラセターがディズニーとピクサーのCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)に就任したのです。

ここからまた、一気に流れが変わります。ジョン・ラセターは、それまでディズニーが採用していた、スタジオが製作期間や予算をコントロールし、ビジネスとしてアニメーションを製作するトップダウン型の製作体制から、ピクサーでも採用していたフィルムメーカー主導の、ボトムアップ型の製作体制に変革しました。そして、ピクサーは「革新」、ディズニーは「伝統」で勝負をすると宣言します。そんなジョン・ラセターのもとで初めて製作されのが、ディズニーのフルCG3Dアニメーション映画「ボルト(2008)」。ボルトは大ヒットし、興行的にも作品評価的にも、ディズニー復活の狼煙を上げました。

ラセターは、フルCG3Dを制作する裏で、ディズニーがかつての誇りを取り戻し、本当に復活するためには、誰にも真似できない「王道の力」を見せつけなければいけない、と考えたのだと思います。そしてそれは、50作目で新しいディズニーを確立するために、どうしてもこの49作目でやらなければならなかった。フルCG3Dという次の時代に歩みを進めるために、有耶無耶のまま失われてしまった「あの方法」で作らねばならなかったのです。そう、撤退を発表していた2Dアニメーションの復活です。さらに、引退していたジョン・マスカーとロン・クレメンツの仲良しコンビも呼び戻し、(おそらく)こう言ったのです。「ムチャクチャしたれ!」と。(2005年の中日阪神戦で、阪神の岡田監督が久保田投手に対して言った名言ですね。その後、久保田投手は、9回裏1死満塁という一打サヨナラの大ピンチをストレート勝負で連続三振に押さえ込み、試合にも勝利。その年の阪神はリーグ優勝を果たしました。)

こうして、圧倒的暗黒期の中、ディズニーの栄光と誇りを取り戻すべく、ド直球の王道ディズニー映画の制作がはじまりました。ジョン・マスカーとロン・クレメンツは、手書きアニメーション製作スタッフを確保するために、美大生をも起用。その際、会社から破棄を命じられていた手書きアニメーター用の作業机を社員がこっそり保管していて、この製作のために再度利用したそうです。(なんと言う熱い展開でしょうか!)ミュージカルの楽曲は、トイ・ストーリーでもお馴染み、ピクサー映画を数多く担当したランディ・ニューマン。舞台設定はニューオーリンズ。ディズニー・ルネッサンス時代の伝統であった「ミュージカル」と「舞台設定」を踏襲して作られています。他にも、魔術を使う怪しげなヴィランや、過去作のオマージュに満ちた仲間たち、そして何と言ってもプリンセスの復活…。「プリンセスと魔法のキス」は、たまたま出来上がった久しぶりの王道ディズニー映画ではなく、ディズニーが意地と誇りをかけて、あえて王道で戦うために作り上げたスーパー胸熱映画なのです


ようやく準備が整いました、作品を見ていきましょう。作品の冒頭に登場するのは今作のモチーフである星、そして当時は珍しくなっていた歌からのスタートです。ところでこの星、どう見てもピノキオ(1940)に出てくるあの星です。ちなみにウォルト・ディズニー・ピクチャーズのジングルと言えばシンデレラ城ですが、実はトップカットは例の星。その後「星に願いを」のメロディに乗せて、シンデレラ城が映され、花火が上がるという構成になっています。

ピノキオの冒頭は、ジミニー・クリケットの歌う「星に願いを」ですが、歌始まりといい、あの星といい、本作がピノキオを強く意識して作られているのがわかります。本作冒頭でも「星に願えば魔法の力で願いが叶う」と謳っていますし。ところがどっこい、ティアナの父ジェームズは娘にこう言うのです。「星は希望をくれるけれど、夢を叶えるには努力することが大事なんだ」と。それからティアナは夢を叶えるために懸命に努力を続けるのですが、大人になるにつれ、星に願うことなど馬鹿馬鹿しく意味のないことだと考えはじめます。「星なんかに頼ったからこんな目にあったんだ!」というセリフさえ飛び出します。それでは本作で「願いを叶えてくれるもの」として、魔法の代わりに描かれているのは何か、そう、「お金」です。ティアナはレストランを買う夢のため、毎日働いてお金を稼ぎ、お金のために絶望をします。ナヴィーン王子が結婚を望むのもお金のためです。ヴィランであるファシリエも「この世を支配するのは魔術ではない。お金だ」と言い切ります。星に願うだけで欲しいものが手に入るのは、お金持ちのシャーロットだけ。では、ディズニーがこれまで歌ってきた「星に願う」とは何なのでしょうか。現実において、夢を叶えるのに一番必要なのは、本当にお金なのでしょうか。ディズニーのシンボルとも言える星をテーマに、物語はすすみます。

また、本作のミュージカル映画としての側面は、本当に見事としか言いようがありません。タイトルバックの楽曲「それがニューオーリンズ」は、物語の舞台を見せながら、ナヴィーン王子やファシリエのキャラクター紹介がリズムよく挟み込まれるという、ハッピーでありながら計算された最高のオープニングソング。ティアナが歌う「夢まであとすこし (Almost There)」は、夢であったお店のパンフレットの世界にティアナが入り込んでいく、2Dアニメーションならではの演出を詰め込んだ名曲です。アラジンやリトルマーメイドでも存在したヴィランソングももちろん存在。「ファシリエの企み」は思いっきり怪しげでワルモノの歌なのですが、魔法を使ってテーブルに座ったお客をおもてなしするという点では、美女と野獣の「ひとりぼっちの晩餐会(Be Our Guest)」に通じるものがあります。どれも、楽曲と映像が一つになって完成する、ディズニー・ルネッサンス時代の王道パターン。それぞれ歌の始まりから終わりまで、ため息がでるような完璧な構成がなされており、一曲一曲が全力で投げ込まれている印象を受けます。

「プリンセスと魔法のキス」がディズニーの伝統を意識したポイントとして、他にも数々の要素が登場します。12時というタイムリミット、姿を変えられた王子様、キスで魔法が解けるという仕掛け、などなど、期待通りの「お約束」ですが、やはりディズニー映画ほどハマるものはありません。作品としてはピノキオをモチーフにして作られていることは先述の通りですが、実はもう一つ、絶対に押さえておかなければならない作品があります。ヒントは恐ろしい存在として活躍する「影」。影の造形自体は、ナイトメア・ビフォア・クリスマスのウギー・ブギーに近いのですが、それよりももっと「影」が躍動する作品と言えば…?そう「ピーター・パン(1953)」です。影だけではありません。ピーター・パンはあの「星」にも強いつながりをもつ作品です。ピーター・パンのオープニングソングは「The second star to the right」ですが、この歌の星は、「あなたの願いを叶える星」であり「夢のネバーランドへ導く」とされています。実は先程お見せしたディズニーのジングルの星、よーく見ると大きな星の隣に小さな星が描かれています。ピーターパンの星はこの小さな星です。これを知っておくと、本作はより一層楽しめます。


ちなみに、本作の重要なキャラクターであるホタルのレイの光の動き方がティンカー・ベルに似てるなぁと思っていたのですが、ピーター・パンで一番のちびっこマイケル君が初めてティンカー・ベルを見たときに、「ホタルだ!」って言うんです。まぁこれは流石にたまたまかも知れませんが…とにかくレイは、ティンカー・ベルのように時に勇敢にティアナたちを助けながら、ジミニー・クリケットような「導き手」であり続けます。そして、カエルになった二人に最も大きな助言を与えるのが、呪術師のママ・オーディ。こちらは本作におけるシンデレラのフェアリー・ゴッド・マザーのような存在です。彼女は、「人間に戻してくれ」とお願いしたティアナとナヴィーンに対して、「欲しいもの」じゃない、「必要なもの」に気付きなさいと助言します。実はこの教えこそ、ディズニーの王道メッセージ。いつの間にか手段が目的化していないか、そんなときは、自分にとって本当に大事なものはなにか、を「もう一度よく考えて」と言うのです

作品前半における大きな問い「願いを叶えるのはお金なのか」に対しては、あまりにサラッと回答します。「お金じゃ幸せは今も昔も買えないよ」「大事なのは愛なんじゃない?」と。ナヴィーン王子は、カエルという人間社会から逸脱した存在になったことで、このメッセージの意味に気がつきます。「自分のため」に生きるのではなく、「誰かの幸せのため」に行動したいと思うのです。どこまで行ってもお金は大事です。ですが、大事なのはお金そのものではなく、何のために、誰のために使うのかということです。

さらにティアナには、「その夢が叶ったら本当に幸せなのか」と問い返しています。「夢」を持つことを肯定しながらも、その夢の本質を問う。「王子様と結婚すれば幸せになる」というステレオタイプな価値観もシャーロットを使ってあえて提示した上で、”Happily ever after”について観客に考えさせます。そして本作においては、夢よりも大事なものとして、ハッキリと「真実の愛」を提示するのです。(このとき、再びシャーロットの口を借りるのが粋なところ。シャーロットは決して単なる当て馬ではないのです。ここに、作り手のキャラクターへの愛を感じます。)

ディズニー作品において、「夢」と「愛」は欠かせないものです。夢という大きな希望があるから人は努力を続けることができ、成長することができます。ですが、夢だけでは幸せにたどり着けるとは限らない。真実の愛が必ずそばにあり、時に夢よりも大切なものとして、輝いていなければならないのです。そう、ピノキオの星が「夢」だとすれば、ピーター・パンの星、二番目の小さな星は「真実の愛」の象徴なのだと思います。そして、ディズニー映画における「星に願う」とは、この二つに心を寄せることであり、大きく見える星ではなく、隣で輝く小さな星に気がついたとき、魔法のような奇跡が訪れる、というメッセージかもしれません。ディズニーの伝統とも言えるこの概念を、「プリンセスと魔法のキス」は終盤のあるシーンでもって、完璧に、本当に完璧に表現します。50年前の壮大な伏線を回収したとも言えるこのシーンは、2Dアニメーションでこそ輝く表現。伝統をリスペクトしながら、新しい道に進んでいくことを宣言する、この作品に相応しい名シーンです。

49作目でこの王道を描き切ったことで、翌年ディズニーは50作目「塔の上のラプンツェル(2010)」でフルCG3Dアニメによるプリンセス・ミュージカル映画を完成させ、完全に復活、第三次黄金期がスタートします。でもそれは、伝統をリスペクトし、王道を描き切った本作があったからこそ。道に迷った時に、戻って来てまた見たくなるような一本。是非。


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