「書く習慣」一カ月チャレンジ【 二十七日目 】誰かに言われた大切な言葉
満面の笑みである。
酒飲みであれば、ニンマリとする格言であろう。
「なんかそういうデータあるんですか?」という声が聴こえてきそうだが、耳を貸さない。
酒漬けといっても、どれぐらいが酒漬けなのだろうかと考えてみようか。赤ワインかブランデーの樽に沈められて処刑された貴族か王族がいたはずだ、まさに酒漬けになり死んだ。この酒漬けは駄目な例だろう。
だいたい18時から22時ぐらいまでエブリデイ、飲んでいるが、朝から飲んでいないので、まだ酒漬けではないだろう、このままでは長生きできない。もっと酒漬けにならなければ。
まぁ、でも、たまに、ふとさ、思うのよ。お酒を飲んでる時間と、二日酔で苦しんでいる時間は、ほんとうに無駄な時間だなと。
なのでお酒を飲みながら、文章を書けないか、いろいろと試行錯誤中。ちょっと酔いがはいり、脳みそがV8エンジンのようにブイブイ動きだす勢いをキープすることができれば、スラスラと文章を書けるのだが、酔いがまわりすぎると、あっあっあっと眼がとろんとしてきたら、文字が分解し、文書を書けなくなる。
「肉体の疲労には甘味を、精神の疲労には酒を」というようなこと開高健が書いていた。まさに今現代を生きる私たちは、生きているだけで、精神を削られ、えぐられ、ヤスリをかけられながら生きているわけで。
そうなるとやはり精神の疲労をはかるために酒を飲まなければとなる。どれぐらい飲めばいいのか、これが分からないわけだが。翌朝心がスッキリしており、仕事に行く気、仕事をする気になっていれば、精神の疲労はなくったのではと思う、たとえ二日酔の頭痛と吐き気があったとしてもダ。
そう、かの教団の元祖大聖人ですら、復活に3日もかかったのだ。この生きていることが辛い世の中を生きる一般ピープルである我々は、酒の力でも借りないことには土日で復活できないのだ。
精神の疲労を感じている紳士淑女のみなみな、恐れることなく、酒を飲み、味わい、浴び、酒漬けになるがよろしい。
なお、このnoteを読んで酒漬けになった結果には、私は一切責任は持ちません。いいですね?わかりましたか?わかりましたね?
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