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唯識、密教、2人の天才


「日本史上最大の天才は誰か」という議論をすると、必ず名前が挙がるのが弘法大師、空海だ。

日本で初めてノーベル賞を受賞した故 湯川秀樹氏は、ダヴィンチやアリストテレスを凌ぐ万能的天才だと空海を評価していたらしい。
その空海と同じ時代を生きたもう一人の天才が伝教大師、最澄だ。
彼らはお互いに影響を及ぼし合いながら、現代の日本仏教の原型を作りあげていく。

歴史の教科書で誰もが一度は目にした最澄(左)と空海(右)の肖像画


僕は長らく、宗教というのはスピリチュアルなもので、科学とは相反するものだと認識していた。
これほどテクノロジーが発展した現代においては、宗教の担う役割など限られていて、つまらないものだと考えていた。
しかし、少し勉強してみるとこれが間違いだということに気づく。宗教はとても面白いのだ。
少しずつ理解が深まってくると、宗教というものの体系がいかにロジカルで、天才たちの哲学的思想が積み上がったものであるかということが分かってくる。宗教は広義の哲学であり、ともすると認知心理学であることが分かってくる。
特に仏教は、キリスト教における聖書や、イスラム教におけるクルアーンとは異なり、釈迦が残したお経を解釈し直したものも経典として認めている。そのため、他のメジャーな宗教に比べ、仏教は積み上げられたロジックの精度がより高いと感じる。
一方で、仏教には宗派が多く、それぞれの違いを理解するのは容易ではない。

あまりに難しくて(悟りを開くために入山する理由がよく分かる)表層的な理解しかできていないけれど、空海と最澄が文字通り命を懸けて唐から日本に持ち帰った密教の思想は特に面白い。

密教のベースには唯識という考え方がある。
この世のすべては個人の認識によって作り上げられたものであり、心の働きによって作り出された仮の存在に過ぎないというのが唯識の考え方である。
つまり、それを苦しいと認識しているからこそ苦しいのであり、その認識を変えることができれば苦しみから逃れることができるし、世界の認識を変えることができれば、世界そのものを変えられるという考え方だ(映画マトリックスが思い出される)。
しかし、それは容易なことではない。なぜなら、私たちには表層的な意識だけでなく、心臓を動かすような無意識や、心の根本に作用する深層的な無意識(末那識、阿頼耶識)があるからだ。
この無意識を含めて全ての認識を御し、即身成仏しようとするのが密教だ。

密教を日本に持ち帰った空海と最澄が生きた平安時代初期は、桓武天皇が新たな仏教の形を模索している時代だった。
聖徳太子が布教した仏教は奈良時代にその地位が極限まで高まり、それが暴走した結果、一人の僧である道鏡が天皇へ成り代わろうとする大事件、宇佐八幡宮神託事件が起こった。
これに危機感を覚えた桓武天皇は、権力を持ちすぎた仏教徒から距離を取るために、奈良の平城京から京都の長岡京、平安京へと遷都を行った。そして、新たな平安時代を治める、新しい仏教の形を探した。

このとき、20歳で比叡山延暦寺を開いていた天才、最澄の高名が桓武天皇の耳まで届いていた。桓武天皇から勅命を受けた最澄は、最先端の仏教、密教を学びに行くため、遣唐使船に乗り唐を目指すこととなる。
このとき派遣された全4隻の遣唐使船において、最澄が乗った船とは別の船には空海が乗りこんでいた。そして、空海と最澄が乗っていなかった2隻の船は、唐にたどり着くことができずに難破したのだから、歴史は面白い。

最澄は桓武天皇からの寵愛を強く受けており、すぐに治世に協力して欲しいという要請から、1年間の留学ののちの即時帰国を命じられていた。一方で、親戚のコネを使って何とか遣唐使団に滑り込んだ空海は、最澄に比べ位が低く、20年間の留学を言い渡されていた。

唐に渡った空海はその才気を遺憾無く発揮する。彼はたった数ヶ月で古代インドのサンスクリット語をマスターし、あらゆる宗教に精通していく。そして、当時の唐皇帝に仕えた最も高名な密教僧、恵果に見出される。
当時抱えられていた他の恵果の弟子たちを差し置いて、空海は恵果の教えを圧倒的な速さで吸収していく。それはまるで、水差しから別の水差しに水を移し替えるように、完璧なものであったらしい。
やがて恵果はその教えの全てを空海に伝えると急速に衰えていき、息を引き取る。それを見届けた空海は日本への帰国を決意する。このとき、空海が唐に渡ってからまだ2年しか経っておらず、それは20年の留学を言い渡す勅命への反逆を意味した。

勅命に逆らって帰国した空海は、彼が唐で得た経典や宝具、そして密教の奥義を長いリストに箇条書きにまとめ、自分がいかに役立つ人材であるかを天皇に訴える。
この長いリスト、「弘法大師請来目録(最澄による模写)」を博物館で初めて目にしたとき、強く感銘を受けたことが思い出される。
それはとてつもなく長い巻物で、彼が唐から持ち帰った知識の膨大さを端的に表していた。
これを見たとき、天皇や最澄が度肝を抜かれた様子がありありと目に浮かんで、とても楽しかった。

愛媛県歴史文化博物館に保管されている「弘法大師請来目録」

天才たちの生涯についての物語を読むと、ドラゴンクエストのようなロールプレイングゲームをしている感覚になる。気分転換にとても良い。
そんなわけで今僕は、「早すぎた男 南部陽一郎物語」を手に取っている。


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