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イマココ① 生まれるということ

育休中にほぼ100記事!自分できんのか?エピソード③

皆さんは,『生』の反対は何だと思いますか。

写真は本日,生誕2カ月を迎えた最愛の我が子のキュートなお尻です。控えめに言っても眼福。
自慢である。

ということでせっかくの生誕祭
「コレマデ」を一度休載し,
イマココ」を綴ります。

①生まれるということ

皆さんは,『生』の反対は何だと思いますか。
多くの人が『死』と答えるだろう。

上記の文章は「ここ 食卓から始まる生教育」という本からの引用である。
内田美智子さんと佐藤剛史さんが筆者である。

皆さんの答えは何でしょうか。
私は最近,事象を定義するときに対義することで,イメージを具体的にしてきた。
例えば,先日哲学対話を大学の後輩とする機会に恵まれた。その際のテーマは「強さとは何か」である。
『強さ』の対義語は言わずもがな『弱さ』である。
自分の弱さと向き合い,逃げ惑ってきた人生だったので『弱さ』は自分の人生を振り返れば幾らでも具体的にイメージすることができた。ここでは自分の人生の『弱さ』については敢えて伏せさせていただきますよ。これは戦略的撤退です(笑)。

話を戻して・・・本の続きである。
私も『生』の反対は『死』だろうとおもっていました。しかし,

私が尊敬するある先生はこう言いました。
「僕は死じゃないと思う。『生まれないこと』だよ。生まれたものにしか『生』も『死』も存在しない」
 三十年近く助産師をしてきた私には,この答えが,心の真ん中にストーンと落ちてきました。
 生の反対は,生まれないこと。

 この続きにはこう書いてある。

 実際,生まれてくることができない子はたくさんいます。数時間しか生きていられない子もたくさん見てきました。
 こんな命と向き合う仕事を続けて思うことは,「人はそこにいるだけで価値がある」ということです。人が一人,人として生まれてくるために,どんなに多くの困難を乗り越えなければならないことか。
 生まれてきて,この瞬間に,ここにいることのすごさを知ってほしいと思います。生きていくのに理由はいりません。一人一人が奇跡のような命です。

私は,これまでこういったド正論が苦手だった。それはきっとパンクロックを嗜んできたことをはじめとする今までの人生観が大きく起因するだろう。まあ偏屈で,アブノーマルでアウトローに生きることを決めた自分にとって,こういったストレートに当たり前のことを当たり前のように言うことがこっぱずかしかったのだろう。

しかし,子供を相手にする小学校の先生になったことが大きく変えたのだ。子供に伝わるようにド直球で相手の心に投げ込むこと,分かりやすいことって大切だなってことに気付くようになった。

今まで出会って学ばせてくれた子供たちへ。
出会ってくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。

そして何より愛しの我が息子へ。
出会ってくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。

伝えたいことを伝わるように。伝え続けよう。

妻への感謝は直接(笑)。

妻と息子が寄り添い,寝息を立てている。眼福である。

生誕祭後の風景である。その二人を見ながらポロンポロンと弾き語った。

ありがとう ありがとう 感謝しよう
微笑んでくれて どうも ありがとう
プレゼントくれて どうも ありがとう
楽しんでくれて どうも ありがとう

手を振ってくれて いつも ありがとう
気づかってくれて 本当に ありがとう
つながってくれて 毎度 ありがとう


ぼくは毎度ありがとうと言えているだろうか。

さあ寝床へ着こう。

読んでいただきありがとうございました。

ギブアンドギブへ。これからご一緒させてください。