彦坂尚嘉論(5)

2020年、パンデミックのさなかに、彦坂から聞かされた言葉で忘れられないことがある。ずいぶん時間が経ってしまい、仔細を完全に再現することは不可能だが、

「…これまでこの国は、あまりにも豊かだったので、世の中がダメでもなんとかなっていたが、豊かですらなくなってきて、いよいよ切羽詰まってきました」と言ったら、

彦坂が「切羽詰まることは悪いことだけではありませんね?」と”問い”を投げかけてきた。

ひとしきり思考をめぐらせた後「はい、切羽詰まるからこそ、人はより本質的な存在となる可能性が出てきます」と応じた。

「人の本質はバブルなのですよ。そうではなく、覚醒するのです」

彼はめったなことで人に本音をいうようなマネはしないはずだ。だからこそ、当時はわからなかったこの言葉を今、反芻している。

あれから4年経過した。ずいぶんいろんなことがあった。美術業界を眺めている彦坂のまなざしには、やや厭世的な気分が漂っている。そのようにわたしが「見る」のは、上で述べたような経緯があるからなのだけど、そればかりではない。

covid-19と呼ばれている肺炎の脅威が終息しつつあった2022年頃から、彼の政治的態度はこれまでになく変わったように、見える。このことは、それまで高く評価していたアーティストに対して「終わった」としきりに言い始めたことに端的に表現される。

globalizationの美術=戦勝国の象徴といえるアーティストを大胆に切り捨てるような発言が目立つようになる。

これまで格付け発言の尻馬に乗っていた”信徒たち”にとっては、ショックだったに違いない(個人的に見聞きしている範囲でも、同調者・反対者とわず、フランシス・ベーコンやシンディ・シャーマンを”芸術”と発言している有力アーティストらがいた)

殊に彦坂と世代を共有するアーティストや美術批評家たちは、みな戦後美術の非対称性に苛立つという身体性を持つのだけど、かのような旧体制的な批評観が完全に過去のものとなったことを、みずからが認めたかたちである。

美術のヘゲモニーが急速に変化し始めている。今現在、暫定的に「マーケティング思考」が隆盛をきわめているが、20世紀はじめ頃のフランス、20世紀中ごろ・後半のアメリカのごとき美術の「正統性」は見当たらない。しかも、目を凝らしてみれば、左派的”統制”の欲情(バカも天才もみんないっしょ)は影響力を保っている。

その帰結が「政」、金権・セクト争いであるのは明らかだ。

個人の市場からの退却、アート業界の集団主義化(決定的だったのが”アイトリ”)が進み、アートの価値=”お金”=”集客”と等価交換であることが証明されるような事態が発生しつつある。闇が垣間見える、どころではなく、白昼堂々その闇が全体を包もうとしているかのように、ありありと実感されるのである。

美術は世界の本質をもっとも濃縮した領域である。国内ではそれだけに過ぎなかったとしても、いざ世界の方に目を転じれば、「権力への欲動」はますます堕落を深め、不吉の兆し(地獄・戦争)として、あちこちにみられるようになった。

突如、引退を発表し、スタジオを閉鎖したジェフ・クーンズが、2020年に発表した作品は、アイコンである丸っこくてかわいいレディメイドではなく、真っ黒な兵器のような代物だった。天才の仕事はそのまま世相をあらわす。

<続>

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