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【 短篇小説 】人を幸せにみちびく灯り。それは誰の心のなかにもある【 1万文字 】

この小説は、Xで募集したキーワードをAIにうちこみ生成されたイラストを見て書いた小説です。

うちこんだキーワードは「灯り」です。

では、小説本編のはじまり、はじまり。

☆☆☆☆☆

「人を幸せにみちびく灯り。それは誰の心のなかにもある」 
 
自信満々に彼は、私にそう言いきった。 
 
話は1時間ほどまえにさかのぼる。 
アラフォー独身の私は仕事を終え、特定の球団が優勝したときに浮かれたものたちが、川に飛びこむ橋のうえを背中をまるめながら、疲れをひきずりながらトボトボと歩いていた。
その橋のしたの川は、セーヌ河のように汚物の匂いがしていた。さいきんは、キスにより呪いがとかれ、クリーンな香りになっている。ウナギも生息しているらしい。食べる気にはならないが。
ヒヨドリやムクドリのようにかしましいものたち、腐肉をあさるように鼻をピクピクうごかし、ヨチヨチと歩きまわるものたち、2メートル先の地面だけを見て幽鬼のごとく歩くものたちが橋にいる。
その幽鬼のひとりである私は、どの店で飯を食べ、酒を飲んで家に帰ろうかと考えていた。 
ふいに背後から声をかけられた。 
 
「オチナシじゃないか」 
 
ふりかえり、声の主を探す。 
声の主は、液晶をとおして目にする人物たちのように見えた。
すこし開けた口からは、まぶしく白い後光がこぼれだしている。セラミックのように煌めく白い歯が光源だった。
顔にシミはなく、肌はみずみずしく、熟れた桃のように頬はうるおっている。目じりに疲労のあとが一筋も見えない男だった。 

挨拶のために軽くあげた左手首には、治安のわるい地域であれば、手首ごと強奪されるであろう腕時計がはめられている。
その腕時計よりも私の目をひきつけたもの。それは、ジャケットがぴったりと男によりそっていることだ。
既製品のジャケットであれば、手をあげたり、手をふったりすると、肩がつっぱったり、昔のバンドマンのように肩パットがもっこりと浮きあがる。
男のジャケットは、つっぱりも、浮きもせずに、しっかりと肩と密着している。
男のジャケットは、体の寸法をはかり、職人たちの手により作られたジャケットなのだろう。
私の時計はソーラー腕時計。そして、ジャケットは、大手スーパーの一角に無造作に吊られていたものだ。
 
「ナリユキや」男は言う。 
「大学のゼミでいっしょだったナリユキや」男は、情報をかさねる。 
 
思いだした。大学のゼミにいた男だ。 
ゼミの教室の片隅にぽつねんとおり、存在感はうすく、蚊が飛ぶように話す男だったように記憶している。 
目のまえの男とゼミにいた男がむすびつかない。大学を卒業してから約20年。彼は若がえり、元気になり、体の部位から自信と威厳、プライドがあふれだしている。 
 
「ひさしぶりやな、大学卒業以来か」彼がたずねる。 
「そうだな、大学を卒業してからおうてへんな」気おくれしながら私は答えた。 
「飯を食べにいくとこやった。どうだ、いっしょに食べにいかへんか」 と彼がたずねる。
私は思わず、行くと返事をした。彼の人生に何があったのかを知りたかったのだ。 
 
ガヤガヤと雑多な音がひしめきあっているアーケードをふたり並び歩く。 
歩きながら、彼の話したことをまとめると、大学を卒業したあとは、システムエンジニアとして働きながら、なにかのアプリを開発し、ちいさい企業をたちあげ、そして、たちあげた企業を売りはらい、企業を売りはらった現金を株や債権にかえ、悠々自適な生活を送っているそうだ。 
 
毎朝毎朝、あずき色の電車につめこまれ、上司にどなられ、お客にペコペコと頭をさげ、夜は誰もいない家にかえる、ドーナツの穴ともいえる生活をつづけている私は、ただただ「うらやましい」とつぶやいた。 
 
「おれのような生活を手にいれるのは簡単や。誰の心のなかにもある幸せにみちびく灯りを見つければええんや」 
 
スピリチュアルな話だと思った。自信に満ちあふれた態度、朗々と響く声、理論だて語られる話はわかりやすく、そのスピリチュアルな言葉を信じてみようと思わせる言霊があった。 
 
「その灯りはどうやって見つけるんや」と尋ねた瞬間。 
 
「この店や、この店」彼が店を指さした。 
 
その店は、大通りからすこし離れたところにあり、白い塀にかこまれていた。
木製の扉をあけると、こじんまりとしながら清潔な日本庭園があらわれる。 
まがり、くねり、筆で描かれた絵画のように精妙にととのえられた松の木。苔むした灯篭。竹の落ちる音が軽快にひびく。そして、夜空には半月が、はずかしげに浮かびあがっていた。 
店の門をくぐったその瞬間、神さまが住まわれる別世界に足をふみいれたような印象をうけた。 
ひとの足幅を計算したように置かれている石をふみ、店にいたる。 

くすんだガラスがはめられた扉は、カラカラと軽快な音をたて私たちを店内へと招きにいれてくれる。
 店のなかは薄暗く、光が廊下のスミまで届いていない。 
隕石が落ちてきて、いま掘りかえされるまで土のなかで眠っていた恐竜の化石のように黒く、そして、しっとりと黒くうるんでいる店の木材。
静かな黒い木材の管をとおる水の音が聴こえてきそうだ、それほど静かで落ちついている店内。 
戦前からその場に佇んでいたような古風な様相。天井まで光がとどいておらず、黒猫が寝ていても気づかないであろう暗闇。まるでプラネタリウムを眺めているような高さを感じた。
黒光りする鉄で補強された靴箱。その靴箱のうえには、清流のうえを飛びまわる蛍のように青白く光る壺が置かれている。
店のなかの雰囲気は、おしつけがましくない威厳と品格がある。知らず知らずのうちに、猫のように丸まっていた背骨がしゃんとのびていた。

革靴をぬぎ、店にあがる。 
ちらりと彼の靴を見た。私の量産品の黒い革靴とちがい、光沢をおびた茶色の革靴は、汚れもシミもなく、しっかりとメンテナンスされた馬具のように見えた。 
革と靴の知識をもたない私だ。しかし、高貴な印象を私にあたえた。
 
背筋が自然にしゃんとのびた薄緑色の着物を着た店員とおもわれる女性が、暗闇のなかから楚々と現れた。 
彼は女性に何かを伝えている。切れ長の目の女性が私をちらりと見る。 
 
そして、女性に先導され、店の廊下を歩いていく。先導する女性と彼のまえには、ぼんやりとした柔らかい闇がひろがっている。廊下の木材は、きしまない。それどころか、足音を吸収しているように感じられた。 
 
私たちは個室にとおされた。ふたりには十分すぎる空間をもつ個室だった。 
中央には、茶色の机が置かれている。ひとつの木から作られたであろう机は、しっかりと研磨され滑らか。水気をもち、まるで手や指にくっつくように感じられた。 
質実剛健と言いたくなる机ではあるが、机の端や足には、鳳凰や龍などの緻密な彫り物が刻みこまれている。 
 
座布団にすわる。彼に声をかけた。 
「いつもこんな高そうなところで食事をするんか」 
「毎日ではないな、週一か、週二やな」 
「支払いは大丈夫か、べらぼうな値段を請求されへんか」財布の中身が心配になり彼にたずねる。 
「心配あらへん、今日はゆっくり飲もうや」彼は鷹揚にこたえる。 
 
女性が食前酒をもってきた。 
ウイスキーを飲むグラスには、おおきく四角い透明な氷と赤い液体がいれられている。 
彼の説明をまとめると、西洋のどこぞの貴族が考案した食前酒だそうだ。ジンとカンパリはわかったが、あとひとつ呪文のように長い名前のお酒の名前はわからなかった。 
 
ひどく苦く、アルコール度数の高い飲み物だった。 
 
「どや、胃がポカポカしてくるやろ、これをやらへんと飯も酒もうまくならへん」彼は言った。 
 
ぐいっと一気に赤い液体を飲みほす。 
口のまわりについた赤い液体を手でぬぐう。たしかに雑巾のように胃がしぼられたのち、ポカポカとした熱が胃から指先にまでひろがった。 
そして、彼にたずねる。 
 
「幸せへみちびく灯りは、どうやって探すんや」
 
「人を幸せにみちびく灯り。それは誰の心のなかにもある」 
彼は自信満々にそう答えた。薄暗い部屋のなかにいる彼は、凄味ともいえる威厳を身にまとっていた。 
 
「それは」と彼が声をだそうとした瞬間。 
 
私たちを案内した女性が、ふすまの向こうがわから声をかけたのち部屋のなかにはいってきた。 
私たちを部屋へと案内してくれた女性が、給仕をしてくれるようだ。 
彼女は、手際よく流れるように大きい皿や小さい皿、さらに取り皿、調味料などを机のうえに並べていく。 
音が聴こえない。着物がすれる音、皿を机におく音、すべての音が耳にとどかない、彼女の動作には音がなかった。彼女が動いているのを目で確認しているというのに。 
 
机にならべられた食器は、おそらく、九谷焼だろうと思う。焼き物についての、知識を私はもたない。 
皿に描かれた花や蝶、兎などが朧月のように浮かんでいる。 
 
「こいつは、伏見の酒や。辛口でいけるで」 
 
彼が日本酒の瓶を静かにさしだす。琉球グラスだと思われる赤いグラスを手にもち、あわてて彼にさしだす。 
彼のついでくれた日本酒が、私の手のひらを冷やす。 
彼から日本酒の瓶をうけとり、彼のグラスに日本酒をそそぎいれた。 
 
「ひさしぶりの再開に乾杯」ふたりがおおきな声をあげ、グラスが割れないように静かに音をたてた。 
 
「このイワシを見てみ、黒い丸が見えるやろ、これが鮮度のよい証拠や」 
 
目のまえに置かれた刺身のひとつを箸でつまみ彼はかかげる。そして、醤油もワサビもつけずにイワシの刺身を口中にはこびいれた。3回ほど口をうごかし、くいっとグラスをかたむける。 
 
「そうそう、この新鮮さ、臭みなんかひとつもあらへん」 
さらに彼は言葉をかさねる。 
「トローリングにいったときに食べたイワシとおなじぐらい新鮮や」 
「トローリングってなんや」イワシをつまみながら私はたずねた。 
「でかい船の船尾にでかい釣り竿をたて、でかい魚を釣るテレビ番組を見たことないか、あれやあれ」 
あれか、と私は納得した。 
「トローリングちゅうのは、生餌をつかったり、鯉のぼりの一番うえのやつによく似た疑似餌をつかって魚を釣るわけやけど、ポンポン釣れるもんやない。 
おっきい魚がかかるのを待ってるあいだに、腹がへる、そんなときは、生餌の青魚の首をおり、皮をはぐ、指で腹をさき、そして、海水でちゃぽちゃぽと洗うんや。ヘミングウェイの『老人と海』のように。 
海水ちゅうのは、なにかしらのうま味があるんやろな。青魚の身がキラキラと光りす。そして、それを口にいれる。磨きぬかれた純粋なうま味だけがあんねん。 
青魚を海の米というひともおる。まさに、なんぼ喰うてもあきのこない味なわけや。
どや、うまいやろ、イワシ」 
 
彼の言葉に反応し輝きだしたイワシの身を口中にいれる。 
臭みはたしかにない。しっとりとしたイワシの身には、ほのかに新鮮な甘い脂がある。あるかないかの甘い脂を辛口の日本酒で洗いながすと、しっかりと掃除された禅寺の厠のように口中がさわやかになる。 
 
イワシの刺身を食べおわった彼は、青魚と青ネギ、味噌を混ぜたものをつまみながら、ちびちびと日本酒を飲みだした。 
 「なめろうは、病人のようにちまちまと食べ、酒を飲まんと雰囲気がでん。 
そして、ここのアジはええアジやから、青ネギなんかの香りと風味に負けてない。せやから、なめろうの味が濃く厚い。 
ええアジをつこてないなめろうは、死んだ魚に青ネギやタマネギ、あげくの果てにはマヨネーズで死化粧をしているようなもんや。 
アジと青ネギの香りと風味が、拮抗しなあかん」 

 なるほど、箸のさきになめろうをチマとつけ口中にいれる。そして、猫が水をなめるように、日本酒をすすり飲む。なめろうだけを食べ、日本酒を飲んでいるだけで幸せな気持ちになってくる。 
 
机の中央に置かれた大皿に彼が手をのばす。 
彼の手をのばした先には、焦げた黒い皮につつまれた赤い年輪のように見える魚の身がある。そして、頭のなかで思いつくかぎりの薬味が、その赤い身のうえにのせられている。 
 
カツオのたたきだ。 
 
大根おろしやニンニク、シソ、青ネギ、ミョウガなどなどをのせたカツオを豪快に取り皿に盛りつける。 
口の端が切れるのではと思うほど、彼は大きな口をあけ、あおら薬味ごとカツオを口中にいれる。 
カツオのうえにのせられていた薬味がひとつも落ちなかった。 
 
「これや、これ、南国に釣りにいったときの新鮮なカツオの味や。船のうえで釣ったばかりのカツオを食べたんや。 
釣ったばかりのカツオをナタのような出刃包丁でガンガンと切り、赤い切り身を土佐の醤油にいれる。 
そしたら、重油が海に流出したようなギラギラとした七色の液体が、醤油に浮かびあがってきよる。 
ほんで、チューブのニンニクとショウガをぶちゅ〜と醤油のなかにしぼりいれる、かきまぜる、すこし冷めた白米のうえにのせて食べる。 
羊肉を馬上で食べ世界を席巻した蒼き狼の末裔の海版といった勇壮な気持ちにさせられる味やったな」 
彼は、ひとりつぶやく。 
彼の雄大で勇壮なつぶやきに答える言葉を私は持たなかった。私のうすっぺらい辞書には、適切な言葉が書きしるされていない。 
 
「薬味を仰山のせとる、こっちはにぎやかで、おもろい。 
そして、ワラの香りが絶妙や」と彼はつけたした。 
 
仰山の薬味をのせたカツオのたたきを口にはこぶ。大根おろしが、ポロリと落ちた。 
 
伏見の日本酒の瓶が空になる。彼は球磨焼酎を注文した。 
 
球磨焼酎は、日本酒のように透明でありながら、カツオのたたきのおもろい味に負けていない腰の強いうま味があった。 
 
アルコールがまわってきたのか、南国で作られた焼酎のおかげか、はたまたカツオを食べたおかげか、やっと私も勇壮な気持ちになれた。 
 
空になった皿のむこうがわに座る彼にたずねる。 
「幸せにみちびく灯りは、どうやって見つけるんや」と。 
 
球磨焼酎のはいったグラスをかたむけ、のどを二度三度ならす。そして静かにグラスを机におく。 
 
彼はポツリポツリと語りだした。 
 
「アプリを開発してたころやったな。本業をしながら、アプリを開発してたわけや。 
寝るヒマもない、まさにそんな生活を3か月ほど続けていたら、ある日ふと気づいたんや」 
 
そして、彼が言葉を続けようとした次の瞬間、ふすまの向こう側から女性が声をかけてきた。 
 
女性は机のうえの皿をテキパキとかたづけ、あたらしい皿を静かに丁寧に並べていく。 
 
赤い肉が皿にのせられている。赤い肉と対照的に緑色をあしらった皿は織部だろうか。
織部の皿にのせられた赤い肉は、焼きあげるまえのカルビほどの大きさだが肉質がちがう。 
焼肉にしては、焼くものを置いていかず女性はふすまを閉めた。 
 
新しい焼酎をグラスについでいる彼に尋ねる。 
「この肉、なんや」 
「馬刺しや」と彼は答えた。 
 
牛肉のカルビほどの大きさであり、5ミリほどの厚みの馬刺しを彼は箸でつかむ。 
箸でつかまれた馬刺しは、猛獣に狩られ、木にかけられた草食動物のように見えた。赤い血は一滴もたれていない。 
彼は、馬刺しのまえに置かれた調味料をひとつもつけず、てらてらと脈動しているような赤い肉を口のなかにほうりこむ。 
右側の歯でかみ、左側の歯でかみ、ごくりと飲みこんだ。そして、ぐびりぐびりと喉をならしながら焼酎を飲む。 
なにか見てはいけない、儀式をみせられたような、やましく、そして、やらしい気持ちになった。 
そんな私の気持ちと視線に気づかず彼は肉を食べつづける。そして、焼酎も飲みつづける。 
ぬらぬらとした赤い肉を食べている彼の口の端から、レバーのような、胎盤のような色をした血がたれてこないだろうかと私は考えた。 
 
景気よく彼は焼酎を飲んだ。すぐに、焼酎の瓶が空になった。彼はあたらしい焼酎を注文した。
そして、私が馬刺しを食べていないことにやっと気づく。 
 
「はよ、馬刺し食べな、ぬるうなってまうで」 
 
目の前の馬刺しは、冷たいものだったのか、と私は知る。 
 
「あたらしい焼酎がきたら食べるわ」私は答えた。 
 
ふすまが開けられ机にあたらしい焼酎が置かれる。壱岐で作られた焼酎だった。夜空に燦然とかがやく星の名前がつけられている。 
 
「どっしりとしたうま味のあるええ焼酎や」彼が焼酎をそう評した。 
 
その焼酎を飲んだ。芋焼酎ほど香りも風味もしつこくなく飲みやすい焼酎だと思った。それでいて日本酒を静かな酒蔵でゆっくりと熟成させたような旨味がある。 
ふと、疑問に思ったことを彼にたずねた。 
 
「プレミアがついている高い芋焼酎は飲まんのか」 
 
「高すぎる、金をだしてまで飲むもんやないで。高い芋焼酎に金をはらうよりも、目のまえの焼酎を10本飲んだほうが、ええ気持ちになれるわ」 
 
なるほど、お高い酒を飲まない理由として、このように答えようと私の心の辞書に書きとめておく。 
 
いよいよ、レバーほど赤くはなく、きらきらと光った馬刺しを箸でつかむ。 
くにゃりとたれた赤い肉を口中にいれる。 
ひやりとした温度の馬刺しが、舌の粘膜にくっつく。 
臭みはない。なんの香りもない。霜をふむように、赤い肉を噛む。 
じわりと肉と肉の繊維が柔らかく切れる。 切れるというよりも、解凍されるように旨味が静かにひろがる消える。
甘美、贅美、柔肌、いろいろな言葉が浮かんでは消える。 
調味料も薬味もつけずにペロリと三切れほど食べると、さすがにシンプルな味わいに飽きがくる。 
ニンニクやショウガをつけたり、甘い味噌や辛い味噌をつけたりしつつ、馬刺しを食べていると冷たさが、温かさに転化する。 
ネクタイをゆるめ、壱岐の星空を感じさせてくれる焼酎を飲む。 
つけあわせの生のクレソンや生のシュンギクをかじる。電光一閃といった蒼い稲妻がきらめき口中がすっきりとする。
そして、馬刺しを食べつづける。

この、馬刺しの味を知ってしまった私は、競馬場で走っている馬のぷりっとしたケツは食べものである、と私は声を大にして言いまわりたい。
 
「いろいろな馬肉を食べてきた。すき焼きやバター焼き、さいぼし、フライなどなど。 
馬は、馬刺しにかぎる。体温が高いから寄生虫もおらん。 
生の肉を喰うちゅうんは、人間の原始の本能によびかける官能があるように思う」 
馬刺しを食べ、焼酎をたくさん飲んだ彼の目が、猛獣や蛇の目のように異様にギラギラと光っているように見えた。 
 
馬刺しのおかげか、たくさんの焼酎のおかげか、体温があがる。 
首に巻かれているネクタイがわずらわしいものに感じられた。 
私はネクタイをはずす。 
 
馬刺しの皿が空になったころ、彼が私にたずねた。 
 
「どや、すこし幸せにみちびく灯りが体内にあるのを感じへんか」 
 
彼にたずねられた瞬間、心臓がとくんと跳ねた。そして、腹の底になにか温かい灯りがあるように感じられた。 
 
「なにか、灯りのようなものを感じたかもしれん」と私は答える。 
 
女性がふすまの向こうから声をかける。音もなくふすまが開けられる。馬刺しをのせていた皿が片付けられていく。 
 
そして、あたらしい日本酒が机に置かれる。あらゆる辛口の源流ともいわれている越後の日本酒が置かれた。 
 
私のガラスのコップに彼が日本酒をついでくれた。彼のコップに私も日本酒をつぐ。 
 
源流とも原点ともいえる磨きぬかれた透明な日本酒をゆるゆると飲んでいると、真っ赤に燃える熱を目の前に感じた。 
 指ではじくとキンッと澄んだ音をたてるであろう炭が、七輪のなかで泰然と燃えている。 
ホームセンターなどで売っている炭と違うゾと一目でわかる。 
 
机のうえに背の低い七輪がふたつ置かれた。 
ひとつの七輪には、金網がのせられている。 
もうひとつの七輪には、使いこまれ黒光りしている鉄鍋がのせられた。すき焼き鍋といわれる明治から姿をかえていないシーラカンスのような鉄鍋がのせられた。 
 
みやびな模様が描かれた絵皿が机のうえに置かれた。その絵皿のうえには、みやびな模様にまけない豪華絢爛なお肉がのせられている。 
和牛だ、これは私も知っている。A5とか、なんとか紹介される和牛だ。知ってはいるが、私の舌で味わったことはない。 
その和牛の厚みは1cmほどもある。赤いお肉には、白い投げ網がかぶせられている。ごぞんじ、その白い網は、肉の内部にまで浸透している。
そして、別の皿には、ふといネギが置かれている。そのネギの年輪からは、透明な清水があふれだしている。 よいネギであろうことはわかる。
それよりもだ、松の皮のような色をした、こんもりとした傘をもち、ふわりと白い茎をもつキノコの姿が見えた。そう、香りの王様とよばれる松茸が見えた。 
 
考えるよりも先に行動していた。
1cmの厚さに切られた和牛を網にのせる。 
ジュンと音がする。白煙があがる。くるりと和牛をひっくりかえす。ジュンと音がする。 
口のなかに和牛をほうりこむ。熱と舌が抱擁する。初恋のように熱が消える。 
和牛のなかは、冷たいままだ。それが、脂っこさと甘味をほどよくおさえてくれている。 
和牛の脂は、口内の体温で溶けだす。脂が溶けていると思っていたが、溶けているのは脂だけではない。赤い肉そのものが私の熱で溶けていく。
和牛を歯で噛む必要がない。歯がなくとも、舌があれば、この和牛は食べられる。
この和牛はスープ。それも1cmの肉の厚みのなかに、べらぼうな労力をつぎこんだであろうことがわかる、一級品のスープだった。
マヌケ面のレポーターが、和牛を食べて「豆腐のように柔らかい」と言うたびに、豆腐を食っとけボケと悪態をついていた。
その悪態を訂正しようと思う。和牛を食べて豆腐のようとしか形容できない、すくいがたいアホでボケで、スカポンタンなレポーターは画面に映す価値なしであると。
 
「フランスの美食家サヴァランやったかな。 
肉を焼くには天才か技術がいると書いとった。 
そして、オチナシは、おいしいものを、おいしく食べてみせる天才やな」と彼が言った。 
 
調味料や取り皿を並べていた切れ長の女性の目がすこし微笑んだ。 
 
てれを隠すように日本酒を一気にグビリと飲む。 
 
「すき焼きの調理は、店のひとに任せてええか」と彼がたずねる。 
レトルトの食品しか作れない私はお願いするとこたえた。 
 
白い木を削りだしてつくったお箸をもつ女性は、部屋の気温でうるんだ白い牛脂をつかみ、黒い鉄鍋にぬりつけていく。
白いお箸を優雅にあつかう緑の血管がうきあがった透明にちかい白い彼女の手。お箸と手は、ひとつの創造物のようにも見える。 
そして、花をいけるように、赤いお肉と白いネギを鉄鍋に並べていく。 
そして、松茸も鉄鍋にいれる。 
黒い液体を鉄鍋にそそぎこむ。 
彼女の白い手、赤い肉、松茸、牛脂と醤油の焦げた香り。パチパチとはぜる炭の音。 
性欲と食欲は、どうじに満たせないと言われているが、いま、この瞬間であれば、性欲と食欲のどちらも満たせそうな気がしてくる。 
 
鉄鍋の用意ができた。ふすまを閉め彼女はでていった。 
 
「ええ目しとったで」と彼がいう。 
 
日本酒と炭の熱だけでない熱が、体の底に灯ったように感じた。 
 
くつくつと煮た肉を口に運ぶ。白い脂がぬけおち、そのぬけた場所に調味料がしみこんでいる。 
すこし甘すぎるように感じられた。砂糖と和牛の甘さが、混ざりあい、舌にこびるような甘さになっている。 
 
「甘いやろ、ネギを喰え、ネギを」と彼がいう。 
 
ネギの年輪からは、透明の汁がきえ、背骨をぬかれたイカのようになったネギを口にはこぶ。 
 
くにゃりとしているネギには、パリッとした食感が残っている。 
そして、年輪のすきまには、和牛のうま味と調味料が混ざりあった新しい天体ともいえる調味料がしみこんでいる。 
鮮烈ともいえる爽やかなネギの風味、そして、和牛と調味料がかもしだした甘い風味。 
ふたつの風味がミルフィーユのように重なりあい溶けあっている。 
しばらくたつと、和牛にネギの爽やかな香りがうつり、そして、栄養たっぷりといった腐葉土のような滋味ある香り、森林浴きぶんにひたれる素朴な松茸の香りも和牛にしみこむ。焼くだけで完成されたと思っていた和牛が、完の璧な味へとかわっている。 
 
和牛を焼きつつ、つつきつつ、日本酒を飲みながら、濛々とたちのぼっている白い煙はどこに消えていっているのだろうとふと考えた。 
和牛を食べおわり、机のうえのものはすべて片づけられた。 
 
目のまえには、緑色のお酒が置かれている。 
 
「ゴッホなどフランスの画家たちをトリコにしたリキュールや。 
当時とちがい、麻薬的な成分はぬかれとる。 
それでも、肉をたっぷり喰い、しっとりとした暗闇のなかで飲むにはピッタリのリキュールや」 
 
木の机のうえに置かれた緑色のリキュールは、鬼火のようにぽっかりと闇に浮かびあがっている。 
フレッシュな薬草を煮つめ蒸留した爽やかな香りは、陽気な養命酒のように思われた。 
 
「どや、吸わんか」と彼が、細い白い紙の筒をさしだす。
その紙の筒は、フィルターがなく、白い紙で葉っぱを巻いただけの原始的なタバコだった。 
特別な葉っぱを彼が巻いたらしい。 
つかいこまれた鈍く光る銀色のジッポを彼がとりだす。銃の撃鉄をおこすように、ジッポのフタをあける。
ジッポからかすかにムスクの香りが漂う。オイルだけでなくムスク系の香水を綿にしみこませているのだろう。
芯が青く外側が赤い火がつく。息を吸いながら、タバコの先を火にちかづける。ポッと小さな灯りがタバコの先にともる。
ついで強烈な一撃が、肺と胃にきた。 
むせるのを、グッと我慢する。はいよるような甘味が肺からゆり戻る。
インド雑貨をあつかっている店で嗅いだような、ねっとりと清潔な甘く薄い膜に全身が包まれる。
ねばねばとした重油のようなものが口中にはりつく。お香を燃やした台座にのこる黒いカスのようなものを緑のリキュールで洗いながす。 
白い煙のむこうに見える彼の姿がかすみだす。しだいに彼の姿が消えていく。 
 
しばらくしたのち、私は覚醒した。緑のリキュールはぬるくなっていた。タバコの吸い殻はなく、そして、彼の姿もなかった。 
 
ふすまが開く。女性が、伝票をさしだす。 
 
伝票に刻みこまれた数字は、平凡なサラリーマンを驚かせるには、十分すぎる金額だった。 


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