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ミニマリズム、エイヘンバウム、ペアリング、ワラビ、コーヒー、世界認知

サモトラには、わたしが勝手に「ミニマルな皿」と呼んでいる一群の料理がある。が、それは巷間で言われているような意味ではない。
一般的にミニマルとされる料理は、視覚的要素と思考レベルがミニマルなだけで、そのための技術はマキシマム、食材の質(≒価格)もマキシマムで、味わいについても『美味しさ』がマキシマムである場合が多い。それを面白さ、ファインダイニングらしさ(つまり高付加価値)と称揚する人は多いが、それは表層的なパッケージングの問題にすぎない。

わたしが今話しているミニマルさというのは、もっと本質的な話だ。かつて、ボリス・エイヘンバウムが述べたように、「外皮としてではなく、中身のいっぱい詰まった、具象的でダイナミックな、それ自体内容のある、決して置き換えのきかかないもの」を表現する際の話だ。それはガストロノミーにおいては、少ない種類の普通の食材を、少ない手数と少ない味で一皿にまとめる行為を指す。これは技術的に(目には見えないが)極めて難易度が高い。そして、その皿のゴールを「食べる人の官能的満足度の高さ」ではなく「一作品としての質と密度の高さ」に設定した場合、さらに難易度は高まる。受容するにも理解するにも、多くの知的補助線が必要なだけでなく、食べる人の受動的、動物的である姿勢を拒絶しているからだ。
 
こちらは2023年5月のコースの一皿だ。食材を順に説明しよう。パクチーの花、わらび、ジュンサイ、水出しの浅煎りコーヒー寒天。味つけはといえばわらびに少しだけ感じられる塩のみ。あとはすべて食材の香りと食感だけ。
試食したとき、これは最高だと思った。味付けは極めてミニマル。既存の料理の枠組みから外れたところに、既存の『美味しい』から外れたところで料理の味わいが成立している。
 
こういった、いわゆる『フック』のない料理の場合、ペアリングドリンクを決定するのはとても難しい。既存のセオリーは全く役に立たないので、味わい全体に網をかぶせるようなペアリングをしがちだ。だが、この食材由来の淡い香りやわずかな渋み、酸味等に上手に絡んで味わいを増幅するようなペアリングを考える。香りと味の記憶の中をたどりながら、ゆっくりと咀嚼する。
タンニンは中位で、南方系のスパイスがほんのり香る、わずかに果梗が感じられる赤かオレンジ。酸はすこし柔らかめで揮発酸は不要。ステンレスタンクを使用しないものがいいだろう。ということで選んだのがクロ・キチャヤのカベルネ・フラン。これが予想外に素晴らしい仕事をしてくれた。ノンアルなら、濃いめに抽出した安渓肉桂が同じ接点でペアリングできる。

わたしは最近、美味しいだけのペアリング、合っているだけのペアリングに対する興味が薄れている。むしろ、新しい認識(これは味覚に関してではなく、人の個人的な世界認知についてだ)に出会うことを目的とした料理と飲み物の組み合わせを志向するようになった。それは『ペアリング』という行為の、いまだ存在しない目的を実現しようとするものかもしれない。そして、今回のこのペアリングについては、それがとても上手くいったように思う。

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