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映画は90分で完結するものだ

映画は爆発だ。 
大きなスクリーンいっぱいに広がる赤い大輪とよべる火薬の徒花。 
ま横で太鼓を鳴らされているような鼓膜がふるえる轟音。 
足元すら見えない室内。のっぺりとした月のように浮かびあがるスクリーン。 
 
現実世界から切りはなされた時間が好きだった。 
二千円ほどで、現実世界の辛いこと、悲しいこと、凹むこと、F〇CKと叫びたくなる阿呆らしいことを忘れさせてくれる、なににもかえがたい時間が好きだった。 
 
映画館に足を運ばなくなったのには理由がある。 
まず膀胱の容量が減った。たった2時間ほどではあるが、尿意を我慢できなくなった。 
映画館で映画を見るのであれば、3時間ほどまえからボクサーのように水絶ちをしなければならない。 
つぎに配信サービスが充実してきた。映画が公開されたと思ったら、もう配信されていたりする。 
尿意の心配をせずにゆっくりと映画を視聴できるようになった。 
家で視聴するメリット。それは映画館にてでくわすマナーとは何かねとたずねたくなる奴らにわずらわされることなく映画に没頭できること。 
携帯電話やスマートフォンが普及してからだろうか。 
電子のホタルの火が映画館に舞うようになった。 
図書館のように静かな映画館だというのに、ペチャペチャと無駄なことを話すヤツもいる。
マナーの悪いヤツがふえてきたように感じる。どう思われるだろうか。 
 
映画館に足をはこばなくなった最後の理由は、とてもヒドい映画を見たからだ。 
その映画の名は『 パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト 』 
名作に数えられるであろう作品の2作品目だ。 
1作目は、まちがいなく名作だと思う。 
あの当時の帆船を再現し、海賊の習慣、服装の汚れもよく再現されていた。 
もちろんストーリーも王道の冒険映画だった。 
笑いと謎、アクションすべてのバランスがよく、いい映画を観たという充実感があった。
 
その名作の2作目だということで公開され1週間もたたずに映画館にいそいそとでかけた。 
インターネットもいまほど大流行しておらず、SNSもなく、ネタバレサイトなどもなかったと思う。 
 
赤い観覧車が屋上でまわっているビルちかくの映画館の列にならんだ。 
前売り券はあったと思うが、いまのようにあらかじめ席を確保するシステムはなかった。 
映画を見るための列にならんだ。 
そして気づいた。 
まわりが女性ばかりだ。男性がいないと。 
割合としては、日の丸弁当ほどだ。梅干しが私、白米が女性だ。 
恋愛映画の列にでも並んでしまっただろうかと不安になったのを覚えている。 
上映時間がちかづく。列が動きだす。チケットの代金をはらった。 
そして、気づいた、今日はレディースデイだったと。 
どおりでいつもより混んでおり、女性ばかりだったのかと思った。 
そして、私はなにかを損した気持ちになった。 
 
満員御礼の映画館。私が確保できた席は最前列。席のまえにはスクリーンだけが存在していた。 
センターからは少し右よりだった。 
とても首が疲れ、字幕をおうのが大変だったのを覚えている。 
首の疲れも字幕をおう大変さも、まったく気にならないほど映画に熱中した。 
 
主人公が大変なことになる。仲間たちが作戦をねる部屋に状況を打開するであろう人物が足をふみいれる。 
1作品目ではボスだった人物ではないか、ここから逆転がはじまるのかと手を強く握った記憶がある。 
 
次の瞬間、画面が暗転した。白い文字が、下から上へと流れていく、勇壮な音をたてながら。 
 
え?おわったの? 
 
意味がわからなかった。 
 
映画とは90分で完結するものではないのか。 
 
冒険もラブストリーも悲劇も、ひとつの映画館のなかで完結するものではないのか。 
 
日常から切り離される。そして、暗闇のなかで完結する物語を見る。 
そして、また日常にもどる。 
映画がおもしろければ映画館からでる足取りは軽く、笑いがあれば口角をあげる、かなしい物語を見たときは哲学者のような顔になる、任侠ものを見たときは肩で風をきる、オモチロクなかった映画を見たときはボソボソと文句をつぶやく。
一つの完結した物語を体験、経験、思考できる、それが映画館だと思っていた。 
 
つぎの映画に物語がつづくだと、もう1度映画館に足をはこべだと。 
そのシリーズを見るために私は映画館に足をはこばなかった。 
配信もされたが、結末をいまだにしらない。 
見る気がデッドした。 
私のなかでは最悪の映画認定だが、興行成績はよかったようだ。 
私がズレているだけなのかもしれない。 
 
アメリカのつづきもの映画は、上中下とかかず、おしゃれな横文字でサブタイトルがつけられており、パッとみてつづきものだとわからない。 
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』もそうだった。反撃がはじまるゾと思った瞬間エンドロールがはじまった。 
つづきものだと分かった瞬間、あれやこれやのシーンを削れたのではと考えてしまう。 
ひとつの作品にまとめられたのではと考えてしまう。 
 
その点、歴史的大ヒットを記録した『鬼滅の刃』はつづきものだとわかりやすい。 
話かわって、鬼滅がヒットしてから、アニメ映画の興行収入が右肩上がりに上がっている。 
いまでは100億円に到達して当然のような流れに。 
ジブリもコナンも100億円に到達していなかったと知りビックリさせられた。
娯楽があふれかえっているこの時代。配信サービスも充実している現在、なぜひとは映画館に集まるのだろうか。 

昆虫が光にあつまるように、ひとは爆発と轟音にひかれるのだろうか。
 
つづきものではないが、マーベル映画はワクワクさせられた。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』までは。 
マーベル映画の主人公たちは集合する。けれども、ひとつひとつの映画のレベルが高く物語が完結していた。 
そのレベルの高い映画の主役たちが結集し、アッセンブルする映画になるのだから盛りあがるにきまっている。 
 
ブラックパンサーやドクター・ストレンジもひとつの作品としてすぐれていた。
けれどもキャプテン・マーベルあたりから、首をヒネるようになった。 
マーベル映画のすべてとは言わないが、集結ありきで映画が作られているように感じられる。 
 
映画の興行収入はあがっている。 
おもしろそうな映画も作られている。 
映画館で見てみたいと思い、腰を浮かしかけた映画もある。 
しかし、いろいろと考えた結果、浮かした重い腰を家の椅子にしずめた。 
 
なにも考えずに大画面のスクリーンに没入したい。
嫌なことがおおすぎる現実世界から切り放された映画の世界にひたりたい。 
 


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