熊楠80

南方熊楠が好きだ。

大すきだ。今さら改めていうまでもなく、日本史上の一大人物である。その人気の衰えない理由、取り上げるべき逸話は数あれど、あえてその徳目を一つ挙げるなら徹底した「肉体派」である点。

熊楠は「筆写」を日課としていた。昼ハ写シ夜ハ読ム、土曜祝日ハ図書館ヘ行ク...、と日誌にも記してある通り、洋の東西を問わず、書物一冊まるまる、一字一句、せっせと写し取っていくのを自身のライフワークとしていた。

筆写している間にもちまえの巨象のごとき超人的記憶力の恩恵に与って、内容をすっかり覚えてしまう。いくつもの言語を体得し、流暢に使いこなすほどである。

だからか知らんがその随筆も余人をもって代えがたい独特のノリと視点があってほとんどが自慢話とオカルト、スピリチュアル、妄想、人から聞いた噂などだが、行間から滲み出ている人格の力が尋常ではないのがわかる。

また、これも素晴らしいと思うのが。学問的に体系だった仕事をほとんど残していないこと。その構想はまさに超横断的かつ膨大であり、当時の学問の基準とは一線を画したスケールを持っている。

熊野古道を奥に進むと那智山を通る。帰国後ここに籠ってふんどしいっちょで森を駆け巡りつつ「我、霊妙を得ん」と変態心理学の研究と実践に心を専らとしていたのである。

しかし一方で、所謂「世をすて山に籠る」というような厭世的態度にも決して流れない。むしろ熊楠のキャラクターはすこぶる陽性であり、また人からも愛され、敬意を抱かれていたのである。日誌を読む限り、来客が絶えず、どこかの酒場で呑み明かしている、というのが常であった。

したがっていかに熊楠が近代化に慣れた人々の風が多奢放縦に流れていく姿を憂い、また痛罵し、(世の常にさからう者の宿命だが)その評判は「孤独な巨人」めいているのだとしても、
内面には人間善性への絶大なる信頼が潜んでいたと見なすべきである。彼は少しも世に「絶望」しないのである。

なお、例の那智山での空前絶後の修行が仇となり自身の精神が些か破壊されてしまったとのちに真理告白している。爾来、下山して田辺に移住して死ぬまで幻影に悩まされ続けた。この半ばヤケ、無茶苦茶な感じは「80年代的」だと個人的には思え、信頼度がいや増すばかりである。

熊楠は、明治という新旧入り混じる混濁の世において、まったく新しい世界観を生み出す温床だったといえよう。

…最後に関係ないが。「書く」というのは普通に重労働だから、今の子共はやらないようだ。やらないというかやれない?というか。夏休みの宿題で「漢字書き取り1万字」なんてナンセンスだと。「筆写」なんてとんでもないと。それどころか学校ではipadを付与しているらしい。この国の教育は、どんどんウンチになっていくなと思う。みなすべからく熊楠に帰るべし。

<続く…?>

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