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コレカラ② 自分と向き合う

向き合うって何だろう。

育休中にほぼ100記事!自分できんのか?エピソード⑤

写真は9月21日に開催されるセミナーの広告である。
ちなみに当日参加できなくてもYoutubeのアーカイブもあって何度もセミナーの内容を見返すこともできますので,是非に♪

今回もセミナーの広告です。

セミナーでお話しする内容をちょいっと触れてみたい。

前回の告知はこちら↓

②向き合うって何だろう。

今回のセミナーの副題の「〇〇と向き合う」。
この“向き合う”という言葉を副題にいれた想いを綴ってみよう。

まず私はあまり“向き合う”という言葉があまり好きではないのだ。

なぜなら,この言葉を使う人のどれほどの多くの人が“合う”ことの難しさを認識しているのだろうと感じてしまう。

自分も含めてだ。

自分もよく口にしていた。

子供と向き合うとか。

でも本当に“向き合えていた”?

辞書を引いてみる。

①互いに正面を向いて相対する。
②事態を直視する。
                         –大辞林–

今回は①の意味である。
身体的に言えば,学級の子供たちとはFace to Faceで向き合っているだろう。

では心理的にはどうだろう。
多くの要素を必要とするだろう。

ざっと整理する。
・自分の心理的な正面を知る。
・その心理的な正面を対象に向ける。
・対象も上記の条件が揃う。
・対象の正面を認識する。

自問自答し続けたい。

“自分の正面”って何だろう。

“何に”向けられているのだろう。

“誰”は向けてくれてくいるのだろう。

“正面”と認識できているのだろうか。


②の意味でも

”直視”できていること,できてないことって何だろう。


そんなこと考えていると自分バイアスかかりまっくているってことに気付けるわけです。

いろんな事象や事物を鏡としてプリズムみたいな乱反射起こしちゃっているわけです。

そこを整理していく営みやプロセスそのものが“向き合う”ってことじゃないのかって思うんです。

そういった自己認識・自己理解深めていきたいなあ〜って思う今日この頃なのです。

つまり,ぼくは育休っていう一つのプリズムから最愛の我が子と妻である家族に自分の正面を向け,がっつり自分を見つめ,捉え直したいのです。

それが自分をRe:Birthしていくってこと。

そうやって,何度も自分を理解し直して,捉え直して,組み直して世界を自分を愛し続けていきたいわけです。

そして大好きな曲!自分を見失いそうな時いつも聞きます。

(前略)
生まれてよかった 生まれてよかった 自分への最後の嘘が言えたなら ハッピーリバースデー
今日から自分に嘘をつくんじゃねぇ これ以上自分を悲しませるんじゃねぇ これ以上心を裏切るんじゃねぇ

期待と失望に監視され 褒められようとする心 自分で作ったルールのリボンを解け 
(中略)
可能性を隠した包装紙を あけてみたら ただ鏡が入っていた

生を享けて 生かされてきた世界で 生きていくことを 自分に誓う日 ハッピーリバースデー
愛してる 世界にそう叫べる日を のぞんでのぞんでのぞみ続けたら あなたはあなたを愛していける

セミナーが皆さんにとって鏡になれるようコレからも準備していきます。

読んでいただきありがとうございました。

ギブアンドギブへ。これからご一緒させてください。