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人生の勝ち組・その徹底ぶり!


母は思い込んでしまった。ボクが先天性の障害を持って生まれたのが
おじいさんとおばあさんのせいであると・・・


うちのおじいさんは岐阜県に生まれたと聞く。
商売を立ち上げるために大阪へ行き、機械商としての成功をおさめる。
浜松出身のおばあさんと結婚して、二人の男の子を授かった。
父はそのうちの一人である。

父は、大阪の浪速商業高校(波商)の野球部のエースだった。
孝行息子であり、兄が、家の財産を芸者遊びで使い果たしたときには
残された機械を大八車に乗せて夏の暑い中、遠距離を売りに行ったらしい。
(ボクにも、おじさんとおなじ血が流れているようだ)

戦争が終わって帰って来たあとも、疎開して浜松が気に入り
浜松で暮らしたい両親のために、浜松に家を建てたという。
風呂屋をやるつもりだったが、距離的な問題で出来なかったけど。
(ゆえに、大黒柱がない家だったから、台風のときは、ものすごく揺れた)
浜松の地理が知りたいと、浜松に来てすぐタクシーの運転手になった。

おさないときに中耳炎になり、ほおって置いたら難聴になり
それで家族に迷惑をかけたのだが・・・


母のおじさん?はお茶関連の仕事をしていたらしい。
「山崎式籾すり機」とやらを発明して、特許をとったと聞いた。

が、ボクに流れる血の中に、そういう能力が潜んでいるかは不明だ。

母の父も蕎麦屋を立ち上げた。
浜松駅からすぐの北寺島町で「大野屋」を営んでいた。
こちらも、息子が店を潰すことになるのだが・・・。
駅すぐそばゆえ、お客さんも多く「浜松南部で2番目の売り上げ」だった。
1番のお店である「磐田屋」さんの味には太刀打ちできなかったけど。
(これはあくまでボクの評価である。店は駅より徒歩7分くらいにあった。)


戦争のときには、おばあさんは実家まで食料を調達に行った。
駅で検問にあって取り上げられたそうだが、母はそのときよりも
結婚したあとのほうが、粗末なものを食べていた、と後述した。

朝食がパン2枚・昼食が、きしめん1杯。それだけだった。
当時も茶道教授でもあった母は、くりくり動いた。働いた。
ボクがおなかにいたときも、同じ内容の食事。なおかつ、おばあさんたちは母のことをなにひとつ手伝ってくれなかったらしい。

そして生まれたボクの右手には先天性の障害があった。
父が言っていたが、ボクと対面したとき母は悲しんだそうだ。
お医者さんは「1万人に一人の確率で生まれる」と言った。
父はそれを信じたが、母は・・・冒頭で書いたとおりだった。

ボクはどちらが正しいかなど、どうでもよかった。
それより、結果で互いの意見が違ったこと
そして母が、姑・小姑を憎んだことがたまらなかった。
ボクが生まれたために・・・と思いもした、悲しかった。


あるとき母が昔のことを話してくれた。
おじいさんが「今日は風呂で、お湯を3杯しか使わなかったぞ!!」と言ったという。母は「何でそんなことを言うの・汚らしい」と思ったと述べた。


人生の勝ち組は徹底しているのだろう。
サンプルはひとつであるが、他の成功者も似たことをしてるのだろう。
お金持ちは、お金を使わないからお金持ちだと聞いたことがあるから。

でもそれで、まわりに迷惑をかけるのはどう感じていたのか?
父もボクにお金を使うなとよく言っていた、刷り込まれたであろう。
母もある意味では成功者だが、使うところには使っていた。
同じ成功者でも、こうも違うものなのだ。



どちらがいいかは、人により考えは違うはず。


ボクは人に迷惑をかける前者はきらいである。
そのために、「ボクの人生を狂わせた」としたのなら、なおさらに。



・・・ボクは母が好きでした。


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