ディズニーの民主主義的構造分析による、暇つぶしの勧め

皆様こんにちは。

僕は広告代理店で働く独身男です。僕はディズニーが大好きなんですけども、その前に、映画を見るのが大好きです。

映画って、一見つまんないなと思うものでも、見方を変えれば発見があったり、色んな楽しみ方ができるじゃないですか。

「みうらじゅんの映画ってそこがいいんじゃない!」っていう本があるのですが、その本は「面白さが見出せなかったのは、己の力量のなさではないのか?」という信念のもと、”つまらな…”が飛び出そうになった時にかます呪文「そこがいいんじゃない!」について書かれています。どんな映画でも見終わったあと満足を得ることができる、無敵のスタンスです、これ。

そういう意味ではつまらないものなんてないんですよね。映画に限らず、どんな作品も人間も人生も、必ず楽しみ方があるはず。

映画の楽しみ方って、ただ漫然とみるのも楽しいんですけど、撮影技法とか、表現のテクニックとか、作り方のことを勉強していくとどんどん面白くなっていきます。「この証明の使い方、ニクイねぇ」みたいな。あと、特定のジャンルを見続けているとわかることもあります。「あれ、このショットってあの映画のオマージュじゃない?」みたいな。自分で気づくとめちゃ感動ですが、ほとんどは知らんがなって感じです。こういう見方って、ある程度映画好きなら出来る様になるんですけど、結構オタッキーで、映画という文脈の中に閉じている感じです。

一方で、映画という枠から飛び出して、人生とか社会に翻訳する見方もあります。それが、「これはこれのメタファーだ!」みたいな、屁理屈みたいな見方です。昔、内田樹さんの「映画の構造分析」を読んで、「え?エイリアンって男性器のメタファーやったの?!」と驚くと同時に、映画ってこんな見方もできるのかと感心しました。「この映画は、現代のアメリカ社会を皮肉っているんだ」みたいないけすかないレビューも、なるほどねと読めるようになりました。一度見終わった映画も、別の見方ができるんじゃないかと探すようになりました。一気に楽しみの幅が広がったのです。

自分の頭の中で、「ひょっとしてこれはこういう事を言おうとしてるんじゃないか」みたいに分析してみる。分析と言いましたけど、検証なんてしません。作り手じゃないので、あくまで勝手に考えて楽しむだけです。

そして自分で見つけた解釈を色んな人にぶつけてみる、議論する、別の人の解釈も聞く、そんな見方があったのか!という発見がある。ずいぶんこれで、人生楽しくなった気がします。テレビでよく監督や出演者が撮影秘話やトリビアを語っていますが、なんかふーんって感じですよね。だってそれって議論の余地がないじゃないですか、あんたが言うんならそらそうなんだろうよって。やっぱり議論の余地がある、見る人によって個性がある、「民主主義的な構造分析」が、映画という暇つぶしをもっと楽しくする見方だと思います。

そんな中で、ディズニー映画は、民主主義的構造分析のテーマとして非常に興味深いジャンルです。長い歴史の中で積み上げてきたイメージ、理念、お約束、そこからの脱却、世界最大のコンテンツとしての責務、などなど、単なる可愛いキャラクターアニメでは許されなくなった現代ディズニーがどこへ向かうのか、色んな見方ができます。ファミリー映画として老若男女が楽しめるものであると同時に、何度見ても新しい発見がある。おうちコンテンツが求められている中で、これを楽しまない手はありません。

このnoteでは、色んなディズニー作品について、僕が感じたこと、映画のレビューを書いていきます。どうしてもネタバレありありになってしまうので、そこは注意していただきたい。一度自分でみて、そこから記事を読んで、発見について語り合おうではありませんか。皆様のディズニーライフを豊かにする一助となれれば幸いです。

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