お念仏と読書#4 不思議な踊りをおどるハト~迷信が生まれる訳~
今回は脳科学者の池谷裕二さんの『自分では気づかない、ココロの盲点 本当の自分を知る練習問題80』を取り上げます。
脳科学の研究から、私たち誰しもが抱える「認知バイアス」という脳の癖をわかりやすく解説されます。
脳が私をそうさせる。「認知バイアス」の不思議な世界を体感。たとえば買い物で、得だと思って選んだものが、よく考えればそうでなかったことはありませんか。こうした判断ミスをもたらす思考のクセはたくさんあり、「認知バイアス」と呼ばれます。古典例から最新例までクイズ形式で実感しながらあなた自身の持つ認知バイアスが分かります。
この本に、「なぜ迷信が生まれるのか?」について考える上で興味深い実験があったので紹介したいと思います。
まず、ハトをブザーが鳴ったらスイッチを押す、すると餌が出るという装置に入れます。
ハトは正しいタイミングでスイッチを押して、餌を得ることができるようになるそうです。
その後、音やスイッチとは関係なく、あるとき突然餌が出るような仕掛けにしたそうです。ここでクイズです。
ハトはどうしたと思いますか?
①じっと餌を待った
②不思議な踊りをした
なんと、答えは②の「不思議な踊りをした」だったのです。
突然餌が出ると、ハトには因果関係が分かりません。原因が分からない時、「脳」は「法則」を探したくなるそうです。
だから、たまたま餌が出た時にとっていた姿勢が、餌を得た理由だと勘違いして、その時の姿勢を繰り返すようになるのです。実際に実験をすると、クルクルと回ったり、頭を振ったりと、さまざまなルーティン、つまり「儀式」を行うようになったそうです。とても面白いですね。
池谷さんは、脳は数少ない経験を法則化しがちと言われます。これを「少数の法則」と呼びます。
単なる偶然でも二度三度重なったら、「次もきっと…」と一般化したい感情が生まれるのです。
ある時、小2の息子と一緒にポーカー勝負をしていたら、息子が「お姉ちゃんが配ってくれたカードだったら、僕は勝ちやすい!」と言うのです。
そこに因果関係はありませんよね。たまたま最初お姉ちゃんが配ってくれたカードで勝ったので、つぎもそうだと思い込んでいるのでしょう。
私は内心「まさに少数の法則だ!」と思いました。でも次もたまたま勝ったので、息子の想いはより強固なものになってしまいました。
しかし、息子だけではなく私自身も気づいてないだけで経験則があるのでしょう。
またラッキーカラーやラッキー下着など、よくある「験かつぎ」も、数が限られた成功体験から、定式化された「儀式」にすぎないと池谷さんは言われます。
ジンクスや厄年といった社会的信念も多くはこの原理によるものです。
丁度、年齢的に体に不調が表れやすかったり、社会的立場からくるストレスがかかる時期が厄年と言われる年齢であるかもしれません。
でも、厄年だから、事故や病気が我が身に起こるというのは道理に合わず、迷信だといえるのでしょう。
しかし、私達は今まで培ってきた知識や経験から自分の中の経験則、因果関係を見つけて、それに頼ることなしには、生きていくことはできないのではないでしょうか。
その経験則が見方の偏りとなって、少数の法則のような勘違いが生まれることがあります。それが迷信となります。
また踊っただけのハトと比べて、私たち人間が注意しなくてはならないのは、自分の法則・迷信を、相手に強要して困らせてしまうことです。
迷信は自他を迷わせ、傷つけることがあることをしっかりと知っておくことが大切なのででしょう。
この本を読んでいると、認知バイアスを通して、私達はみな自分に都合よく世界を認識しているのだと知らされました。
「歪める」という偏見フィルターこそ私たちにとっての心で「考える」というプロセスなのです。
そのような脳を持つ私達はあるがままに世界を捉えることができず、本質を歪めなければ、そもそも見ることも考えることさえもできなかったのです。
そもそも世の中をすべてを自分色の色眼鏡を通して見ているということを仏教では説かれます。
仏教では私達の苦しみの根源は、無明といい、真っ暗闇の中にあるように、あるがままに物事を見ることができないことによるといわれます。
わずかな経験を頼りとして踊りを踊ってしまったハトは、突き詰めていえば、餌が食べたいという欲の心からです。「欲に目が眩む」という言葉がありますが、私達も欲にとらわれて周りが見えなくなってしまうことがあります。
また、「瞋りに目が眩む」というように、腹が立って冷静さを欠き物事が見えなくなることもあります。
その根元にあるのが「無明」(自分の都合でしか物事を捉えられない)なのです。
自分の欲の心、怒りの心、そして、その根底にある「無明」が自分の身であると知らされることこそが、迷信を破るのには大事なのだと考えさせられました。
最後までお聴聞下さりありがとうございました。南無阿弥陀仏。
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