4-5.シイナ先生は素早くプリントを取り上げると、裏に返して再び机の上に置く。
シイナ先生は素早くプリントを取り上げると、裏に返して再び机の上に置く。俺はシャープペンシルをかまえたままの間抜けな姿勢で放置された。なんなんですか、もう! 全力でつっこみたかったが、さらに話がややこしくなりそうだったので、黙って言葉をのむ。
先生は裏返したプリントを左手で押さえながら、右手の人さし指を立てる。
「冗談はさておき。おまえを取り巻く環境は、この一か月弱で大きく変わったはずだ。もしかすると、その変化はおまえの望んだことではないかもしれない。だがな、それも物理の勉強と同じだ。最初から無駄なものなど、この世界にはひとつもない!」
「あの、ドヤ顔やめてもらっていいですか」
耐えきれずに、うっかり口に出してしまった。
シイナ先生がぎしっと音を鳴らして背もたれにもたれ、口をとがらせる。子どもかよ。
「パソコン部の連中は、いいやつらだと思います。でも、それだけです」
「なんだよ。ずいぶんと冷たいんだな」
じっと俺の目を見てから、先生は肩をすくめる。しかたないだろう。どんなに長くても一年後には親父は転勤になる。けっきょくは、そこまでのつきあいなんだから。
「そんなつもりはないんですけどね」
「では、これから、どうしていくんだ?」
「特に考えていませんよ。なるようになるんじゃないですか」
「やはり、おまえも性根が途中からねじれて、先端が折れ曲がっている部類だな」
シイナ先生はひとつため息をつくと、おもむろにニヤリと笑う。
「おまえもって、俺の他に誰かいたんですか?」
俺が質問をすると、シイナ先生は口をぽかんと開けて、意外だなという表情を見せた。
「難波はどこまでも内向きなんだな。本当に興味深い」
「な、なんですか? いきなり」
「文字どおり、難波という人間に関心があるということさ。別に取って食おうというわけじゃない。泥船に乗ったつもりで安心しているがいい」
どう考えても沈むであろう泥船の、どのあたりで安心すればいいのか。この補講が終わるまでに答えが見つかるとは、とうてい思えなかった。というか、そろそろ補講を始めてくれないかな。
「心配するな。このやり取りも補講の一部だ」
先生は満面の笑みを浮かべながら、大きくうなずく。心の声がどこかで漏れていたのだろうか。
「わかりました。では、他に聞いておきたいことはありますか?」
「そうだな。参考までに聞いておくが、おまえ…………彼女はいないよな?」
失礼なことに質問が完全に彼女いない前提だ。いや。まあ、いないんだけどさ。
俺は返答のかわりに首を左右に振った。先生がぐっと親指を立てる。
「仮説どおりで良かったよ。これで、もしおまえに彼女がいたら、おまえという人格が事象の地平線に飲み込まれて破綻してしまうところだった。危なかった」
どういう理屈で立てられた仮説かはわからないが、とりあえず俺のキャラは維持できたらしい。
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