ダイヤカラス

それはガラスか、それともダイヤか


「女」って本当にそうなの?

たしか小学生の頃だった。「これ見て」と、仲の良かった男の子が見せてくれた4コマ漫画を見て、なんだか悲しくなったのは。
細かい内容は覚えていないが、女の友情をガラスに例えたギャグ漫画だったと思う。使い古された表現とはいえ、おそらく当時の私はそうした表現に触れたのは初めてだった。彼は面白いと感じたものを共有しようとしてくれただけで、全く悪気がなかったことはわかっている。それでも心の中には違和感が残った。
だって、友達のことをそんな風に軽んじたことなんてなかった。
女の友情って本当にガラスみたいに脆いものなの?すぐ相手を裏切るの?

悲しいことに、時を経て、いつの間にか私もそうした考えに染まっていく。何度も何度も、生きていく中でそうした表現に触れ続けていたからかもしれない。深く考えずに「女はこわいからね。笑」という定型句を使っていたことがあったように思う。女の集団はこわい、女は嫉妬深い、気を付けないとね、なんて。

けれど思春期を経て大人になった私のそばには、「女の友情は脆い」とされている筈なのに、何年経っても変わらず信頼でき大切に思える友人達がいたし、改めて人生を振り返ってみた時、本当に女は男と比較してとりわけ陰湿で恐ろしかったかと疑問が湧く。人間関係で嫌な想いをしたことはあったが、それは別に同性に限定されるようなことではなかった。

「でも世間じゃずっとそう言われてるし、たまたま私の運が良かっただけ?」なんて考えたりもしたけど、周りの友人達とよくよく話してみたり、大人になってから出会った人達や、SNS等を通して色んな人の話を聞いていると、私が子供の頃に覚えた違和感はおかしなことではなかったと気付く。
私だけではなかったのだ。同じことを考えている女性が世界には沢山いた。
それって本当に「女」特有のもの?、と。


勝手に期待される争い、背負わされる陰湿さ

女は集団でいるとほぼ必ず「仲良いの?ほんと?実は仲悪いでしょ?」という目を向けられる。TVでも、アイドルの子なんかがこういう言葉を向けられ困っているのを何度見たかわからない。こうした質問はいつだって明確に「実は仲が悪い」というネタを期待している。
私からすれば、人がいがみ合うことを期待している方がよっぽど陰湿に思えるし、そもそも「女の集団は実は仲が悪い」と決めつける人にとってはどんな答えも無意味。本当に仲が良くても邪推する人はする。

そりゃ人数が多ければ全員ものすごく気が合うのは稀だろうが、合わない=嫌い ではないし、仲良し以外を全て「仲が悪い」としてしまうのはあまりに乱暴だと思う。相性が良いわけではないけど別に嫌いではない、一対一ではうまく話せないけど他に人がいたら普通に盛り上がれる、お互い特に干渉しないけど仕事ぶりを尊敬している、そういった仲良しとはまた違う関係性なんていくらでもある。

実体験として、女子の集団で誰も人の悪口を言わず、特別仲が良い子はいても、みんな誰とでも分け隔てなく接する世界が存在することを知っているので、女が集まっているだけでどうせ陰で悪口言い合ってるとか邪推されるのは本当に嫌だし、もどかしい。なぜ女というだけで、安易に人を嫌いになり相手を攻撃すると思われなければならないのだろう。

昨年、あるスポーツ選手が年下のライバル選手のドリンクに禁止薬物を入れる事件が起きた。これは男性間で起きた事件だったが、もしこれが女性の起こした事件だとしたら、「女の嫉妬は恐ろしい」「これだから女はこわい」という声が嫌になるほど聞こえてくるのが容易に想像できる。

男性の場合は個人の問題として処理されるのに、同じことが女性で起きると、それらは途端に「陰湿でいかにも女性的」と属性で一括りにされる。
実際のところ、男性間でも陰湿な嫌がらせ等はたくさん起きている。ひどいイジメや、マウントの取り合い、地位を得るために裏で手を下し相手を失脚させる話だって珍しくはない。

陰湿さに性別は関係ない。男でも女でもそういう人はいる。
狭い空間の中で競い合うような要素があれば、性別問わずどこでも起こりうることだ。シンプルに、環境と性格の問題だと私は思っている。

連載開始時に「このまんがに、無関心な女子はいても、無関係な女子はいない。」と銘打った『さよならミニスカート』(『りぼん』にて連載中)という作品の中でも、女性が陰湿とされることに切り込む展開があった。女子の対立を無邪気に煽る男子生徒に対し、女子生徒の一人が「お前みたいなのがいるから 女子が陰湿になるんだ 陰湿にさせられてるんだ もう…遊ばないで 私たちで遊ばないで」と声を上げるシーンがある。

「女の敵は女」という言葉もまさに、この男子生徒のように女の対立を面白がる(あるいはそうすることで利益を得られる)人達によって生み出されたものなのではないかと私は思う。無自覚かもしれないが、それをコンテンツとして消費したがる人は世の中に沢山いるのだ。
だからこそ、明確に今を生きる女の子たちに向けて紡がれている作品の中で、こうした描写がなされることに大きな希望を感じた。


その価値は自分で決められる

私は、「女は陰湿」「女の敵は女」、こうした価値観をあたかも世間の常識として再生産していくことに、絶対に手を貸したくないと思っている。
もちろん、きっと前述した考えに共感できない女性もいると思う。特に同性間のトラブルですごく嫌な想いをしたり、激しく傷付けられた経験のある人が共感できなかったとしても心情を理解できるので、無理に押し付けるつもりはない。

ただ、もし伝聞やイメージだけで、まるでこの世の真理のようにそれらを自分の中に染み込ませてしまっているのだとしたら、一度立ち止まって考えてみる時間があっても良いんじゃないかと思う。本当にそれは「女」だけなのか。そう思わされてしまっただけではないのか。

押し付けられた陰湿さを、争いを、受け入れる必要なんてない。
女には本当の友情なんてあり得ないと笑ってくる人がいたとしても、相手にすることはない。
自分たちの関係性をガラスととるかダイヤととるか、私たち自身で決められることを今の私はもう知っている。

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