自分がされて嫌なこと、はしない
こんばんは。
日曜、月曜と家族と怒涛の騒動が起き、(私の実家は完全なる機能不全家族なので両親から学ぶことは大体が反面教師にしないといけないことでもあり)私が実感したこと、自分へのリマインドとして思ったことを今日は書き留めておかなければと久しぶりの投稿をします。
それは
”自分がされて嫌なこと/ 嫌だったことは誰に対してもしない”。
言葉にするとすごく当たり前の事なんだけど、じゃあ実際どの状況でも出来ているのか、と言われると、私は出来ていないと思ったので改めて整理しながら自分に言い聞かせようかなと。
幼稚園や学校で言われた多くは
「相手が嫌がることはやめましょう」
だった気がします。
でもこの教えって実はすごく難しいのです。
だって、相手(自分以外の人)がどう思うかや感覚なんて、ぶっちゃけよく分からないから。
どこに劣等感があって、どこに地雷があって、なんて分からないし知らないし。
(知ってる部分があるならもちろん配慮すべきですが。)
それより私は、
「自分がされて嫌だと思うことは誰に対してもしない」
をまずベースに実践していくのが大事なのかなと思います。
自分が過去されて嫌だったこと(誰にされたとかは覚えてないけど笑、モヤモヤしたことは覚えてるので、自分がする立場になった時にどこにモヤモヤしたのか振り返ってみる)、そして、自分が何かをされる/ してもらう立場だったら、を想像して考えて、それがもし私の中で違和感ならやらない。
それはリアルな人間関係の間でも、TwitterやSNS上のオンラインの関係も同じ姿勢でいるようにしていて。
例えばハラスメント行為も、ジェンダーへの偏見も、未婚&既婚についての言及も、外見へのコメントも、Twitterの発信もリプライも。
そして関係で言えば、仕事、恋愛、友達、プライベートなコミュニティ、家族の間の会話でも、全部当てはまるのではないかと思います。
そして相手に不快を与えると同時に、実は、
過去された、または想像して、嫌だなとかモヤモヤすることを、たまに勢いやよく考えずにしてしまう事はもちろんあるのですが、結局は、ふと我に返った時に、間違いなく私自身が強い罪悪感にかられるのです。
それだけ、
”自分のフィルターに通して感じるネガティブな行動”
は相手も自分も精神的にダメージを与える。
そんな事をしみじみ感じたので、常に心に留めて、勢いや想像力の欠けたことはしないでおきたいなともう一度自分の中で決意新たにしたのでした。
私の場合、論理立てて話すときは勢い余ってしまうし、基本強めなので、ひとつひとつ指差し確認するくらいの気持ちで人に何か対応するのが良いのかも知れない...
これからの私の行動に移す前の一呼吸の指針にしようかなぁと思います。
(そして、ここからは私の勝手な想いですが、SNSでの軽はずみなリプライや、匿名でのコメント・批判が社会的な問題になりつつある昨今、自分がされる側、になってみる事を意識する人が増えたらもうちょっと優しい世の中になるのかなぁとも思いました。)
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